第34話 君の瞳はもっと綺麗だ
「どうしたの?
そこじゃ目立つから中に入って」
「う、うん……、でも……」
僕にジョギングをさせるのだと張り切って僕の家までついてきたものの、小梢は入口の前で躊躇っていた。
「仕事中だし、別に変な事はしないよ。着替えたらすぐに出るし」
「じゃあ……、お邪魔します」と、まだ戸惑いがあるようだが小梢は玄関の中に入ると自分でドアを閉めた。
狭い玄関でお互いの距離が縮まり、小梢の匂いが鼻をくすぐった。
「は、早く中に入りなさいよ。狭いわ……」
「ご、ゴメン。靴ひもを解かなきゃ」僕は壁に手をかけて片手で靴ひもを解くのだが、不安定なうえに片手なのでなかなか直ぐに解けない。
「しゃがめば良いじゃない」
「そ、そうだね、……とと」
脱ぎかけた靴のかかとを踏みながらしゃがんだのだが、バランスを崩して小梢の腰にしがみついてしまう。
「ちょっと! どこを触ってるのよ、やだ!」
「ご、ゴメン。そんなんじゃないけど、ガマンして。体勢を整えるから」
一瞬、小梢の股間に顔を埋める形になり、思いがけずドキドキしてしまい、僕は靴ひもを解くだけなのに手間取ってしまった。
「まったく……。何もしないって言ったくせに抱きついてきたりして、ホント手だけは早いんだから」
ようやく部屋の中に入れると、小梢が僕に不平を漏らした。
「もしかして、陽菜ちゃんにも何かしたんじゃないの?」
「それはないよ。陽菜も何もなかったって言っただろ。
ちょっと着替えてくるから、そこで待っていて」
着替えるといっても浴室に籠って着替える事になる。ワンルームの部屋に小梢を残して僕は浴室で着替えた。
「お待たせ」僕が戻ると、小梢は部屋の真ん中に座って部屋の中を見渡していた。
「やっぱり、東京で済んでた部屋よりずっと広いし、それに綺麗ね」
「うん。それに、家賃も格段に安いよ。
静かだし、学校にも歩いて行けるし良い物件だと思う」
「この部屋で一人で待っている時、東京で圭君の部屋に居た時の事を思い出しちゃった。
昨日ね……」
小梢が何か話したそうなので、僕も小梢の傍に座る。
「校長先生に聞かれたの。『あの事件の事を森岡先生は知ってるの?』って」
「校長先生は知ってるの? 土門さんの事を」
「うん、校長先生にだけはわたしが土門さんの事件に関係していた事は話したの。
でも、すでに校長先生は知ってて……。
当然よね。卒業生なら、どんな生徒だったかとか直ぐに調べれば分かるし」
「何かまずいの?」
「ううん、別に隠す事じゃないけど、わざわざ公表する事でもないって仰ってくれたわ。でも、もし保護者が知った時に過剰に反応されたら、何か手を打つかも知れないとも仰っていた」
「それで、僕が知ってるか確認したのか……
でも、僕もわざわざ人に漏らすような事はしないよ」
「それは分かってるわ。校長先生も生徒との些細な約束も守ろうとする圭君を感心してたわ。
それに、なんだかすっかり私たちに肩入れしちゃって、『まるで韓国ドラマを生で観てるようだわ~』なんて言い出すから可笑しくなっちゃった 笑」
「あはは、僕の母もだけど、あのくらいの年代の女性って韓国ドラマ大好きだからね 笑」
「あはは、家のお母さんはアニメの方が好きみたいだけど 笑」
そう言って笑う小梢のふっくらとした唇に、つい目が行く。
こうして誰の邪魔も入らない空間に今、小梢と二人きりなのだ。思わずゴクリと喉が鳴った。
「な、なに?」
「へ?」
「いま、イヤラシイ目になってた」
「そ、そうかな?
気のせいだよ。あはは……」
とは言ったものの、やましい下心を見透かされて少しバツの悪さを感じる。
「今日は、この後仕事なんだから、変な気を起こさないで。
それに、わたしの気持ちの整理も付いてないし」
小梢は大げさに身構えるそぶりを見せるが、言う程警戒していないように見えた。
「分かってるよ。校長先生の計らいを無駄にする訳にはいかないし。
有村さんが出歩いているなら、家に帰してあげないとね」
一体、何処にラインが引いてあるか見極めるのが難しい状況ではあるが、僕たちには使命がある。今ここで自分の色恋にうつつをぬかしている場合ではないと自分に言い聞かせた。
「さ、行こうか」と言い僕は立ち上がると、小梢に手を差し伸べた。
「ありがとう」
小梢は僕の手を握ると、その手に体重をかけ反動をつけて立ち上がったのだが、勢いが付きすぎたのか、そのまま僕も引き寄せられる。
またしても甘い匂いが鼻をくすぐった。
抱きしめたい衝動がつま先から頭のてっぺんまで走り抜け、改めて小梢に魅了されている自分が居る事に気付く。
それと共に、ある疑念が頭を過った。
小梢は初めて会った時も男子学生に声をかけられまくっていた。実際にナンパされる場面にも遭遇した事がある。
そんな小梢がこれまで誰とも付き合わなかったとは考えられない。どうして今まで考えなかったのだろう。そう思うと気になって仕方なくなってしまった。
「て、手を放して……
どうしたの? 固まっちゃって」
「ああ、ゴメン」
「?」
「ゴメン。なんでもない。いや、唐突なんだけど、小梢って、その……
東京に居た時もだけど、こっちに戻ってからも、え……と、その、告白とかされたりしなかったの?」
「なに? ホント唐突ね。
そりゃ、数えきれないくらい誘われたし、告白もされたわよ」
「やっぱり、そうだよね」
「本当にどうしたの? 今頃そんな事を気にして。
正直な事を聞きたい?」
「まあ……、そうかな」と、その時、鼻先に痛みが走った。
「痛っ!」
小梢がデコピンで僕の鼻先を弾いたのだ。
「あはは、まさに『鳩が豆鉄砲を食ったよう』ね 笑
お喋りはお終い。さ、仕事に戻りましょ」
「そうだね、僕たちは仕事中だったね。
でも、やっぱり……、走るの?」
「そうよ、運動不足を解消しないと、来月には体育祭もあるでしょ?
圭君も高齢の担任に代わって走る事になるかもよ。
もしもの時の為の準備も兼ねて、行きましょ」
「はあ~」
僕のため息を他所に、小梢はさっさと玄関で靴を履き始める。
気乗りしないなか外に出たが、風が心地よくて思わず空を仰いだ。
「今夜も星が綺麗ね……」
そうやって僕へ方に向き直る小梢の瞳を僕は、
もっと綺麗だと思った。
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