第16話 固い意志

「ねえ、お風呂に入りたくなっちゃった」


「へっ?」


長い沈黙が続いた後に、口を開いたかと思うと、海咲が唐突な事を言い出した。


「お、お風呂ですか?」


「そう、足だけじゃ物足りなくなっちゃった。

身体も砂で少しベタベタしているし、なんだかスッキリしたくなったの」



確かに、汐風にあてられ、ザラザラした感触が身体にある。

ここまで走る途中に温泉らしき施設がいくつかあった。そこに行けばお湯に浸かれるだろう。タオルは持参していないが借りられるはずだ。


「そうですね、たしかにザラついた感じだし、温泉に入って洗い流すのもアリかもしれませんね」


「よし! じゃあ行こう!」

今度は、走らずに歩いて車に戻るが、僕はまだ海咲が何処に行こうとしているのか知る由もなかった。




車に戻ると、海咲はスマホで地図を見だした。おそらくこれから向かう先の確認なのだろうと思った。


「あの……、ナビを使わないんですか?」


「あ、良いの、ナビに載っていないかもしれないから」


「はあ……、もしかして秘湯……みたいなところですか?」


「う~~ん、まあ秘密という意味ではそうかもね。

よし! だいたい分かったから、発進するね。

シートベルトは大丈夫?」


三崎は、僕の確認を取ると車を発進させ、砂丘の方へと来た道を引き返した。

だが、今までの安全運転とは打って変わって、かなりスピードが出ている。


「久保田先生、けっこうスピードが出てますが、大丈夫ですか?」


「大丈夫よ。もう慣れたから。あまりゆっくり走っていると後ろの車の迷惑でしょ」


(後続車なんて居ないのに……)




程なくして、『リゾート』の看板を掲げた建物が見えると、車は敷地内へと侵入していった。随分変わった温泉だと思ったのも束の間、直ぐに僕はそこが『何』なのか気づいた。


「く、久保田先生⁉」


「なにも言わないで!」


海咲は一喝すると、それ以上は何も言わずに、建物の横の駐車スペースに車を止めた。

相変わらず、何度か切り返しをして停めたのだが、車を止めるとハンドルに顔を伏して絞り出すように言った。


「私に恥をかかせないで……」


駐車スペースの横には部屋への入り口がある。二階建ての片方は一階、もう片方は二階へ入れるようになっているのだろう。

利用者同士が八合わないように配慮されている作りになっていた。


「大丈夫、シャワー浴びるだけよ。

でも、その先は森岡先生が決めて」


ラブホテルに健康な若い男女が一緒に入って、シャワー浴びるだけで済むはずがない。僕は躊躇したが、海咲の意志は固いようだった。


「といかく、ここでモメていると目立つから、入ろう」


確かに、外から見える状態でいつまでも居るわけにはいかない、僕は意を決して部屋を利用することにした。

部屋の中は、外見から想像するより綺麗な造りになっていた。東京のラブホテル以外にこういう施設を利用するのは初めてだったが、その広さに僕は驚いた。


「凄い! 広いんですね」


部屋の真ん中に大きなベッドが配置されているのだが、それが小さく見えるほど広い。クローゼットも広々しており、二人分の服が余裕でかけられそうだった。



「お湯を張ってくるね」と言い残し、海咲は浴室へと消えていった。


僕は、ソファーに座り、テーブルに上に置いてあったミネラルウォーターのボトルを開けて口に含んだ。喉がカラカラに乾いていた。


「ねえ、一緒に入る?」浴室から海咲が顔を覗かせた。いつの間にか下着姿になっているようだった。


「あわわ、一人でどうぞ。先に入ってください」


「恥ずかしがらなくても良いのに。女の人の裸なんて見慣れてるんでしょう?」

相変わらず顔だけ出したまま、海咲が続ける。


「でも、久保田先生とは……、その、そういう関係じゃないし……」


「この期に及んでも、まだ迷ってるんだ?

まあ、良いわ。森岡先生に任せる。

私だって、死ぬほど恥ずかしいのに勇気出してるのだけは分かって」


海咲が顔を引っ込めると、しばらくしてシャワーの音が浴室から響いてきた。



(やっぱり、できない……)海咲の事は嫌いではないが恋愛の対象としては、今まで考えたこともなかった。もしそんな気持ちのまま海咲を抱いたら、僕は海咲の不倫相手と同じだ。


おそらく、海咲の不倫相手は手頃にセックスできる相手として海咲と付き合っていたのだろう。


砂丘での『セックス以外のデート』という海咲の言葉を思い出し胸が締め付けられる思いがした。それと同時に、僕もかつて陽菜の母親である佳那かなや、家庭教師マッチングアプリの社長だった宮下綾乃みやしたあやのとセックスだけの関係を続けた事があり、反省の思いがこみ上げてきた。



暫くすると、海咲はホテルに備え付けの寝間着を羽織って出てきた。

少し上気したうなじに、僕は少なからず視線を奪われる。


「ねえ、森岡先生。

帰りの運転をお願いしても良いかな?

運転手として登録はしていたから、運転しても平気なんだけど」


「大丈夫です。久保田先生に運転を任せっきりで悪いなと思ってたんです。

帰りは僕が運転しますよ」


「ありがとう。

あ、お風呂入って良いわよ」


「ありがとうございます。

僕も汗を流してきます」


そう言って僕も浴室へと向かった。

浴室は広々としており、ゆっくりと湯船に浸かれるような造りになっていた。

洗い場も広く、そこで僕は身体を洗った。


そして、お湯に浸かり、これからの事を考えていた。


海咲は、僕にこの後の展開を委ねると言っていたが、僕が彼女を抱くことを拒否すれば失望するだろう。

だが、海咲と付き合う気持ちがない以上、やはりセックスは出来ない。


(そうだ……、やっぱりできない)



僕の意志は固まった。





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