第9話 母親の後悔

玄関が開いて、顔を出した女性は40歳後半だろうか?

可愛らしい感じの夫人だった。


「お母さん⁉」


「声がしたから……、て、ごめんなさい。

お邪魔だったかしら?」


「そ、そんなんじゃないわよ。

こちら、森岡先生。送っていただいたの」




「ええーー!

『もりおか先生』って、もしかして、もりおかけい君? 本当に?」


「こんばんは。森岡と申します。雪村先生とは同じ中学で教師をしています」


「ちょっと! 小梢、なんで黙ってたの? もりおか君が同じ職場にいるって。

ね、せっかくだし、少し寄って行って、もりおか君。

さ、さ、どうぞ」


「あ、でも……」



「ごめんなさい、ちょっとだけ付き合って。お母さん、言い出したらきかないから」

小梢は憮然とした表情で言い放った。


有無も言わさぬ強引さに、僕は雪村家へと招き入れられることになってしまう。


「さ、さ、こちらに座って。今お茶を入れるわ。コーヒーで良いかしら?」


「あ、どうぞ、お構いなく」



玄関を抜けた先のドアの向こうに平凡な作りのダイニングを兼ねたリビングがあり、そこのテーブル、おそらく食卓として使用しているのだろう、そこに座る。


「小梢もコーヒーにする?」


「わたしは、眠れなくなるからビールにしとく」


(ま、まだ飲むのか……)


「おまたせーー。どうぞ」

程なくして、カップを持って小梢の母は台所から戻ってきた。


「あ、ありがとうございます」


「それにしても驚いたわーー。

小梢ったら、何も話してくれないんですもの。

ね、もしかして二人って付き合っているの?」


「お母さん、やめて!

森岡先生は、単なる同僚なんだから変な事を言わないで」


「だって、さっき玄関前で良い雰囲気だったじゃないーー

それに、小梢がずっーーと会いたかった人でしょ?」


「それは、東京で会ったって言ったじゃない」


「会ったって、それだけ聞いても、どうだったのかとか、どんな人だったのかとか、何も話してくれないし、せっかく長谷田大学に入ったのに、こっちに戻ってくるし、私、いっぱい聞きたかったのよ」


「お母さんには関係ないじゃない」

小梢は冷ややかな態度でマシンガンのように喋る母親に対応していた。

僕は、母娘の応酬にタジタジになるしかなかった。


「もりおか君も長谷田だったんでしょう、どうしてこっちで先生になったの?」


「え……と、色々あって、地元で子供たちの成長の役に立ちたいなって思ったんです」


「そうなのね、長谷田卒業なら、東京で良い会社にいくらでも就職できたでしょうに、偉いわーー」


「あはは……」


「お母さん、いい加減にして。

森岡先生、お母さんの相手してたら遅くなるから、適当なところで帰って。

わたしは、少し疲れたから横になる」


そう言うと小梢はリビングのソファーに腰かけて目を閉じ、寝息を立て始めた。



「まあ、せっかく送ってくれた人に、なんて態度なの?」


「あ、いえ、きっと疲れてるんです。教師の仕事って大変ですから」



「あの子、可愛げないでしょ?」


苦笑いする僕に小梢の母は、ヤレヤレと言った表情で言った。


「昔は……、あんなふうじゃなかったのよ……。

もう、事件の事は知ってるんでしょ?」


「は、はい」



「そうよね。あの事件がきっかけで、小梢はもりおか君を探すために東京の大学に進学したんだし、もりおか君に伝えなきゃいけない事を伝えたのなら、何があったか話さないと、もりおか君も何が何だか分からないものね」


「あの、僕は、あの事件の話を聞いたとき、こ、小梢さんがそこまで責任を感じなきゃいけないのかなって、思いました。

土門さんおお母さんも、たぶん土門さん本人も、小梢さんの事は許してくれていると思います」



「あら、本当に寝たのかしら?」

小梢の母は、ソファーにもたれかかるように座っている小梢の様子を見て、独り言のようにつぶやいた。



「この子自身が、自分を許せないでいるのよ……」


違うのだ、僕と別れた時に気づいていた。

小梢は、土門華子を死なせた事以上に、彼女が好きだった僕の事を好きになった事に罪を感じているのだ。

しかし、それを小梢の母には言えない。



「あの事件--土門華子さんが自殺した事件--の後ね、家も大変だったの。

毎日のように無言電話がかかってきて、ううん、無言だったらまだ良い方。

『人殺し』とか、『親はどんな教育をしたんだ』とか、

……石を投げられて窓ガラスを割られたこともあったわ」



そんな事があったとは、小梢は僕には話してくれなかった。だが、地方の狭い社会ではあり得ることだ。小梢だけでなく、その家族まで謂れのない誹謗中傷を受けたのだと思うと、僕は胸が痛くなった。



「小梢も学校で居場所がなくなって、そのうち不登校になるし、主人は出張が多くて不在がちだし、私も精神的に追い詰められていたのね」


そこでまた、小梢の母はソファーの小梢に目を向けた。穏やかな落ち着いた目だった。



「いつまでも部屋に籠っている小梢に苛立ちを抑えきれないでいた時に、また電話がかかってきたの……。

受話器を取ると、冷たい声で酷い事を……」


小梢の母の唇が少し震えていた。彼女にとって恐ろしい思い出なのだろう。



「頭の中がグチャグチャになるって、あの感じなのね。

気が狂ったように、家じゅうの食器を割って回って……、


あまりに大きな音に驚いたのか、小梢が部屋から出てきて、『お母さん、やめて!』て叫んだの」


僕はただ、ゴクリと喉を鳴らすしかできなかった。


「その時、私は言ってはいけない事を言ってしまったの……」



次の一言を言葉に出すのが辛いのか、小梢の母は、そこで一瞬言葉に詰まっていた。





「『あなたなんか、産まなきゃ良かった』って」





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