第8話 抱きしめたい
「ご馳走さまでした」
お店を出て、僕と小梢は海咲に礼を言った。
「どういたしまして~~
あ、私は電車だから、駅でお別れね」
「はい、気を付けて帰ってください。
僕は……、雪村先生を送っていきます。たしか、先生は実家住まいですよね。」
「え、ええ……、じゃあ、お言葉に甘えて」
「あ、良いな~~
私も近所に住めばよかった。森岡先生、送りオオカミにならないでよね 笑」
「あはは、そんな度胸、僕にはないです 笑」
「あ、電車が来る見たい、じゃあね!
おやすみなさい~~」
言うだけ言って海咲は駅へと消えていった。
(最後まで慌ただしかったな……)
「また後姿見てる……」
「へ?」
「あ、いや、そんなんじゃないよ。慌ただしい人だなって」
「それだけ? なんだか、お尻を見てたような気がする」
「そ、そんな事、断じてないよ! それより、どっちだっけ、家は?」
「……こっちよ。でも大丈夫?
森岡先生の家とは反対方向だけど」
「平気だよ。すこし多めに歩くだけだし。
でも、僕が送っていくって言っても断らなかったね」
「久保田先生にも言われたし、あなたとの接し方を少し変えようと思っただけよ」
田舎の夜道は街灯も少なくて暗い。駅から離れると住宅街になり、人の通りもすっかり無くなり、少し寂しいくらいだった。
二人きりで歩くのは、僕たちが別れた夜、当時僕が住んでいたアパートから駅までの帰り道を歩いて以来だ。
「東京で最期に会ってから、もう4年が過ぎたのか……、早いものだね」
「ええ……」
小梢は何か言いたそうだったが、堪えているのか少し俯き加減で黙り込む。
二人の足音だけが夜道に響いていた。
「あの……、森岡先生」
「ん?」
「その……、わたしの事、怒ってない?」
「どうして?」
「嘘をついて近づいて、勝手に押しかけ彼女にしてもらって、そして勝手に別れを言って……、自分でも酷い事をしたと思ってるの」
「なんだ、そんな事を気にしてたのか 笑
ちゃんと事情を説明してもらったし、小梢がそれまでどんなに苦しんだかも分かっているつもりだよ。
それに、山根先生にも会ったよ」
「山根先生に会ったの⁉
あ、『小梢』って呼ばないでって言ったのに」
山根先生は、小梢の中学時代の担任で小梢が自殺した同級生の代わりに僕を探そうと決めたきっかけを作ってくれた人だ。
「ご、ごめん。
こ、雪村先生と別れた後、色々あって二年生の夏に帰省した時に土門さんのお母さんに会って来たんだ」
「土門さんのお母さんにも会ったの⁉」
「うん、岸本さんって『不倫研究会』の先輩が出版社に内定していて、その伝手で事件を担当した新聞記者さんを紹介してもらったんだ、土門さんのお母さんにコンタクト取りたくて」
「高取さんね。山根先生の旦那さん。
そうなんだ……、山根先生に会ったんだ……」
「当時、どれだけ大変だったかって事も分かったし、土門さんお母さんからも話を聞いたよ。
毎年、土門さん命日に訪ねてたんだね」
「うん……。
でも7回忌の時に『もう来なくて良いわよ、あなたの人生を大切にしなさいって』言われて……、わたしがいつまでも来てたら、土門さんのお母さんも忘れられないかなって思って、あれから訪ねてないの。
あなたが来てたなんて、知らなかった」
「土門さんのお母さんの言うとおりだよ。雪村先生は、土門さんの望みを叶えててあげたんだから、もう自分の幸せを考えるべきだよ」
「ありがとう。でも、わたしは幸せよ。
自分のやりたい仕事をして、それに……」
そこで小梢は声を詰まらせた。少しだけ静寂が戻る。
「ん?」
「わたしの事より、森岡先生はどうなの?
「『どうなの?』って、なにが?」
「だから……、森岡先生の幸せよ……」
「ぼ、僕の? なぜ?」
「だから、その……、
……、……、陽菜ちゃんと上手くやってるの?」
「陽菜と⁉」
家庭教師時代の教え子である陽菜とは、彼女が高校を卒業して、その時に僕に相手が居なければ付き合う約束をしていた。陽菜と小梢は連絡を取り合っていたと聞いている。それで何か情報を得ているのだろう。
「遠距離恋愛だし、付き合い始めたばかりで、どうなのかなって?
森岡先生って、その……、言いにくいけど女の子慣れしていないし、陽菜ちゃんって可愛いから、大学生だし、他の男の子も放っておかないだろうし……
ご、ゴメン。自分でも何が聞きたいのか分からなくなった」
「陽菜と連絡とってるんじゃないの?」
「うん、3月に『高校卒業した! 圭のカノジョになるんだ!』ってメッセージがあって、それから音沙汰ないの」
「陽菜とは……、フラれたよ 笑」
「え? どうして? あんなに圭君の事が好きだって言ってたのに!
あ、ゴメン。『圭君』って呼んじゃった」
「あはは。
遠距離恋愛はイヤなんだって。
それに、何を企んでいたのか、君が同じ中学に赴任する事を知ってて黙ってるんだから。
おかげで、君が居ると分かった時、頭が真っ白になるくらい驚いたよ 笑」
「それは、わたしも同じよ。心臓が止まるかと思ったんだから。
あ、ここなの、わたしの家」
住宅街の一軒家、そこで立ち止まると小梢は手を差し出した。
「送ってくれて、ありがとう。
これからも、お互いに頑張りましょう」
「ああ、そうだね」
差し出された小梢の手を握り返す。初めて手を握られた時ドキドキしたのに、今は自然に握手できている。
きっと、こうやって少しずつ、普通の関係になっていくのだろう。
僕の中に、安堵と寂しさが入り混じった複雑な感情が起こった。
その感情が、なかなか手を離してくれない。
気持ちが、どうしても昂っていき、「小梢……」と口をついてしまった。
「圭君……」
抱きしめたい。
いま何の躊躇もなく、それができたら僕たちはまた元に戻れるのではないか?
そう思った時、玄関が開く音がした。
「小梢なの?」
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