第7話 握られた手の感触
「そう言えば二人って、うちの中学の同級生だったんでしょ」
オフタイムという事で気さくな喋り方になっている海咲であったが、大ナマのジョッキを2杯飲み干した辺りから、さらに饒舌になっていた。
「森岡先生は一年生の終わりに転校したし、クラスも違ったので同級生と言っても、その頃は面識なかったです」
「ふ~~ん、私、もしかして二人って元恋人とかじゃないのかなって思ったんだけど一年しか一緒にいなかったんじゃ、それもないか~~」
(くっ、鋭い!)
「あはは、そんな訳ないですよ。僕なんかが雪村先生と。
どうして、そう思うんです?」
「う~~ん、不自然なのよ!」
「へ?」
「私ね、前の学校で不倫してたのよ」
「く、久保田先生!」
小梢が飲みかけていたビールを噴き出さんばかりに驚きの声をあげた。
「あ、ビックリした?
でも、校長先生も教頭先生も知ってるから 笑
それで異動になったんだ」
不倫については、僕も人の事を言える立場ではない。なにせ教え子の母親と只ならぬ関係になったこともあるのだから。だが、話題が振られたからには反応しない訳にはいかない。
「その……、お相手って、まさか」
「同じ学校の先生。妻帯者だったの……。
私って男の人に免疫ないから、優しくされて舞い上がったのね。
いけないと思いながら、相手に奥さんが居ても流されちゃうのよ」
「その……、不倫は良くないかもしれませんが、自分の気持ちを抑えきれなくなるのって、わたしにも分かります」
「ありがとう。
もしかして、雪村先生も辛い恋愛を経験したとか?」
「わ、わたしは……」
「あ、ごめんね。話が脱線しちゃったわね。
で、なにが不自然かと言うと、私が不倫してた時の相手と私の、学校での雰囲気と似てるのよ、二人の学校での雰囲気が」
「そ、そうかな~、例えば、どんなところがです?」
「さっきの駅前!」
たしかに駅前で海咲を待っていた時、僕たちは少しだけ昔に戻って話せた気がした。
だが、それが何かを感じるようなものだったのだろうか?
ジワリと腋の下に汗が滲む思いがした。
「別に普段と変わらないと思いますが、森岡先生もわたしも」
「それが、見てたんだな~~
雪村先生が森岡先生に何か渡していて、普段の森岡先生なら、そこで米つきバッタみたいに頭を下げると思うのよ。
でも、ごく自然に受け取ってたし、その後も二人とも自然な感じで居たでしょ?
あ、マスター焼酎のお湯割り頂戴~~
雪村先生は? 何にする?」
「あ、わたしは焼酎のロックで。
久保田先生の気のせいじゃないですか?
放課後だから畏まるのは止そうって話してたんです。」
「そうかな~~
学校で不自然なくらいお互いを避けている割には、あの時、良い感じに見えたけどな~~
あ、私、おトイレ。
ビールって直ぐに出ちゃうのよね 笑」
そう言うと、海咲はフラフラと立ち上がると、店の奥のドアをノックし、誰もいない事を確認して中へ入って行った。
「どこで誰が見てるか分かったものじゃないわね」
「ああ、ただ話していただけなのに、あんなふうに思われるなんて、意外だよ」
「学校で少し、あなたのことを意識しすぎてたかもしれないわ。
これからは、もう少し自然な感じで接するようにする」
「う、うん」
「あ~~すっきりした~~」
小梢と話せたと思ったのもつかの間。海咲が用を足して戻ってくる。
「あ、わたしも失礼します」
そして、入れ替わるように小梢が席を立ったのだが、トイレのドアの前で待っている。どうやら先客が居たようだ。
「さっき、私がいない間に何を話してたの?」
「え? いや、久保田先生に学校での僕たちがお互いを避けているみたいだと言われたんで、これからはもう少し打ち解けようね、て」
「そうか~~
二人が仲良くなる事には、私も賛成よ。
でも……」
そう言うと、海咲はテーブルの下で僕の手を握った。
「久保田先生?」
「へ~~、驚いた」
「なにがです?」
「森岡先生って、実は女慣れしてたりして。
普段の言動からだと、こんなふうに手を握られたら動揺する、と思うのよね。
でも、全然動じてない。
つまり、こういう事はたくさん経験してるんじゃないかって思うの」
海咲の見立て通り、僕には多くの女性経験がある。
最初は、こういう事が起きれば慌てていたし、動揺して挙動不審にもなった。
しかし、今は違うのだ。
「久保田先生、雪村先生が戻ってきますよ」
「大丈夫よ、まだドアの前じゃない。あそこからは見えないわ。
私ね、今朝の事、まんざらでもないの」
「それって……」
「実は、少し疑ってたの、雪村先生との関係を。
でも、二人が否定するなら、私にチャンスをくれても良いでしょ?」
「チャンス……ですか?」
「そう。明後日、私とデートして。
明日は部活の練習があるから、私の都合ばかりで悪いのだけど、ダメかな?」
さっきから感じている。僕の手を握る海咲の手のひらは汗で濡れていた。彼女が本気で誘っている事も、彼女が勇気をだして行動に出たことも。
彼女の手のひらが、僕に教えていた。
「あとでメッセージ送るね」
海咲は、僕の手を握って話している間、ずっと正面を向いて話していたが、最後に手を離しながら僕の方を向いてほほ笑んだ。
「雪村先生、なが~~い。
もしかして、大きい方だった? 笑」
「ち、ちがいます!」
小梢が戻ると、海咲は、いつもの彼女に戻っていた。
僕の手に少しだけ彼女の感触を残して。
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