素直になれない図書室の真白さん

アル

素直になれない図書室の真白さん

 僕が通う高校の生徒は皆が口を揃えてこう言う。

「図書室には冷酷な姫がいる」と。

 その姫──もとい女子生徒と言うのは隣の席の真白さん。

 成績優秀、スポーツ万能、芸術の才も秀でている。そして容姿も才能に引けを取ることはない。

 名前通りの、誰にも踏まれていない雪原のような煌びやかな純白の肌に、相反する艶やかな黒の長髪がトレードマーク。しかし足はタイツで隠し、腕は長袖のカーディガンを羽織る。真っ白な肌が拝めるのも顔と僅かに首元、手先くらいでしかない。

 ではと、顔を合わせようにもそうはいかない。睨まれたら最後、氷漬けにされてしまう、と噂が出ている真白さん最大の武器である切長の目が存在する。その恐ろしい視線に女子としては高い背丈が相乗効果を加えて、威圧感を増す。

 しかし真白さんを「冷酷な姫」と言わしめる所以はもっと他の場所にある。

「真白さん、消しゴム落としたよ」

 そう言って、隣の席から落ちてきた消しゴムを差し出す。

 落とし主である真白さんが消しゴムを受け取ると、ニコッと笑い感謝をする──ことはない。

「あ……あなたに拾われるなんて不愉快です」

 言い終えると慌てたような様子でまた机に向かい始める。

 そう、これが真白さんを「冷酷な姫」と言わしめている部分だ。

 でも僕は知っている。真白さんの本心を。


 先週の放課後、僕は日直の仕事が終わらずに教室で一人仕事をしていた。

 日直の仕事も佳境に入りもう少しで帰れるというところで、とある日記を拾った。

『また今日も久保くんに酷い事を言ってしまった。

 プリントを拾ってもらって本当はありがとうを伝えたいのに、なんで目の前で破ってしまうの。

 直さないといけないのに、本心を行動にしないといけないのに』

 日記にはこう書かれていた。

 久保くん──僕の名前が日記に書かれている。酷い事? 僕に思い当たる節がない。いじめを受けているわけでも、ハブられているわけでもない。

 ただ、プリントを目の前で破られる。これをやった人は知っている。何を隠そう真白さんだ。

 一つ仮説を立てよう。


──真白さんの本心と行動は逆である──


 そうすればこの日記で書かれている内容も、普段から冷め切った行動をとった後妙に慌てる様子にも理由がつく。

 興味が湧いた。好奇心から真白さんに関わってみたくなってしまった。

 拾った日記を人目に触れないように、真白さんの机の中にサッ入れて、翌日へと進んでいく。


 真白さんは図書委員として、放課後必ず図書室にいる。

 休まずに自分の務めを果たし続ける。そういうところが他の生徒や教師から憎まれ切れない、真白さんの魅力なんだと思う。

 が、裏腹に図書室を利用する生徒が日々減っていっているような。

 ただその方が僕にとっては都合がいい。

「手伝うよ」

 今日も真白さんは図書の整理を請け負っていた。

 受付はもう一人の図書委員が担当だ。 

 真白さんが受付を担当してしまっては、生徒全員が本を借りられない事態に陥ってしまう。とはいえ圧倒的に仕事量に差がある。最近はほぼ座っているだけの受付、雑務はほとんど真白さんがこなす。

 しかし真白さんが自分から意見することはない。意見できないが正しいだろう。

 不便に思うし、ちょうど真白さんと関わりが持てるから、と度々手伝いに来ている。

「なんで来たんですか。……邪魔です」

 真白さんは俯き気味に顔を隠し、決まってこう答える。

 いつも彼女が素直に喜ぶことはない。でも僕にとっては素直に喜んでいるように見えてしまう。

「来てくれて助かります。嬉しいです」と。

 作業が始まってしまえば、ほとんど僕たちの間に会話は生まれない。

 真白さんは普段からおしゃべりではないし、しゃべろうとしても気持ちと行動が合致しない。そうなれば誰であろうと億劫になってしまっても仕方がない。

 そんな状態なのに無理に話しかけても真白さんは本心で嫌がるかもしれない。それは僕としても好ましくない。

 だからこそ手伝うと言った以上、仕事は邪魔をせずに全うする。

 仕事が終わり下校時刻になると、

「もう明日からは来なくていいです」真白さんが一言呟く。

 そして言った直後、「明日も来て下さい」その本心を伝えられずに悲しそうな、後悔しているような表情を浮かべる。 

 ──分かってる。だから僕は明日も図書室にやって来る。


 やって来たはいいものの、「本日はお休みです」の張り紙が入り口に出されている。

 仕方ないと帰ろうとしたが、閉まっているはずの図書室から淡い光が漏れ出している。

「……失礼します」

 何か重大なことをやっているかもしれない。例えば面談とか。

 可能性は低いかもしれないが、ないとも言い切れない。そっと扉を横にスライドし、音を立てないように中の様子を伺う。

 当然、面談特有の重い雰囲気はこの図書室に漂っていない。

 ただ一人真白さんが本に囲まれながら、大慌てに図書委員の仕事をしている。

 ここまで大変そうな真白さんは見たことがない。

 そう言えば、もう一人の図書委員の生徒が今日は休んでいたような。

 となれば差し詰め、二人でこなすはずだった仕事を頼まれたが今日は真白さん一人。結局断れないまま奔走している。こんなところだろう。

「真白さん、手伝うよ」

 いきなり視界の外から声をかけられ、ビクッと真白さん体が浮き上がる。

 僕の存在に気づかないほど忙しい。それでも、

「帰って下さい……」

 真白さんは相変わらずこう言うことしかできない。本当は手伝って欲しいのに。

「……はいはい」

 本来なら誰もがここで真白さんの言葉を鵜呑みにして離れていく。

 だが、何度でも言おう。僕だけは知っている。真白さんの本心を。

「じゃあ二人で終わらせようか」

 今まで真白さんが行ってきたであろう仕事を眺め、自分が何をすればいいのか理解した。いつもこうして勝手に手伝っていく。しばらく経験しているうちに見様見真似で仕事をこなしていくのも慣れてしまった。

 そんな意に返さない僕を見て、真白さんが何か言いたげに一呼吸して口を開く。しかし言葉は出てこない。

 開いた自分の口を自分で塞ぐように、真白さんは両手で押さえ込んで発言を防いでいる。酷いことを言わないようにと、彼女なりの配慮なんだろう。必死に我慢して、必死に堪えて口をつぐんだ。

 この姿こそが真白さんなんだ。冷酷な姫なんかではなく、健気で働き者の女の子。

 言葉という兵器をしまい切るとそそくさ、手頃な紙切れに文字を書いていく。

 書き終えると、顔を伏せたまま押し切るようにして僕に差し出してくる。

 紙切れには『ありがとう』と。あまりにも不器用で、とてつもなく素直に。

 思わず頬が緩んでしまう。

 初めて真っ当に思いを伝えられた。別に今までに不満があったわけではないが、真っ直ぐに感謝されるのは格別に嬉しい。

「よしっ。がんばろー!」

 エネルギーをもらって、張り切って仕事に取り掛かった。

 

 作業が終わる頃には、すっかり夕日が顔を覗かせる時間になっていた。

 あまりの重労働に僕はへばってしまっている。

 図書室に備え付けの机に突っ伏しながら、荒い呼吸と汗が噴き出る額を落ち着かせる。

 二人でやってこれなのに、もし真白さん一人で仕事していたらと思うと、恐ろしい想像しかできない。

 まあでも真白さんならやって退けてしまうのかもしれない。

 現に疲れ切った僕を横目に、真白さんは涼しい顔をしながら仕上げとして本の整理をしている。

「あ、あの久保くん!」

 初めて聞く真白さんの抑揚が激しい声色で名前を呼ばれ、思わず肩が上がってしまう。

 伏せていた体を上げ、真白さんの方に向き直る。

「……えっと、明日からも、……だから一緒に……」

 視線を巡らせながら真白さんは多分、一生懸命に本心を表に吐き出そうとしている。

 あとほんの少しで彼女の口から本心を聞くことができる。

 ──「邪魔」とか「一緒に居たくない」ではなく、やっと真白さんの正直な好意を受け取ることができる。

 しかし突然、真白さんは小さな文庫本で顔を隠して呟いた。


「……もう来ないでください。……あなたの事なんか嫌いです」

 

 目の前の景色はあまりにも幻想的で、まさしく「姫」がそこにいた。

 真白さんの途切れ途切れで上擦った声が、静かな図書室に響き渡った。その声は正常な位置を探るよう、妙に高かったり低かったり不安定だ。

 表情を隠し続ける文庫本の両端からは紅潮し、熱を持った耳がちょこんと生えている。

 その熱を覚ますように開かれた窓から秋風が吹き込んでくる。同時に艶やかな夕日の赤が彼女をライトアップする。

 ──この光景が見れるなら、まだこの状態が続いてもいいのかな。

 と、勝手なワガママを抱いてしまった。

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