一章-02 あんた、面白い眼持ってるじゃん。

「――はっ!」

 俺は気づけば、公園の出入り口付近で意識を失っていたらしい。目を覚ませば、もう夕日が傾いているところだった。遠くて、17時を知らせる公共放送が響いている。

 意識を取り戻してから、一人で赤面する。『はっ!』とかリアルで言うことになるとは思わなかった。

「よく寝てたねー、おにーさん」

 突然、横合いから声をかけられて、俺はびくりと盛大に肩を揺らした。

 耳に心地の良いテノール。聞いたことがある。しばし考えて、思い出した。


 ――「しりとりってのは紡ぐものだ。編むものだよ。しりとりってのは、結界にもなるからね」


 そう言った、謎の声にそっくりなのだった。そっくりというか、同じ声だ。

 自然、警戒に体が強ばった。声がした方に視線が向く。

 そこには、十七、八ほどの少年がいた。外人めいてすっと通った鼻梁が印象的な、金髪の少年だった。

 学校から帰って一度着替えたのか、それとも学校に行っていないのか判らないが、ジーンズにパーカーというラフな私服を着ている。ジーンズに包まれた長い足で蹴り飛ばされたら痛そうだ、と益体もないことを考える。

 人気ブランドのスニーカーが公園の砂利を蹴る。その動きに、今まで考えていたことも相まって思わず肩を揺らした。

 視線を上げれば、不敵な笑みが眼を惹く。

「あんた、面白い持ってるじゃん。今時珍しいぜ、この世のものじゃないものが見える眼ってのは」

「な、な、何を言って」

 隠し通してきたことをあっさりと看破されて、思わず口ごもる。咄嗟に否定したけれど、もごもごとしたいかにも怪しい返答にしかならなかった。

 そう、ずっと隠してきたのだ――。学校でも、バイト先でも。もっとも上手くいかないことばかりで、こうして二十回目のニートになっているのだけれど。学校ではハブられていたし、バイト先では怒られてばかりだった。

「そういうの、何て言うか知ってるか」

 少年は続ける。俺のことなんか構わないみたいに。一方的に。

「『見鬼けんき』、って言うんだ。見る鬼と書いて、見鬼」

「けんき……」

 俺は思わず口の中で呟いた。あまりに堂々とした喋りぶりに、気づけば少年の話に聞き入っている自分がいた。

「……おに?」

 鬼らしいものは、見たことがある。というかついさっきも、見たばかりだ。

 あの、小さな鬼。一つ目に、襤褸の服装。

 俺の中で鬼といえば、虎柄パンツに鉄の棍棒。何より、二本の角。そのイメージから、角がある生き物はなんとなくみな鬼と呼んでいる。

「それもそうだな。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』にはこうある」

 まるで俺の考えを悟ったように、少年はうべなって見せた。それから、事もなげに諳んじる。

「『世に丑寅の方を鬼門といふ。今鬼の形を画くには、頭に牛角をいたゞき腰に虎皮をまとふ。是丑と寅との二つを合せて、この形をなせりといへり。』鬼の一般的な姿っちゃー、これが代表的だ」

 いや、そもそも鳥山石燕とは何ぞや。画図百鬼夜行とは何ぞや。思ったけれど、答えてくれそうにはなかった。

「けど、それだけじゃないんだぜ。キと読めば中国で死者の魂を示すし、平安時代に編纂された辞書の『倭名類聚抄わみょうるいじゅしょう』では、『居偉反。和名於邇おに。或説に云はく、於邇とは隠の音の訛なり。鬼物隠にして形顕すを欲せず。故に以て称す。』とある。つまり、普通にしていれば見えない、霊的なもの全般を鬼と称したってことだ。今で言う幽霊とか、精霊とか、妖怪とか、全部ひっくるめて『鬼』だな」

 少年の説明は、残念ながら八割方通り抜けて行った。なんだ、つまり幽霊も妖怪も同じようなものってことか。

「ちょっと、よく判らないんだけど……」

「もっと簡単に言うと、怪異だな。不思議なもの、本来ならば視えないもの、そういう、色んなものを引っくるめて、鬼と称することがあるってことだ」

 ぼんやりと考えている俺をぴしりと指さして、少年が言う。

「だから、そういうものが見えるやつらは見鬼っつーんだよ。理解したか?」

「えっ」

 急に俺に話が戻ってきてびっくりした。思わずこくこくと頷く。頷いてから、しまったと思う。

 これでは、自分が不思議なものが視えることを肯定したようなものだった。

 このまま誤魔化せば良かったのだ。誤魔化し通せたかはともかく、そうするべきだった。

 こうなれば、開き直るしかない。きっと少年を睨みつけて、俺は立ち上がった。

 そこで俺は、やや怯んだ。少年が思いのほか背が高く、俺よりも長身だったからだ。

「な、なんだよ」

 言い返す声も震えた。情けない、と思う暇もない。

「たとえそうだとしたって、あんたには関係ないだろ。退いてくれ」

 こんなに他人に対して強気に出ることなど滅多にない。手が、足が、慣れないことに震えた。

 いまこの瞬間に、理不尽に殴りかかられたらどうしよう。少年はそこまで荒い気性に見えなかったけれど、恐いものは恐い。けれど、このままこの場所にいることもできなかった。

 だって、知られてしまった。不思議なものが見える――少年曰く見鬼――と。ならば、逃げ出さなければいけない。俺はいつだってこういうとき、逃げ出すことしか出来なかったからだ。

 肩をぶつけそうな勢いで歩き出した俺に、少年は肩をすくめて、諦めたように身を引いた。少年を通り過ぎると、後ろから声がかかる。

「俺はおぼろ! 灯火ともしび朧だ。よろしく、おにーさん」

 なにがよろしくだ――言い返したいのをぐっと堪えて、無視して足を進める。後ろから、再度声がかかった。

「それからさっきの人食いのおっさんだけど」

 人食い――言葉にされて、ぞっとした。そうだ、そもそもあの化け物に出会って、俺は気を失ったのだった。

 頑なに振り返らなかったのを破って、思わず振り返る。少年は俺を見送るようにこちらに視線を向けたまま、にやりと笑った。

「逃がしちゃったけど、俺のクライアントなんだ。だから、見かけたら教えてね」

 ハートマークがつきそうな調子で言われた。

 クライアントってなんだ、そもそも君の連絡先も知らない。そんな全ての突っ込みを飲み込んで、俺は逃げ出したのだった。

 いつものように、情けなさから眼をそらして。逃げてばかりの自分から眼をそらして。

 今日、バイトをクビになったときと同じように。

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