第四話~ひとごとみたいな

「おおさこの閉鎖は結構早くから決まってたみたいですよ」

 茉莉花とともに同期の宮島佳織が担当している「おおさこ駅前センター」は、ビルの老朽化もあって、カルチャー教室そのものが3分の一に減ったこと、音を出すとうるさい、と怒られるのでニーズが高い2歳児・3歳児のグループレッスンの募集ができなくなったことが痛かった。ほかにも撤退するカルチャー教室が多く、そういうわけで閉鎖は必須だと言われていた。


 茉莉花も他の講師も大きなセンター教室以外に担当しているのは、lいずれも、幼稚園・保育園の教室ばかりだった。エアコンが壊れていたり、そもそもなくて扇風機を回しても暑かったり、備品のピアノ椅子がいつまでも壊れたままだったり、メトロノームを講師自ら購入して設置しなければならなかったり。そんな条件のよくないところばかりだ。


 佳織は短大卒の35歳だがやはり結婚はしておらず、実家から通っているのは茉莉花と同じだ。その佳織は、2年前から一度休んでいた婚活をまた始めた。友達が急にこのところ、出産ラッシュらしく、佳織自身が出産を希望していたからだ。

 ふわふわの茶髪で色白、小柄。黙っていたら20代でも通りそうな可愛らしいルックスの佳織は、おっとりとしていて受けはいいのだが、男性との交際経験がないわりに理想は高かった。


「宮島先生は本気で結婚したいって思ってるんですかぁ?!」


「戦慄の講師会議」後の教材研修会のあと、ランチをしながら芽以は呆れたように佳織を見つめた。


「な、なんで」

「その割に、2.5次元俳優にめっちゃお金つぎ込んでません?」

「相葉ちゃんの結婚知って泣いてたよね、佳織ちゃん」

「まじ?かおたん、ジャニオタだったっけ」

「ジャニーズも2.5次元俳優もイケメン好きですよ、宮島先生は。この間刀剣〇舞のミュージカルのために大阪までいったって」

「それはいいけど、三次元の男性とお付き合いしたことはあるの?」

「む、村越先生だって」


急に自分に話を振られて、茉莉花は慌てた。

「あ、あるわよ私は」

「宮島先生、人のことはいいから」


芽衣の容赦ないセリフに、佳織は「ぐえ~」と喉から変な音を出した。

追い討ちをかけるように、芽以は言い放った。

「まりか先輩も宮島先生も、アラフォーなんですよ。自分の年齢のこと自覚してくださいよ」

アラフォーと呼ばれた女子2人は顔を見合わせた。反論できなかった。


 新人講師も、気がつけばここ3年募集がなかった。

やめる講師がいないということは定着率が高いともとれるが、新人講師を雇えるほど生徒が増えていないということの表れでもある。4年前に入社した沢田かのんは、音大ピアノ科卒でありヤマハのトリプル3級グレードを持つ期待の星だったが、楽器店講師は週2日しか入れず、ほかの日は近所の整形外科の受付のアルバイトをしている。せっかくのトリプルグレードが全く生かせない教室しか担当できないので、「あたし、長くないかもです」などといつも言っているくらいだった。


かのんとは、「さんかわ駅前センター」の同じ曜日で稼働していることもあり、なんとなく仕事が終わったあと、2人で夜のスタバで話すという流れが出来ていた。

 西畑社長から音楽教室の閉鎖話を聞いた翌週の火曜日。

「さんかわ駅前センター」の稼働日、生徒のいない空き時間にLINEメッセージが入っていた。


「いつものスタバで   のん」



かのんからだった。同期の芽以とは「のんめいコンビ」と呼ばれているが、辛辣な芽以と、おっとりなかのんでバランスが取れている。茉莉花にもなついていて、「まりかさんお茶しましょう」「ランチいきませんか」とよくかのんから誘われた。

 話は多分、今後どうするかということだろうな、と、茉莉花は思い


「りょ」


というメッセージと、「リラックマ」のスタンプを送った。


 その日は、最後の時間帯の高校生が風邪で休み、茉莉花のほうが先に終わったので駅前のスタバにいって待っていた。

かのんは、普段より遅れてやってきた。

「すいません、グレード試験の課題見てたら延長になっちゃって」

「お疲れ。まだ何も頼んでないから一緒に行こう」

「え~?まりかさん先に頼んでもらってよかったのに」

かのんの明るさは、いつも救いだった。


結局茉莉花は、スターバックスラテのトールサイズにアメリカンワッフル、かのんは期間限定のオレンジビターチョコフラペチーノとスコーンを頼み、テーブルに戻った。

「お疲れ~~~」

ラテのマグカップと、フラペチーノのプラカップをぶつけ、乾杯をした。

「ああ~~、これヒットかもぉ」

冷たいフラペチーノを満足そうにストローで飲むかのんを見て、茉莉花は震え上がった。

「寒いでしょ?」

「寒くないで~す。グレードの生徒に怒ったあとだから、暑い。走ってきたし」

そういえば、店についたばかりのかのんは、息があがっていた。

「グレード指導って大変よね。うちの生徒、初見奏が全然で心配」

「疲れるし、生徒やる気ないし・・・やめちゃおうかなぁ、ちょうど区切りだし」


まるで「牛丼買って帰ろうかな」というようなノリで、大事なことをさらりと言ってのけたかのんに、茉莉花は驚いた。こういうのが「今時の子」なのかもしれない。だが、さすがにかのんの場合はそうではなかった。


「婚活にも本腰入れなきゃ」


また、婚活か。やはりそれは考えるべきなのか。今まで結婚を考えてこなかった茉莉花は、ため息をついた。

「だって、のんちゃん・・・まだ」

「まだ26.もう26、です」

「えええ、私なんて」

「まりかさん…37?8?…うわぁ、ちょっとやばいかも」

「かのんちゃん!」

「ディスってないです。事実です」

かのんは真面目な顔で茉莉花を見つめた。

「芽以ちゃんが言ってた通りですよ。佳織先生みたいに前に婚活してて休憩してたならともかく、まりかさん全然動いてないんだもの。それとも」


 かのんの黒い丸い2つの瞳が、茉莉花の瞳をとらえた。

「結婚しないで自活する覚悟をしてるんですか?」

 思いがけない問いだった。自活する。考えたこともなかった。学生時代からずっと自宅から出たことがない。今の職場は大学4年の時に、同門の先輩で退職する人から紹介してもらった。

「結婚が全てだなんて思ってないけど、まりかさん暢気すぎるから心配なんです」

「そんなに、暢気、かなあ」

「まりかさんのこと好きだから本音を言っちゃいますけど、かなり暢気すぎて本当に心配です。

 これからの人生をどうしたい、とかって、考えたことありますか」


 大学の同期は結婚していたり、子どもがいたりする。結婚はいつかすると思っていたし、子どもも産んで育ててみたいとも思っていた。だが、そのための準備も何もしておらず、仕事もどうなるかわからない。

 父が退職してからも、母は茉莉花が中学生の頃から働いているお饅頭屋でパートを続けていた。それも、父が倒れてから介護のため日数を減らした。70近い母にあまり無理させることはできない。

 弟のところは、ゆきねがまだ子を産みたくないと言っていて子どもがいない。パート仲間の孫の話についていくのもつらいのではないか。

自分は、何も考えてこなかった。自分の年齢も、先のことも。そのことに全然気づいていなかったのだ。

これからどうしたいんだろう。茉莉花は、急に自分が一体、本当は何をしたかったのかがわからなくなった。

「アラフォーだから?」

「それもあるけど、それだけじゃないです。佳織先生とまりかさんはすっごく危ない、ってのは、みこ先生も言ってた。だからって」

かのんはフラペチーノをストローで啜って言った。

「頼まれてないのに自分がだれか紹介するのも違うって、みこ先生が」

そこまでお節介ではない。それに、同僚に結婚相手を紹介されるのは、たとえあちらの方が年上でも茉莉花としても気まずい。

「教室の閉鎖は決定事項ですし、まりかさん本当に動いた方がいいです」

かのんは心配してくれているのだと分かっても、茉莉花は頭が働かなかった。

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