第三話~戦慄の講師会議

金曜日の講師会議がやってきた。

 音楽教室は、大手の楽器メーカーのフランチャイズではあるが母体になっている「錦城堂書店」が開いていて、市内のあちこちに教室を持っていた。だが、音楽教室の方はこのところ業績は芳しくなかった。退会者が多く、新入生が入らない。新しくできたショッピングセンターに楽器店系の別の音楽教室が入ったことも、減少に拍車をかけていた。

そのため、錦城堂はついに、音楽教室業務から手を引くことにしたと社長直々から宣言された。



「年内に、すべての音楽教室業務から撤退します」




ギョロ目でガタイがよく、書店オーナーにはとても見えない錦城堂書店の社長が、そのギョロ目を見開いたまま静かに宣言した。もともと音楽教室の講師会にはほとんど出席することがなく、講師たちの中には、社長をあまり見たことがないものもいた。そういう、ほとんど関わりのない人間から一方的に、業務撤退を言い渡されたことに、実感がわかないのも無理はなかった。ぼそぼそ、ぼそぼそと講師たちの不安な声があちこちで聞こえて来た。



社長の西畑は、講師たちを見回して言った。


「皆さんには突然の話で不本意かもしれませんが、撤退は決定事項です。営業課は学販担当者のみ書店本部へ異動することになります。講師はこちらでは引き取れませんので各自身の振り方を考えていただくことになります」

無情な通達に、悲鳴があがった。本部は自分たちを完全に切るつもりだ、そこまで音楽教室の業績は悪かったのかと、誰もが暗澹たる気分になった。

 その後分かったことだが、音楽教室の「音問題」から撤退を余儀なくされた会場が複数あったり、錦城堂書店としては英語教室と幼児教室に力を入れたいという希望があること、実際に新規入会者がゼロの会場もあるなど、ことは単純ではなかった。英語教室のまとめ役は西畑の長男で、音楽教室の売り上げの悪さを散々突っ込んでいたことも分かった。



 茉莉花が週3日稼働している、「カルチャー常町」には音楽教室以外にそろばんと英会話教室と個別指導塾があった。カルチャー常町の営業担当の尾関が、茉莉花にこんな話をしてきた。

「錦城堂本部は、カルチャー常町で乳幼児のリトミックのクラスだけ残すといっています。村越先生がリトミックを担当する気があるなら、残ることはできるでしょうね」

 茉莉花はため息をついて首を振った。リトミッククラスは入社後の数年、サブインストラクターとして稼働した経験がある。メインインストラクターの資格を取らなかったのは、幼児のグループは向いていないと感じたからだ。メインインストラクターの先輩講師からも「村越さんは乳幼児向いてないわね」と言われてしまい、次の年度のサブインストラクターの声はかからなかった。


 ほかにも尾関は、書店の販売員や書店が持っている個別指導塾の受付業務を提案してきたが、茉莉花はとりあえず保留してもらうことにした。


 カルチャー常町以外に茉莉花は、教育熱心な生徒が多い「さんかわ駅前センター」と、古くから稼働している「下浦保育園教室」で稼働していた。


「さんかわ駅前センター」はコンクール上位の生徒や、音楽高校、大学へ行く生徒も輩出してきた。文教地区で教育熱心な地域のため、習い事をかけもちする子どもも多く、曜日内での生徒の移動が多い教室だった。またお受験でやめる生徒が多い教室でもあったが、3年前に首都圏から大手の中学受験塾が進出した頃から生徒の退会率が上がって問題になっていた。この塾は低学年から生徒を抱え込むタイプの塾で「習い事は早々に全部やめてください」と保護者に伝え、低学年から合宿などをびっしりやらせる塾だった。そのため、近隣のほかの習い事教室が軒並み潰れているという話を、生徒の親から聞くこともあった。

「下浦保育園教室」は、大手音楽教室でも時々ある、集客のために幼稚園や保育園の教室を間借りして行う音楽教室の1つだった。幼稚園・保育園会場の音楽教室は、預かり保育のある幼児のグループレッスンが多く、必ずしも近所の通える範囲の生徒ばかりではない。遠方の生徒は卒園とともに退会することも多い。それでも、下浦保育園に通う子どもたちの保護者は習い事に理解がある人が多く、また地元で昔から経営している私立園で親同士の情報網もあるため、比較的講師の質も揃えてあったことから、出入りが少ないという珍しいケースだった。コンクールに出るような子はいないが、たまに地元の中学で合唱コンクールの伴奏をする子がいる、というくらいの、茉莉花にとっては一番やりやすい教室でもあった。そのため、茉莉花の週6日の稼働の半分はこの下浦保育園教室だった。


 大学の同門の後輩の長坂芽以が担当している杉崎幼稚園は、音楽教室よりもキッズダンスの教室が人気で生徒が集まらなくなっていた。現に、芽以が担当している水曜日は今期、新入生が全くいなかった。

 「まりか先輩、私、妊活してるんです」

 「にんかつ?」

謎の言葉に、芽以は説明した。2年前に結婚した芽以は、子どもを産みたいと考えていたが、子宮筋腫を患っていて妊娠しにくいのでマタニティクリニックなどに通っているのだそうだ。

丸顔でぽっちゃりした芽以の顔を茉莉花は見つめた。

「今のマンションに引っ越してからどこの教室も遠くなっちゃったし、出産を考えたらここでやめるのがきりがいいのかもしれないなあって思って」

「芽以ちゃんそんなこと言わないでよ、寂しいよ」

「でもヤバイって話聞いてたし、やっぱりなって。私だって20代のうちに産みたいですし。先輩も最後のチャンスだから婚活したほうがいいんじゃないですか?」

 黒髪ロングヘア、「天使」と学生時代呼ばれていた芽以は、見た目とは裏腹にかなり辛辣だった。

「こんかつ?」

「まりか先輩が言うと、”とんかつ”に聞こえる」

「芽以ちゃ~ん」

「ていうか、動き出すの遅いくらいですよ。昔お父様が全部縁談潰したって話は聞いたけど、それもう何年前ですか?今から婚活して、40前に結婚できます?40過ぎて妊活?う~ん」


一気にまくしたてられ、茉莉花はげんなりした。

「西村先生が心配してましたよ。”まりっかはなかなか動かないから。あいつは動かざること岩のごとしだ”って」

口の悪い担当教官で恩師である、西村邦義の顔を思い出した。父の葬儀の少し前から、レッスンからも足が遠ざかっている。不義理をしている恩師に申し訳ないと思う気持ちはあるが、いろいろなことが押し寄せて思考停止になっていることを茉莉花は認めざるを得なかった。レッスンに行けないのも実際に、練習出来ていないからというのもある。だが、それ以上に慶太に言われた家を出る話の先行きが分からない茉莉花には、ピアノどころではなかったのだ。

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