第11話 愛でても地這う犬の屈辱は変わらず
同時刻、釜無椎可は心廻とはそう遠く離れていない地下駐車場のエレベーター用エントランスにいた。脱力した姿勢でその手にはショッピングモールには厳つすぎる手斧がぶら下がっている。片手で雑に握ったその立ち姿は隙だらけに見えるが不気味な威圧感を放っていた。
そしてそんな彼女の対面に立ち塞がっているのは見た目はスラッとした顔立ちに、薄く光を反射する綺麗な金髪といういかにも外国人な二人の男女。先日心廻がカフェで出会ったケイトとドミニクの二人だ。当然その事を釜無は知るよしもない。
「待ち伏せしてるかと思って警戒してたんだが……結局今の今まで何もしてこなかったな、おまえら」
釜無は心廻と待ち合わせ前の時点で、ショッピングモールにて待ち伏せされているのを察知していた。そこでおびき寄せようとしたり、誘い出したりと、他にも心廻に気づかれないよう気を付けながら相手の出方を探ったが結果として何もなく、押しても引いても来ないのでどうしようもなくなっていた。
ドライブが終わった時には、敵意が無いと判断し、そのまま何食わぬ顔でショッピングモールに入った次第だった。
「いや、いくら人でなしの身とはいえ、流石に運転中の人にちょっかい掛けるとか危ないじゃん……」
「お前なぁ……えーっと、ここは既に人払い済みです。店内は俺達含め、関係者以外立ち入り禁止にさせて貰いました」
「お察しの通り『聖遺物』だ。『
「しょぼい時間制限付きの現実改変だから影響は少ない。安心してくれ」
「その分融通が利く、関係者枠を心廻とクロエの二人にしたりね。何かと便利だから重宝してるよ」
世間一般の常識として「客は売り場にしか入らず関係者以外立ち入り禁止区画には入らない」ではその常識に「売り場すらも立ち入り禁止と現実改変を行われた」なら店に客は入れなくなる。加えて「関係者枠も改変し心廻とクロエ以外入れない」と定めた。
結果として現在それまで店内に居た人々は「そもそも店内にいなかった」と現実改変が行われ、ショッピングモール内は心廻とクロエ二人だけの会敵の場となってしまっている。
当人達はしょぼいと卑下しネタを早々に割ったが、釜無から見て充分に強力な部類の『聖遺物』だった。
「心廻君当人は、相当パニックになるかもしれないけど、今回彼が殺されるってことは絶対に無い。ドミニクが彼に恩があるからね。彼女、臓腐クロエに手を貸す条件にそこは最低限保障してもらった」
つらつらと自分が命名した『
「そりゃどうも」
しかしそんな事を知ったこっちゃない釜無としては、目の前に現れた二人組に対して生返事をするしかなかった。
そう、ショッピングモール内に居た筈なのに駐車場に転移させられ、再び入ろうにも二人が立ち塞がり、足止めを食らっていた。しかし逆に言えば、立ち塞がるのみで心廻自身には危害を加える様子が無かった。
理屈としては合点がいったが、だからといって右手に握られた手斧を仕舞うつもりはない。
釜無としては、今回の護衛を願望機を有する『聖遺物』を見つけ出す釣り餌の認識だったからだ。(ナズナには悪いが)
そして餌に食いついた獲物をみすみす逃すつもりは毛頭ない。
「それで、あたしをここに留めて、あいつは中で何をさせるつもりだよ。場合によっちゃぁ……」
「二人きりで話したいんだってさ。男女の密会だし、駆け落ちしたりして」
「ケイト、そう縁起でもない事を言うな。もし本当にそんな事になったら、俺達明日を迎えられなくなるから。土の下だから」
イマイチ緊張感に欠ける二人だった。
何だか気の抜ける相手だが、この聖遺物事変関わっているのは確かで、しかも臓腐クロエがすぐ目の前ならば止まる通りはない。その手に握る手斧を構え釜無椎可は、宣戦布告する。
「まぁいいか、手掛かりが、臓腐クロエがいるなら逃す手はない。見ず知らずで申し訳ないが押し通らせてもらうよ」
────
彼女の告白に殺意の視線を向ける。しかし当のクロエは、公園での初対面の時とは変わってしまった心廻を残念がるように、年不相応な少女らしからぬ寂し気な笑みを浮かべていた。
「もう前みたいにお喋りする気はなさそうだね」
「当たり前だろ。俺が聞き入れるのは辞世の句だけだ」
「聞いてはくれるんだ。優しいね」
こちらは許し難き、憎き仇敵だと睨んでも、当のクロエあくまで好意的に接されて調子が狂う。
「…もう黙ってくれ」
クロエの言葉を真実を知った今では神経を逆撫でしかしない。怒りのあまり浅くなった呼吸を無理矢理抑え込んで殴りかかろうと試みる。しかし意思に反して、身体は動かず咳込んでしまう。その様子に気にした素振りも無く、勝手にクロエはひとり話を続ける。
「そんなに私が憎くてぶっ殺したいんだ……でもただの一般人ではそれは難しいよ、どうしようね?」
「……そうだ!こんな話はどう?欲望に手が届きそうで届かない、そんな君に朗報。何でも願いを叶える願望機の存在、これを使えば簡単に無慈悲に蚊でも殺すかのように私を葬れる」
「そして君に提案。この願望機を君にあげる。おめでとう、君の願いは成就する」
唐突なたとえ話をしながら、クロエは此方に近づき目の前でしゃがみ込む。すぐ目の前で端正なアルビノの赤い瞳がこちらを見つめていた。その眼は心廻がなんて答えるか興味深そうにじっと観察しているようだった。
……例えのように本当に『聖遺物』を譲るとは思えないが、もし、今現在言われたように手が届きそうなのに届かないこの状況。手が届くのなら自分は『聖遺物』に縋るだろうか?
すぐに答えは出た。
「……いらない、そんなもの」
「理由を聞いても?」
「───俺にとって願いは望むものじゃなく、臨むものだ。叶えて貰うなんて虫が良すぎる」
「保身主義の君なら気に入ると思ったけど、それは残念」
たいして残念でもなさそうな顔で、クロエは薄ら笑いを浮かべる。こちらの事など何でもお見通しという顔だ。心廻は若干の怒気と皮肉を混ぜながら言葉を続ける。
「何でも手に入るというのは何も為せない。失えないのはその手に持っていないのと同じだ。残るのは虚しく光る願いの残滓だ。……そして復讐は自分の手で行ってこそ意味がある」
「ごもっとも、そして私はそう言い切っちゃう貴方が案外好きだよ?」
「俺はお前が嫌いだ」
まだ這いつくばった身体は動かない。気力で精一杯睨みつけるのが精々で、会話でも虚勢を張れるのみだ。
「この前会った時は、もう少し気安かったのに…」
「自分の親を殺した奴と仲良くなる程、人でなしじゃあないんだ」
「わぁ、耳が痛い。…でもその様子だと、やっぱり昔の事を少しは思い出したのみたいだね?」
「どうかな?全部思い出したかもよ?」
「嘘吐き、じゃなきゃ薄情者。バリーの事を思い出せてたら、貴方の怒りはこんなものじゃないでしょ?」
『バリー』という名前を出された瞬間、心廻は頭痛に襲われた。未だ蓋をする記憶の痛みと共に脳が一つのある情景を形作る。
目の前に犬が居た。否、それを幻視する。記憶の中の情景と現実の視界が重なり、クロエと大型犬がこちらを見ている。その視界にここ最近度々感じた懐かしさを覚える事に心廻は混乱する。
思い出せない愛犬の名前を確信する。だが『バリー』が生きていたのは事件前である事に気づく。そして何故か共に並ぶ二人に既視感を覚えてしまった。それらの情報は反射的に心廻にある結論を辿り着かせる。
………もしや彼女と
「………考えてみれば当然か。六年前の事件は無差別な猟奇殺人じゃない、見ず知らずの俺だけを生かす理由が無いからな。逆説的にお前は俺の事を知っている。知っていなければ
一応の筋は通る……が、文字本当なら我ながら自分が今生きてる理由も事件前の大事な
「驚いた。否、おののいた。そうだよ、君達と私は知己だった。君を活かす温情を掛けるほどに、口封じに君の親を殺すほどに。でもそれも六年前までの話。忘れられたらどうしようもない、仕様がない。口封じをする相手がいないなら殺しようもない。
碌にまとまらない頭で一息に吐いた自分の推測をクロエは進んで補足し肯定する。当てずっぽうに近いので称賛されても嬉しくないのと同時に、彼女の生かされたという新事実に未だ頭が追いつかなかった。だからこんな言葉を口にしてしまう。
「今度こそ俺を殺しに来たのか」
自分は無防備な状態で床に倒れ伏し、相手は事も無さげに見下ろしてくる。二人きりのモール内でのこの状況はただの人間と『遺人』の力関係を暗に示している。クロエの気分次第で六年前の事件をもう一度繰り返すことができるという事だ。
「勝手に死なれるならともかく私には殺せないよ、止められてるからね。ただ今回はコレを渡したかっただけ」
だが心廻の警戒空しく、クロエは否定の言葉と共に、ワンピースの懐から一通の押印のされた封筒を取り出す。
「……これは?」
「招待状、だよ。『聖遺物』による変革の世を祝う宴席のね」
「何をするつもりなんだ…?」
「私は人を、人類を『神秘』で染め落とす。……分かりやすくいえば人々をゾンビにするってとこかな?」
瞬間、心廻は昨夜ナズナに教えられた「人間の心臓を抜き出す」というゾンビの制作方法が脳裏をよぎる。死者の心臓を抜いて作られるそれは、死体を用意しなければならない。
しかし彼女はわざわざ墓を掘り起こすという意味でその言葉を宣言した訳ではないだろう。自分に温情を掛けた彼女ならと頭の片隅にあった甘い考えが吹き飛ぶ……それはつまり。
「俺の家族に飽きたらず、また人を殺すのか。でも何の為に?そんな事をしてお前は何を得られるんだ」
「……人は何かに縋りすぎる。君の質問も、私が好意的に接してるからもしかしたら交渉できるかもしれないって内心縋ってるからこそ出る疑問でしょ?……覚えておくといいよ、『遺人』も社会に説明できない『神秘』なら、その動機もまたは人の範疇に収まらない不合理なものなんだよ」
それまで心廻の言葉を懇切丁寧に答えていたクロエは、初めて質問に答えずはぐらかす。本能的に引いてはならないと判断した心廻は少しでも目的の手掛かりを得ようと食いつこうとする。
「────馬脚を露したな、つまり動機はあるってことじゃないか。『神秘』といえど『遺人』もやっぱり人間なんだな」
「そんな言葉狩りに私は動揺しないよ?」
「なら無視して招待状なんて送らず勝手にやってろ。俺も勝手にお前に復讐する」
「場を設けたいんだ。伊豆ナズナ、彼女には因縁がある。応じなければ彼女の願いは果たされない。本人もそれは分かってる」
唐突に出てきた名前に何故?と疑問符が浮かぶ。……否、伊豆ナズナが遺人ならば臓腐クロエもまた遺人。彼女の事を認知していてもおかしくはないが…
「これを君が彼女に渡す事に意味がある。これが私の意志でこの招待状の意義だよ。………じゃあね、私はなんだかんだ君とのお喋りは楽しかったから。きっとまた会う時を期待してるよ」
黙り込むしかない心廻を他所に、クロエは別れの挨拶をすると、招待状を一方的に渡す。そしてそのまま背を向け、来た道を歩いて戻っていった。
小さくなって行く後ろ姿が完全に消えるのを見届けると、身体の緊張が解け気付けば早鐘を鳴らしていた心臓の鼓動は正常に戻っていた。
心廻の胸中に残るのは何もできなかった屈辱と、恐怖によって小さくなってしまった敵愾心、そしてどこかほっとしている安心感だった。
自然と視線は俯き、手元が目に入る。その手には、赤い、赤い蝋で封をされた一通の招待状が握られていた。
────
『神秘』に生きる臓腐クロエといえど、別に瞬間移動などという芸当はできるという訳ではないので、心廻の用事を終えた後、当人は普通に歩いて帰路に着こうとしていた。というか瞬間移動なぞ、いくら遺人といえど神みたいなトップクラスでもなければ無理だ。
仕方なしに外に繋がる自動ドアへ向かってエントランスホールを歩いていると、ホール出入口には大抵すぐ横に設置されているエレベーターが地下駐車場から昇って来るのが目に入った。
「あれ?案外早かったね」
その一言と共に、クロエはその場から去らずに足を止めた。何故なら予感めいたものを感じたからだ。自分の身に危険が迫っていると、本能的に感じ取れた。
まもなくチャイム音と共に重い扉が開かれる。エレベーターの中からは一人の少女がゆっくりとした足取りで出てきた。
優雅にさもなくば大胆に、まるで「今から何処を回ろうか?」と本当にショッピングでもするセレブかのように、その眼は何かを探しながら歩く。ここまでならケイト達の『聖遺物」の効果が切れ、一般客が紛れ込んできたとも思える。しかしその少女の手には、可愛らしさとはかけ離れた、無骨な手斧が握られていた。
エレベーターのアナウンスと共に、扉が閉められる。すぐに相手もこちらに気づくとクロエと同じく足を止める。
静けさに包まれながら少女が二人、向かい合う。
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