第5話 Expose oneself
六年前、当時十歳だった心廻は事件の記憶を失っていた。ただ記憶がなくとも両親に二度と会うことが叶わなくない現実に耐えきれず、茫然自失な日々を過ごしていた。周りが言うには、目を離したら両親の後を追ってしまうのではないか心配になるほど危うく見えたらしい。自分はもう辛うじて朧気に記憶してるのみだが。その時、迷惑をかけただろうに友人や親戚の人が何て声を掛けてくれたか、何をしてくれたのかはもう記憶の遠い彼方に行ってしまった。
しかしあの出会いによって全てが変わった、始まったとも言っていい。それだけは鮮烈に覚えている。
「初めまして私の名前は伊豆ナズナ。最近引っ越してきたんだ、仲良くしてね!」
「うん?せっかくお隣さんになるんだ。そう暗い顔をされたら堪らないよ。しょうがない、君に私の秘蔵お菓子あげる。ほら元気出して」
その遠慮なく、しかし根本は優しさに満ちた友人のおかげで自分は少しずつ立ち直れたのだ。
口には出さないが姉の様に、でなければ親の様に慕っていた。
少し恥ずかしい話だが彼女のおかげで今、心廻は存在する。
───
「彼は違うよ」
その言葉と共に気配もなく突然現れた様に感じた。
否、本当に現れたのだ。でなければ黒髪の少女が振り下ろした手斧を蹴る際、地面を踏み締める砂利の音が聞こえない筈が無い。
しかし、彼女はそんな事お構い無しにと斧頭を踏み抑えたままで、話を続ける。
「久しいね
「なに?」
「君が感じとった『神秘』は申し訳ないが私の残滓だ。目の前にいる彼は人間だよ」
理解が追いつかない。いや、理解はできているがそこに感情が追いつかない。今不可思議な現象に振り回され、自分の知っている伊豆ナズナ本人なのか顔を見て確認するのが恐ろしくてできない。
言葉通りに受け取ったら「ナズナが人間ではないみたいではないか」そんな恐怖に包まれる。
「彼は私の友人でね、親しい間柄なんだ。この件には関係ないよ」
「……あんたがそう言うなら信じるよ。だけどもう一度聞く、あんたが何で今ここにいる?」
抑え込まれてびくともしない手斧から未だ手を離さず、苦虫を噛み潰したような顔で釜無と呼ばれた黒髪の少女が尋ねる。その口調から二人は顔見知りの仲なのが察せられるが心廻にとっては初めて見る顔だった。なので質問の意味も外野である心廻には分からない。
「貴女が早とちりしそうだったから駆け付けただけだよ」
「……わかった、その男も含めてこれ以上は追求しないよ」
普通の会話だと思ったが、どうやら話し合いは終わり、暗黙の協定は結ばれたようだった。状況に置いて行かれてる心廻は命の危機は脱したであろうことは辛うじて認識できた。
「迷惑をかけるね。はいこれお詫び」
「これは……」
「きっと役立つよ」
そう言うとナズナは、一枚のメモ用紙を取り出す。傍目から見てもかなり書き込まれて大切そうなメモを躊躇いもなくそのまま渡す。
「随分アナログだな」
「秘密保持というやつだね」
「『神秘』に秘密とか意味あるんだか…」
手斧から手を放し、渡されたメモをじっと見つめる釜無と呼ばれた少女はおもむろにスマホを取り出すと、メモをカメラで撮ってしまう。写真のブレがないか確認した後、受け取ったメモをそのまま突き返す。「アナログもデジタルも両方変わらない」とでもいうように皮肉を込めての行動だと見受けられた。
「返すよ、じゃあな」
そう言うと釜無はそそくさと手斧をしまって去っていった。あっさりとした別れにすっかりメモを渡す気でいたナズナは困った様に苦笑する。そしてついに地面に倒れこんだまま蚊帳の外だった心廻に目を向ける。
「さぁ、待たせたね心廻」
息を詰まらせながら、勇気を振り絞って幼馴染の顔を見る。向けられた顔は六年間見てきたものと何も変わらなかった。
───
「さて、六年来の長い付き合いの私達だけど私も乙女だからね。秘密の一つや二つ隠し持ってるのは当たり前……なんて、前もって言い訳させて貰うね。」
彼女はあくまでも普段通りに振る舞う。その変わらなさがかえって自分には不気味に見えてしまう。
「心廻は私が神様だと言ったら信じる?」
その言葉は余りにも荒唐無稽なものであった。しかし幼馴染の恩人かつ友人が放った言葉だ。茶化しようにも直近の出来事のせいで真実味を帯びていた。
「す、救いの神なのは確かだな。でもそんなサプライズずっと隠してたなんて人が悪いとは思う」
怯えを隠して何とか普段通りに振舞えているだろうか、喉が震えているのがバレてないか不安になる。
「そもそも何で神様やってるやつが学生生活謳歌してるんだよ……」
今起きた出来事について、本当は聞きたいけど訪ねるのが怖くてつい話を脇道に逸らしてしまう。
「いや、ちょっと見栄張ったけど正確には元神様なんだ」
「元?」
「うん、六年前に辞めてね。円満退社みたいな感じかな?こっちに越して来る前の話だし……今はもうただの人とそう変わらないよ」
ナズナとは長い付き合いだ。実際に見栄を張っているのはこちらだとお見通しだろうに、逸らした話を指摘せずに、乗ってくれる。
「神様ってのは、組織性なのな」
「日本には昔から八百万の神なんて言葉があるでしょ?」
「そう言われればそう不思議じゃないな」
「でしょ?……ふふっ」
「ははは」
「………」
「………」
沈黙が痛い、空元気もここまでのようだ。幾らか恐怖は和らいだが、相手の真意が分からない。相手の心意が分からない。警戒してる相手に気を使われるのが我ながら情けない。そんな様子に見かねたナズナが本筋を切り出してくる。
「聞きたい?さっきのこと」
「………ッ」
「いや、知って貰わなくちゃならない。例え信ずるに値しなくても、荒唐無稽な話でも、心廻の身の安全のために話さなくちゃいけない」
その言葉でようやく、ナズナの顔を見れた。その眼は初めて会った時と変わらずこちらを心配していて、例え相手が常識外の存在だとしても、幼馴染として慮っているのが心廻は心から理解できた。次第に恐怖が、緊張が解けていく。
現実逃避はこれで終わりらしい。頭を回すときが来た。喉元からせりあがりそうな恐怖心を飲み込む。これ以上気を遣わせてしまうのは申し訳ない。
伊豆ナズナは幼馴染として接してくるのなら
「気になって仕方ないよ。だから教えてくれ」
「……いいの?」
「いくら保身的な奴でも、流れに歯向かって変わるべき時に変わらないという選択は、その時点で変わってるのと同義だ」
今言った言葉通りだ。人は環境と時間と共に変化していく。あるべき変化を受け入れない程、自分も愚かでない。ただそれが衝突事故として襲いかかってきただけだ。
だがナズナとしては心廻の答えが予想外だったらしく、驚いた顔でポカンと口を開けている。
「何それ、変わってるね」
「ナズナによく言われた言葉だ」
その時、ナズナは困ったような苦笑ではあったが、今日初めての笑顔を浮かべる。やはりこの幼馴染は笑っていた方が可愛い。不意の笑顔に目を奪われながら内心でそんなことを考えていたからか、
「……変えてしまったのは私のせいなのかもね」
「なんか言ったか?」
「ううん、何も」
最後の言葉は小さくてよく聞こえなかった。顔を背けられてセミショートの髪が揺れる。何と言ったか一応尋ねても、改めてこちらに向き直ったナズナはいつも見る笑顔を浮かべて、話を進めてしまう。
「まぁ、今日は日が暮れてるし、とりあえず帰ろっか。詳しい話はうちでしようよ。今日は休みなんだし、久しぶりにお夕飯一緒に食べようよ」
「いいけどシャワーは先に浴びさせてくれ。走って汗でベトベトだ」
「家は隣なんだしちゃんと作るの手伝ってよ?」
「わかったわかった」
その後のやりとりは存外普段するものと何ら変わらなかった。
ただ変わらないはずなのにやけに暖かく感じたのはきっと、今日の出来事を経てもお互いの関係が変わらなかった事実が心廻には嬉しかった。
受け入れざるを得ない。幼馴染、恩人、友人関係なく、自分にとって伊豆ナズナは大切な人なのだと。
そんなことを思いつつ、先を行くナズナの後ろをゆっくり追いながら共に帰路に就くのだった。
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