第169話 柚月の激辛特訓

 日曜日のお昼頃。海里は綾佳、柚月の三人で都内にあるお店に来ていた。


「柚月ちゃん、無理しなくてもいいんだよ?」


「大丈夫です。練習で狼狽えていたら、撮影の時に成功しませんので」


 柚月は強気に話しているが、よく見ると手が震えて顔も引き攣っている。理由は簡単だ。彼女が練習と言って食べに来たのは激辛料理店だからだ。


 話は今朝のことになる。


 海里と綾佳は休日だからといって遅くまで寝ていない。普段の平日と同じ七時には起きて、三十分後には朝食を食べていた。


 ちょうど二人が食べ終えたタイミングで、綾佳の携帯に柚月からメールが届いた。


『綾佳先輩… 私、激辛料理が苦手なのに、挑戦する番組に出ることになってしまいました。練習するので、一緒に付き合ってください』


 苦手なら断ればいいのだが、柚月には謎のプライドがあるらしく断らなかったらしい。


 綾佳は柚月に、『いいよ!』と一言返信した。

 

 今に至る。


「それにしても、綾佳が激辛料理が平気とは知らなかったよ。家で見たことないし」


 綾佳と同棲して五ヶ月が経った。その間、彼女は自分の目の前で激辛系を食べていなかった。なので、ここにくる時に平気だと知り驚いた。


「家でも食べてもいいんだけど、海里くんって辛いもの苦手でしょ?」


「まぁ、多少はね。でも、レトルトの大辛くらいなら食べれるぞ!」


「レトルトの大辛とは、まだまだ海里くんは甘いね〜」


 綾佳は チッチッチ と人差し指を左右に振りながら言っていると、柚月が海里にジト目を向けて口を開いた。


「私が言うのもなんですが、海里さんは来る意味なかったのでは?ただのお金の無駄です。今すぐ帰ってもいいですよ。私は綾佳先輩と二人で練習しますから」


 柚月はスラスラと辛辣な言葉を言ってきた。


「相変わらず、柚月ちゃんは厳しいね。だけど、俺が帰るとなると綾佳も帰ることになるからな」


 海里は腕を組みながら、口角を上げて言った。

 海里がそう言うと、柚月は隣にいる綾佳に、「嘘でしょ?!」という感じに視線を向けた。


「仲良くしてくれるなら帰らないから…ね?」


 綾佳は頬を掻きながら苦笑して、柚月に言った。


「分かりました…綾佳先輩を今ここで失いたくないので、滞在を許可します」


「ほんと可愛くないな。もう少し、後輩らしく可愛く出来ないのか?」


「………綾佳先輩、早速、店内に入りましょう!」


 柚月は数秒無言でいると、綾佳に視線を向けて微笑しながら彼女の手を引っ張りお店に入店した。


「はっ?!おい、無視すんなよ!!」


 海里は柚月に向けて叫びながら(小声)、二人の背中を追って入店した。



 お店に入り、席へと案内された三人は早速注文するためにメニューを開いた。ちなみに席は四人席で、綾佳は柚月とペアーになり、海里はその対面に一人で座っている。


 このお店の自慢は激辛麻婆豆腐セットで、挑戦者は今のところ片手で数えられるほど。そして成功者は一人もいなかった。


「それじゃあ、私と柚月ちゃんはこのセットを頼むけど、海里くんはどうする?」


「二人が激辛に挑戦しているのに、一人だけ甘えているのはアレだから、俺もそれにする」


「はっ…女の子の目の前だからと言ってカッコつけなくてもいいぞ。あなたは甘口の奴でも食べてればいいのです」


「そんなこと言って、柚月ちゃんだって体が震えているよ…ね?」


 柚月の体は明らかに震えていた。それは激辛に対する挑戦の武者振るいではなく、怖さによる恐怖に見えた。


「これは…武者振るいですよ!!」


 が、柚月はこう言っているので、海里は心配することをやめた。


「それじゃあ、みんな同じでいいね!」


 綾佳は確認すると、店員を呼び注文をした。


 注文をしてから数分後、海里たちの席に麻婆豆腐セットがやってきた。すると、匂いを軽く嗅いだだけで、額から汗が溢れてきた。


「これは…なかなかやばそうだな…」


 海里はそう言いながら二人の方に視線を向けた。

 柚月はスプーンを持ちながらぶつぶつと何か言っており、綾佳に至っては目を輝かせていた。


「流石、激辛マスターだな。これくらいじゃ、動じないのか」


「もちろん!さっ、早く食べよ!」


 綾佳は手を合わせて挨拶をした。海里と柚月も後に続いて挨拶をする。


「うん〜!なかなか痺れる辛さだ!だけど、もう少しだけ辛さを追加してもいいかな」


 綾佳は一口食べると頬に手を当てながら満面の笑みをしていた。


「………っん!!からっ…やば、水!!」


 海里は意を決して一口食べると、すぐに唇がヒリヒリして汗も大量に出てきた。手元にあって水を一気飲みした。


「私は出来る…私は食べれる…私は仕事なら食べれる…」


 柚月は自己暗示をしながら一口食べ、そしてすぐに手で口を覆った。そして海里同様に手元にあった水を一気飲みした。


「なにこれ……本当に食べ物なの!?」


「この世の食べ物ではないな…これを食べれる人がヤバすぎる…」


「奇遇ですね。私も同じことを思ってましたよ」


 海里と柚月は不敵な笑みを浮かべながら、視線を一人の方に向けた。それは苦痛もなく、楽しそうに食べ進めている綾佳だ。


「本当に辛くはないのか?」


「うん!全然余裕で食べれるよ!」


「綾佳先輩、何か食べるのにコツはありますか?」


「コツか… 辛いのが苦手な人の気持ちが分からないからアドバイスは出来ないな…強いて言うなら、我慢と気合かな?」


「結局、根性論になるのかよ…」


「我慢と気合…分かりました!私、頑張ります!」


 柚月はそう言うと勢いよく麻婆豆腐を掬い、白米と一緒に一気に掻き込んだ。それを数回繰り返していくと、彼女の麻婆豆腐は半分以上減った。


 綾佳も負けじと食べるスピードを早めて、彼女も柚月と同じく半分以上減った。


 一方、海里は二人の様子を見ながら自分のペースで食べ進めていたが、すでにギブアップ寸前だった。


「やばい…口がヒリヒリして痛い」


 海里は口元を触ると少しだけ腫れているのを実感した。やはり自分は激辛は苦手なんだと思った。


「海里くん、無理しないでね?」


 綾佳は心配そうな表情をして、海里に話しかけてきた。その時には彼女のお皿は綺麗になっていた。


「そうだな。俺はもうギブアップするわ」


「お疲れ様!海里くんにしては食べた方だね」


「確かに半分行けただけでも、成果としては大きいかもな」


 と、綾佳と話をしていると、もう一人の挑戦者である柚月がスプーンを置き食後の挨拶をした。


 なんと、柚月は綾佳の言葉通り我慢と気合だけで食べ切ったのだった。


「おぉ!柚月ちゃん、完食おめでとう!!」


「ありがとうございます。これで、私は本番の撮影にも望めそうです」


「オンエアされるの楽しみにしているから、頑張ってきてね!」


「もちろんです!!」


 柚月は胸の前でガッツポーズをしたあと、追加されていた水を一気に飲み干した。


 こうして無事?に、柚月の激辛特訓は終わった。


 ちなみに、完食した場合の成功特典はお口直しの杏仁豆腐だった。

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