第123話 軽食を食べるはずなのに

 居酒屋を出発した海里と綾佳は、北島が運転する車でマンションの駐車場に着いていた。


 柚月は先に家に送ったので、ここにはいない。

 送った時に、『私も綾佳先輩の家に行きたいです』と駄々こねていたが、北島が手を前に出しながら首を振って来るのを止めていた。


「では、今日はお疲れ様でした。綾佳さん、もう夜十時近くなんですから、お腹空いたからと言ってがっつり食べるのは控えてくださいよ」


「あはは… その、軽食はいいですか?」


「はぁ… 軽食なら妥協しましょう」


「寺本さん。貴方も綾佳さんに負けないように頑張ってくださいよ。ここからは、寺本さんしか見張れる人がいないので」


「ははは… 分かりました」


 海里は頭を掻きながら苦笑いをした。


「それでは、私は帰りますので」


 そう言うと、車の窓を上げてエンジンをかけた。

 そして、車が出発した。


 北島を見送るように、海里と綾佳は車に向けて手を振った。


 部屋に入ると、綾佳はすぐに荷物を椅子に置き、キッチンへと向かった。

 海里も同じく荷物を椅子に置き、監視の意味で綾佳の横へと立った。


「さて、軽食は何にしますか〜?」


 綾佳は首を傾けながら、海里の方を見た。


「冷蔵庫の中身を見ないと分からないな」


「よし、中身を確認しよう!」


 海里は頷き、冷蔵庫を開いた。


 冷蔵庫の中には、飲み物が二種類と前日に残ったご飯、鮭フレーク、あと野菜類があった。

 この日に限って、冷蔵庫には物があまり入っていなかった。


「ご飯と鮭フレークがあるから、おにぎりにでも作る?」


「う〜ん… おにぎりか…」


 海里が悩んでいたのは、おにぎりを食べてもいいものかということだ。


 北島からは、『軽食で妥協します』と言っていたが、そのあとの、『見張れるのは君だけ』という言葉にプレッシャーを感じていた。


 さらに、ここでおにぎりを食べて仕事に支障が出たら、自分の所為になると思ったのだが———


「海里くん… おにぎり食べたい…な?」


「………っ!?」


 突然の上目遣いのお願いに、海里は謎の攻撃を受けて気がした。


「ダメ… かな…?」


 さらに手を握って、自分のことを見つめてくる。


(流石、アイドルであり女優だ… 一個一個の仕草に破壊力がありすぎる…)


 これ以上、自分に勝てる気がしないので、綾佳に許可することにした。


「くっ…… おにぎり…作ることを…許可します」


「わーい!ありがとう!!」


 綾佳がいきなり抱きついてきた。


「だから、いきなり抱きつくなよ…」


「あれ〜 なんで、海里くんは顔が赤いのかな〜(笑)」


 綾佳は海里の頬が赤いのに気づくと、ニヤニヤしながら聞いてきた。


(なんでって… それは、綾佳の胸が…当たって…)


「なるほどね〜 海里くんもちゃーんと意識しているんだね〜」


 綾佳の上半身を見つめていると、彼女は何か分かったような顔をして呟いた。


 流石にこの台詞に、海里は更に顔が赤くなる。


「んな… 何言っているんだよ!!俺がいつ意識したって思うんだ?」


「証拠はね〜 いま、海里くんが焦っていることかな?あと、早口になっているから!」


「それだけでは、証拠にはなりませんよ。はい、論破」


「あと、私の体をジロジロ見ていました。主に胸あたりをね!」


「いや… 見ていない」


 海里は手を前に出し、大きく首を振った。


「うふふ… じゃあ、これでどうだー!」


 そう言うと、また綾佳が海里に抱きついてきた。

 さらに、今度は胸を海里の体に押し付けるようにして、意識をさせてこようとしている。


(これは… いくら意識しないようにしても、押し付けられたら気になってしまう。けど、俺は負けない)


 海里は虚空を眺めて、違うことを考え始めた。


「ふぅ…」


 突然、耳元に息を吹きかけられた。


 海里は綾佳が抱きついていたので、必死に足腰に力を込めて堪えた。


「綾佳… いきなり息を吹きかけるのはやめてくれ」


「うふふ… それじゃあ、意識していたことを認める?」


「それは反則だろ…」


 ため息をつきながら、綾佳を見つめた。

 綾佳もそれに気づいたのか、見つめ返してきた。


「それじゃあ、海里くんも認めたことだし、おにぎりを作りましょうか」


 そう言うと海里から離れて、冷蔵庫からご飯と鮭フレークを取り出した。


◇◆◇◆


「はぁ〜 美味しかったね!それで、私のおにぎりはどうでしたか?」


 あれから三十分が経った。

 おにぎりは綾佳が二つ作ってくれて、海里はその内の一つを貰った。


「美味しかったよ。だけど、ちょっと塩が多かった気がするかな」


「なるほど、塩が多いと… 」


 綾佳はいつの間にか用意していたメモ帳らしきノートに書き込んでいた。


「綾佳、それは一体何を書いているんだ?」


「うん?何でしょうね〜(笑)」


 悪戯顔をしながら、舌をぺろっと出した。


「どうせ聞いても教えてくれないんだろ?」


「もちろん!私だって、秘密はありますよ!それに秘密がある女って、魅力的に思えない?」


「そうだな」


 一言呟き、海里は携帯をいじりだした。

 綾佳もそれに合わせて、携帯を取り出していじり出した。


 ややあって。


「あっ、楓ちゃんからメールが来た」


「もしかして、ゴールデンウィークに遊ぼって約束していたことについてかな?」


「そうみたいだね。いつまで経っても颯斗くんが予定の話しないから、私がメールしましただって。可愛いね」


「そーいえば、予定決めるのに一回も連絡なかったな… 颯斗から提案したのに…」


 あの日のことを思い出しながら、やれやれ とため息をついた。


「とりあえず、初日と最終日のどちらかになるかな〜 って言っても、一日学校があるんだけどね(笑)」


「そうだよな〜 ゴールデンウィークなのに、学校が入るのはどうなのか…」


「仕方がないよ。学生は有給とかないし、さらに言えば芸能界に休みは無いからね!」


「ですな。とりあえず、初日にするか」


「そうしよう!私、楓ちゃんにメールしとくね」


「任せた!」


 綾佳は楓にメールを送った。


「よし、完了!楓ちゃんと遊ぶの楽しみだね!」


「えっと… そうだね。あはは…」


 海里の脳裏に、一瞬楓の言葉がよぎった。


(絶対にあれからどうなったか、聞いてくるよな…)


 綾佳は首を傾けながら、「どうしたんだろう」と言う感じに見ていた。


「何でもないよ」


 海里は、ふふっ… と微笑み、綾佳を見つめた。


 そして日付変わる直前まで、二人でゆったりしていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る