テスカトリポカ
黒のテスカトリポカ(yayauhqui tezcatlipoca)またはテスカトリポカ(tezcatlipoca)はアステカ神話の中で最も重要な位置を占める神です。名前は「煙を出す鏡」という意味を持ちます。三国同盟のテスココの主神です。キリスト教のスペイン人達にはルシファー扱いされていますが、当時のアステカの人々からは悪神や邪神という認識はされておらず、最高神という位置付けだったようです。王権、光、闇、戦争、魔術、病気、予言、不和など多くの属性を司り、王家に深く関係する一方、奴隷や盗賊の守護神でもありました。片足が欠損していること、王権に関わる神であることにキチェのカウィール(K神)との共通点がみられます。起源ははっきりしていませんが、七世紀ごろに発生したトルテカ文明にあると言われています。トルテカ文明はアステカの人々から理想視され、アステカ文明はトルテカの継承者を自認するようになります。
テスカトリポカの性格は大変気まぐれで、争いを好みます。多面性を持つアステカの神々を代表しているような性格です。「絵によるメキシコ人の歴史」では「悪い」と明言されているので、悪いみたいです。王に権力を授けるのは自分を楽しませるため、人間の願いをかなえるのは気分次第と自由な感じですね。「神々との戦い」では男色者と罵られています。アステカでは男色はアウトだったようです。「トラスカラ史」では雨の神トラロックの妻ショチケツァルを誘拐しているので、恋愛も常識に縛られない感じがします。
外見は、横に引かれた黄色と黒のフェイスペイントが特徴的で、身体は黒色に塗られています。違う色のこともありますが、だいたい横縞です。髪の色は主に黒、たまに黄色です。メイヤー絵文書では顎髭を生やしている姿もみられます。
右足を失い、代わりに煙を出す黒曜石の鏡を付けていることが有名ですが、これは左右どちらの足でも描写されています。足を失った理由は、テレリアーノ=レメンシス絵文書では「天界で争いを起こしたから」とされています。片足でも不自由しているような描写はありません。
永遠の若者と呼ばれているところから、外見は若いと思われます。頭から翡翠の粒を含んだ血液と心臓が飛び出していることもあります。これは怒りを象徴しています。あと女に変身したこともあります。
装飾品はケツァール(カザリキヌバネドリ)の羽が入った籠を背負い、脚に鈴(素材は貝? 戦士の象徴)、頭はケツァールの羽とサギの羽と燧石のヘッドドレス(フィレンツェ絵文書、テレリアーノ・レメンシス絵文書の場合)、耳と鼻にターコイズのピアスを付け、首から貝製の輪っかのような飾りをぶら下げています。頭の横の黒曜石の鏡からは煙が出ています。装飾品は資料ごとにバラつきが激しいので、創作に使う時は首の飾りと鏡があれば大体は判別できます。
持ち物としてはトラチアロニ(見る道具)と盾を持っているのが主流ですが、シウコアナワリ(蛇をかたどった仮面)を腰に下げ、シウアトラトル(ターコイズ色の投槍器)を持っている場合もあります。盾に付けられた羽毛玉の数は七個です。
フェイスペイントの色違い及び模様違い、実は神ではなくて神に扮している人間だったなどの分かりにくさはアステカ神話では頻出ですが、上のいくつかの要素が被っている場合は大体テスカトリポカです。個人的にはオトンテクトリ、ウィツィロポチトリが似ていると思うのですが、この二柱は信仰都市に偏りがあるので識別は可能です。
数多くの異名を持つ神であり、モヨコヤニ(自分自身を作る者)、ティトラカワン(我らは彼の奴隷)、イパルネモアニ(我らを生かす者)、トロケ・ナワケ(傍らにいる者)、ネコク・ヤオトル(双方の敵)、テルポチトリ(若者)、ヨワリ・エエカトル(夜と風のように見えず触れられない存在)と呼ばれます。ティトラカワンやトロケ・ナワケは別の神であるとする説を唱える研究者も、少数ながらいるようです。
また化身(同一視されることがある神格)も多く、イツトラコリウキ、チャルチウトトリン、テペヨロトル、ヨワルテポストリ、コヨトリナワル、イシュキミリ、オマカトル、ウィツナワックヤオトル、トラコチカルコヤオトルなどの化身がいるとされています。遺体の包み、遺灰の包み、大男、スカンク、ジャガー、コヨーテなどにも化けるそうです。テペヨロトルの格好をしたジャガーの戦士は有名ですね。
「黒のテスカトリポカ」と最初に書きましたが、赤のテスカトリポカもいます。こちらはカマシュトリ/ミシュコアトルというチチメカ(北方の狩猟民族)の祖神と一般的に同一視されています。フィレンツェ絵文書のように、サポテカ(アステカとは異なった神話を持つ)に起源があるシペ・トテックが赤のテスカトリポカである場合もあります。白のテスカトリポカとか青のテスカトリポカとかいうのはいるにはいますが、詳細不明で神格として成り立っているのかどうか不明です。黄色も影が薄いですがいるにはいるので戦隊モノとして成り立ちます。
ミシュコアトルが赤のテスカトリポカと同一視されていたからなのかどうなのかは不明ですが、テスカトリポカ(黒)は「絵によるメキシコ人の歴史」で一時的にミシュコアトルを名乗り、燧石で人類に火を与えました。テスカトリポカは「太陽の伝説」でも二の葦の年に火を熾しています。
マレウス・モンストロルムによると、クトゥルフ神話のニャルラトホテプの化身とされることもあるようです。そういえばティラムバラムに出ていましたね。
絵によるメキシコ人の歴史では原初の神トナカテクトリとトナカシワトル夫婦の二番目の息子として誕生し、四百人の男と五人の女を創造しました。五人の女のうちの一人であるコアトリクエ(蛇のスカートの女)からは弟のウィツィロポチトリが孫(?)として再誕しています。この資料では、よく妻として描写される花の女神ショチケツァルはテスカトリポカではなくピルツィンテクトリの妻です。
メキシコの歴史ではどこからともなくケツァルコアトルとやって来て、大地の怪物トラルテクトリを引き裂いて世界を造っています。
その他まとめにくいものを挙げます。ボルボニクス絵文書の六頁目では奴隷の首輪のようなものが付いています。奴隷の守護者でもあったからでしょうか……寡聞にして存じません。
フェイエルヴァリー=メイヤー絵文書一頁では五体四散し、中央にいるシウテクトリ(火の神)に力を与えているような描写があります。
メシカ(三国同盟の中心都市)の平民用の学校であるテルポチカリではテスカトリポカを祀っていたようです。
テスカトリポカの祭祀は色々あるのですが、特に有名なものが、一か月二十日×十八か月あるアステカのシウポワリ暦五月、トシュカトル(乾燥)の月に行われたトシュカトルの祭りです。他にもテオトレコ/パチトントリ(神の到着)やミッカイルウィトントリ/トラショチマコ(死の小祝宴)やパンケツァリストリ(旗の掲揚)の祭りがあります。
メソアメリカには戦争で捕虜を取る文化があり、特にアステカでは大規模に行われていました。建前上、神々への生贄となって死ぬことは名誉とされていましたが、実際のところ生贄になるのは奴隷や捕虜でした。信仰心のあらわれだったとも、見せしめやパフォーマンスのためであったとも言われています。
トシュカトルの祭りの流れはフィレンツェ絵文書に記されています。捕虜の中から身体に欠点のない青年を選び、一年間テスカトリポカの化身として教養を身に付けさせて祀ります。儀式の二十日後に、テスカトリポカの妻である花の女神ショチケツァル、製塩の女神ウィシュトシワトル、無垢なトウモロコシの女神シロネン、ハンセン病の女神アトラトナンの四柱の女神の化身として選ばれた四人の少女と結婚し、儀式当日までに盛り上がりは最高潮となります。祭りの当日、化身の青年は自分の足でピラミッドの階段を上り、一段ごとに今までに吹いた笛を落として割ります。そして頂上に辿り着くと、神官によって心臓を取り出されました。トラカウェパン(意味は人間の木材。おそらく三国同盟の一角トラコパンの主神。詳細不明)の化身も同じ時に犠牲になりました。直後に次の化身が選ばれます。テノチティトランやテスココでは一年間ずっとテスカトリポカの化身は存在していたようですが、より小さな国では生贄を捧げないこともあったそうです。
神の化身を殺すことは、神々による自己犠牲の一面であるという捉え方もできます。神々も人間と同様、瀉血や生贄で対価を支払っていました。実際テスカトリポカもボルジア絵文書では自分自身を斬首し、太陽の伝説では、太陽のために生贄となって死んでいます。瀉血をしている図像も数多く見られます。
さて、テスカトリポカといえば取り沙汰されるのはケツァルコアトルとのライバル関係ですが、実際には双方憎み合っているような関係ではないようです。創世神話である五つの太陽の話をここですると半分以上テスカトリポカ要素がなくなってしまうので、ここではケツァルコアトルと同一視されたトルテカの神官王セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトルとテスカトリポカの確執について軽く書きます。セ・アカトルの誕生譚についてはケツァルコアトルのところで書きます。
いつものことながら資料ごとに話が違います。
フィレンツェ絵文書では老人に化けてケツァルコアトルにプルケ酒を勧めます。トルテカの市場にテスカトリポカ、ウィツィロポチトリ、トラカウェパンの三人の魔術師として現れ、ウィツィロポチトリは小人になってトラカウェパンの掌の上で踊ります。それを見に来た人々が集まりすぎて圧死し、二人の魔術師を殺すようテスカトリポカは人々を扇動し、二人は殺されました。殺された死体から放たれるあまりの悪臭に人々は大勢死にました。ケツァルコアトルは宮殿に火を付けてトルテカから去ります。
トルテカの最後の王であり、こちらもケツァルコアトルの称号を持つウェマク王を陥れるため、ワステカ人(褌を付けなかったらしい)の唐辛子売りに変身してウェマクの娘を誘惑して婿におさまったり、テスカトリポカが女に化けて同棲したりした話もこの資料です。ウェマク王はケツァルコアトル王ではありますが、神ケツァルコアトルと同一視されることはないようです。
クアウティトラン年代記では神官王ケツァルコアトルに黒曜石の鏡を見せ、ケツァルコアトルが自身の姿を恐れるように仕向けます。羽毛細工の神コヨトリナワルによって着飾り、気分をよくしたケツァルコアトルは、イウィメカトルとトルテカトルに酒を勧められるがままに飲んで酔い、姉である豊穣の女神ケツァルペトラトルと共に神官としての務めを果たさず、朝まで床で寝落ちしてしまいました。己を恥じたケツァルコアトルはやはりトルテカから去り、その後は焼身自殺を遂げたとも言われています。
インディアス教会史では蜘蛛の巣を伝って地上に降り、セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトルとサッカーに似た球技をした後、ジャガーに変身して神官王ケツァルコアトルとトルテカの民を追いかけています。恐慌状態となった民は崖から落ちて大勢死にました。
絵によるメキシコ人の歴史ではそもそも神官王ケツァルコアトルと神ケツァルコアトルは明確に別の存在で、テスカトリポカの子孫とされています。争ってもおらず、話し合いの末に和解してケツァルコアトル王はトルテカを去ります。
最初のあたりでアステカはトルテカの継承者を自認していると書きました。フィレンツェ絵文書の三人はそれぞれ三国同盟を構成するテスココ、テノチティトラン、トラコパンの主神(トラカウェパンについてはあくまで説程度)です。アステカは元々外様の勢力だったので、神話上でトルテカからの権力譲渡を描写したのではないか? と考える研究者もいるようです。
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