お払い箱のお祓い師
むい
お払い箱のお祓い師
「お前には才能がない」
「この無能が!」
「先代は優秀な祓い師だったのに、息子のお前はなんだ?この役立たず」
「お前は破門だ」
「お前..."お払い箱"だって」
そうして、俺の夢が絶たれた。
叩き出された拍子についた尻がじんじんと痛む。それをズボンの上から摩りながら暗い夜道を一人で歩いた。夜は妖の時間だ。特にこんな人気のない道は奴らが好む。けれど、俺には関係ない。俺は”祓い師"だ。妖が現れても祓えばいい。
...なんて言えたらどんなにかっこよかったか。なんてったって俺は先ほどお払い箱なった祓い師だからな。
「なんだそれ...」
夜空を見上げて一人で呟いた。笑いの混じった自傷の言葉は寒い空気を震わせる。空気が澄んで星が綺麗に瞬いた。
昔誰かが言った。人は死んだら空に昇って星になる話。あの星のどれかが父ちゃんと母ちゃんなんだろうか。だとしたら、こんなところ見られてたまったもんじゃない。恥ずかしすぎるだろ。
...憧れたんだよ。父ちゃんの背中に。俺も誰かを救えるって信じてた。父ちゃんのようになれるって信じて疑わなかった。けれど、現実はそう甘くはなく自分に対する絶望はとどまることを知らなかった。
「もう、いいや」
諦めるしかなかった。
さっき父ちゃんの弟子だった祓い師の寺も叩き出されたところだ。父ちゃんを崇拝していた師匠が、息子だからと喜んで俺を迎え入れてくれた日が懐かしい。その期待の眼差しを曇らせた日もそれと同じく懐かしい。そりゃ、そうだ。16歳までに結べるようになる印が結べないんだから。
祓い師になる者は修行を始めて16歳までに、自身特有の印を手で結べるようになる。それだけは誰に教わることなく、自然に身につくものだったらしい。けれど、記念すべき17回目の誕生日を迎えた俺はその印を手にする事は無かった。よって、祓い師にはなれなかったということになる。別に珍しい事じゃない。力が無くたって祓い師になりたくて修行をする者だっている。その結果、力が宿り祓い師になる者もいれば、やっぱり力が無く諦める者だって沢山いる。要は祓い師は誰でもなれるし、誰もがなれるわけじゃないってことだ。
俺だってなれなかった大勢のうちの一人。ただ、まわりの期待が大きかっただけ。それだけだ。それでも一番痛かったのは自分自身に対する己からの期待が一番大きかったことくらい。
今日は一人傷心パーティーだ。コンビニで肉まんとおでんとポテチと炭酸ジュースでも買って一人でやけ食いでもしようか。小石を蹴りながらそんな事を考えていた時だった。
《兄チャンドウシタノ?悲シイノォ?オイラが慰メテあげようカイ?オイラなら兄チャンの望ミ叶ェテあげルよ?だからさぁ.....ハイッテモイーイ?》
子供の様な獣の様な老人の様な青年の様な何とも言い表し難い奇声が上がった正面へと顔を上げた。
そこには全身緑色で一つ目の頭でっかちな妖が大きな舌をだしてこちらを見つめていた。別に驚きはしない。今まで修行で何度も妖は見てきたし、才能が無かっただけで無駄に霊力はあるから気配も感じていた。予想通り出てきたな。というのが率直な感想。ただ、いつもと違うのは俺が祓えなくても、代わりに祓ってくれる師匠や兄弟子がいないだけ。それでも恐怖は感じない。感じるのは飛び出した舌から赤黒い唾液が滴り落ちて気持ち悪いなくらいだ。
「...どうぞ。入りたきゃ入ればいい。喰いたきゃ喰えよ」
自棄になっていただけなのかもしれない。それが分かっていても、もうどうでも良くて自分に意味などなくて哀れで情け無くて。もうどこに向かって歩けば良いか分からなかった。歩いて行く道が無い。
妖は同意の上でないと人の身体には入れない。だから入る代わりに甘い夢を魅せる。そうして夢の狭間で幸福に浸らせている間に徐々に持ち主の魂を喰らっていくのだ。少し喰われたくらいなら我を取り戻すことも傷を癒すことも出来る。ただ、全て食い尽くされた命は天へ還ることもなく、消えていくだけ。体すらも残らない。
《ワァアイ!アリガトウ!オマェハどんな夢ヲミタイィ?》
「夢か..そうだなぁ...」
俺の夢か...美味いもん腹一杯食う夢...違うな。父ちゃんと母ちゃんがいた時の夢...それともーーーー祓い師になった夢...っなんてな。妖に祓い師になる夢を魅せてもらうなんてとんだお笑い話だ。
「まあ、何でもいいよ。楽しそうなやつお願いね」
《ハァアアイ”》
嬉しそうな返事と共に後ろにまわった妖は
首の後ろに噛み付いた。
《オッジャマシまース》
凍えるような冷たさが頸から体の中へと入ってくる。
あーあ。とうとう俺もこっちの立場か。
自我を保てるのはあと3日。完全に喰われるまでだと7日ってとこかな。それまでに祓い師に見つかれば祓ってもらえる可能性はあるけど、知り合いには見つかりたくねぇな...
ごめんな、父ちゃん母ちゃん。俺ダメだったわ。父ちゃんみたいになりたかったんだけどなぁ。期待してくれてたからな、合わせる顔がねぇよ。だから俺の魂はそっちには行かないことにする。魂は天に召されず消えていく。おまけに最後に最高の夢を魅れるんだぜ?ほんと...俺、最低だな。
そうこう考えているうちに、頸から入った冷気は氷の針のように鋭い冷たさを保ったまま背筋をゆっくりと降りていく。
もうすぐ、俺は俺じゃなくなる。
....やっぱり最後に夢を見るなら祓い師になりてぇな。
追いかけてきた今はもう亡き背中を思い浮かべてそっと目を閉じた。
《ウッ...ウギャーーーーナんダヨコレ!コンナノ契約イ反ダァア!イヤダ!帰りタクナイ!イヤダ!イヤだーーーー!!!》
「っ!?う、るせぇ...」
体の中に入ってきた妖が突然でかい奇声を発し始めた。今まで聞いてきたどんな騒音よりも体の中で叫ばれるのは辛く頭がガンガンする。何の意味も無いことがわかっていても耳を塞がずにはいられない。
「クッ...!?」
自身の体で何が起こっているのか分からず、頭が割れてしまいそうなほどの痛みに耐えるしかなかった。立っている事すら出来ず、膝から崩れ落ちてその場に蹲る。痛みは頭から徐々に腹へと移り、最後は焼けるような熱さに襲われた。
ーーーーーっポン!
何ともマヌケな音に目を開ければ目の前は白い煙がもくもくと漂っていた。地面から伝わってくる冷たさにぶるりと体を震わせて、ようやく自分が気を失って倒れていた事に気が付いた。指先を動かしてみれば少し鈍いものの動かすことが出来る。地に手をついて重い体を何とか起こすことが出来た。
「〜コンッコンッコンッ」
まだ立ち上がることは出来なくても上半身を起こしただけでも、寝転んでいるより随分と視界はいい。まだぼーっとしている頭を働かしつつ目の前の白いモヤに目を凝らした。
中で何かそれほど大きくはない影が見えてきた。4本の足に大きな耳と尻尾。
「あ〜お久しぶりでございますねぇ。あるじ様」
モヤが晴れてようやく影が姿を表した。全身白い毛に覆われて額には赤い紋様
そこには父ちゃんと契約していた妖狐の"やしろ"が立っていた。
「ちょっと待て。話がわからねぇんだけど。どういうことだよ」
「だ〜か〜ら〜!あるじ様はお祓い箱なのですって!お払い箱になったあるじ様がお祓い箱なんて何だか洒落てますねぇ。ふふふッイッ!?いはいれふはふひはは〜」
イラッとした。
ケラケラ笑う狐の頬をつまんで横に伸ばしてやった。面白いくらい伸びるなコレ。
実家である寺に帰ってきた俺たちは風呂を終えたあと布団の上で向き合っていた。
やしろ曰く、俺には目視できない祓い門の刻印が刻まれているらしい。妖界と現世を繋ぐ門であるその印は、自身が印を結べなくても妖を祓えるそうだ。
なんだそれ。
「結局親父には、俺に才能が無いってお見通しだったって事だろ」
横にめいいっぱい伸ばした後、っぱ、と離せば頬はあっという間に元に戻っていった。
「イテテテ...それは、本人の捉え方次第ですねぇ。答えを見つけるのもまた成長。ね、あるじ様」
やしろは半泣きになりつつ前足で器用に頬を撫で始めた。小さい頃に遊んでいた時はもっと大きかった気がしたんだけどなあ。俺がでかくなったから、そう思うだけだろうけど。
ーーーそれにしても、やしろに、"主"と呼ばれる日を夢に見ていたのに、こんなにも嬉しくないなんて思ってもみなかった。まるで俺を通り越して親父を呼んでいるみたいだ。
「まぁまぁ、何はともあれ、祓い師になれるのだから、良かったではありませんか」
「...ならない」
「はい?」
「俺は祓い師にはならないからな。じゃあな、おやすみ!」
勢いよく布団を被ると、冷えた布団が全身を包み込みあまりの寒さに震え上がった。横になったまま膝を抱えてただひたすら自分を包み込む布団が温かくなるのを待つ。
「あらあらまったくこの強情さは...昔から変わりませんねぇ」
「...なんだよ。子供の頃から成長してねぇっていいたいのかよ」
「いえいえ、懐かしく思っていただけですよ。
お休みなさいませ。あるじさま」
やしろが布団の上で丸くなったのを布越しに感じた。妖狐故に体温はなく、重みがある場所からは温かさを感じない。なのに、
あったけぇな...
自分以外の誰かの寝息を聞くのは久しぶりでなんだか少しだけ温かくなった気がした。
「やっと会えたね。おかえり、つむぐ」
「あるじ様!あるじ様!」
誰かの声がする。肩も小さく押されて、まるで親父と二人で暮らしていた時みたいだ。夢を見ているのかも知れない。夢を見ているときにこれは夢だと気がつくことが稀にある。今日はきっとその稀な夢なのだろう。心地良くて懐かしいこの感覚。目覚めたくない。そう思うほどにこの世界は俺に優しいーーーーッ!
心地良く眠っていた体は、意識が浮上すると同時に飛び起きた。心臓がバクバクとうるさく、目の前にちょこんと座る狐を見て数秒時が止まったように感じた。
狐の尻尾はユラユラと揺れて機嫌が良さそうだ。頭が正常にはたらくまでその尻尾を視線だけで左右に追いかける。
「おはようございます。あるじ様。よくお眠りになってましたねぇ。ところで、シロはお腹が空きました。何かないですか?例えば金平糖とか!」
期待を込めた視線を寄越すその狐に顔を向け、意識は昨日の出来事を思い出していた。
そっか、やしろが帰ってきたのか...
緊張が解けて体はもう一度布団に吸い込まれていく。背中から倒れ込み腕を広げて天井を見上げた。倒れた拍子の振動が伝わったのか電気からぶらさがる紐が微かに揺れている。
携帯のアラーム以外で起こされたのは何年ぶりだろうか。
この感じ懐かしいな
冬の朝は寒いはずなのに、体は火照って汗ばんでいる。
けれど、昨日の出来事を思い出し頭の中で整理していくと、一気に体温を奪われた。
「今日からどうすっかな...」
学校は行ってなかった。修行があったから。でももう修行はない。祓い師にはなれないから。
「ねぇねぇ、あるじ様。金平糖ないですー?」
「...角砂糖なら台所にある」
「えぇぇ...仕方ないですねぇ。角砂糖で我慢しましょうか...」
尻尾が垂れて背中に残念と書いたやしろは、とぼとぼと台所に向かって行った。
布団から出て一通り身支度を済ませた。いつもならそのまま、師匠の寺へと向かうけれど、もう行けない。今から何をしていいか分からずとりあえず縁側に腰を下ろした。
「おはようございます。絹江さん」
「あら、つむぐ君。おはよう。今日は祓い師様の修行はお休みかい?」
昔からボランティアで寺の掃除に来てくれている絹江さん。寒い今日も箒を片手に落ち葉を掃除しに来てくれた。さて、なんて言おうか。つってももう誤魔化しようもないけど。
「いやぁ、祓い師向いてなかったみたいで。これからどうしようかなって、ははは」
笑うしかない。かっこ悪りいな。
「あらあら、そうなの?」
絹江さんは小さい時から知ってる人だから。
なんでも聞いてきたり、言いふらしたりする人じゃない。それが救いだった。
「じゃあ、ちょうど良かったわぁ。駄菓子屋の梅おばぁちゃんが、昨日から腰を悪くしたみたいなの。代わりに店番をしてくれる人を探していたのだけれど、つむぐくんどうかしら?」
「梅ばぁちゃんが?」
「駄菓子屋!!あるじ様!あの駄菓子屋さんですか?!あそこの金平糖、シロ大好きです!行きましょう!すぐ行きましょうあるじ様ぁぁあ」
「あら、シロちゃん戻ってきたのね。元気そうで嬉しいわ」
隣でやしろがぴょんぴょん跳ねる姿を見て絹江さんは笑ってる。それにつられて俺も少しだけ笑えた。やしろそんなに金平糖好きだったのか。
そういえば、小さい頃、金平糖取り合ってよく喧嘩したっけ。
「梅ばぁちゃんとこ行ってみるか」
やしろの頭をがしがし撫でれば満更でも無さそうだった。
そんなこんなで、しばらくの間駄菓子屋の店番を任された俺は今日もこうして店に来る子供たちを相手にしている。
「よう!ゆうた。今日は母ちゃんと一緒か?」
「つむにぃ今日発売のドグウレンジャーのカードある!?」
「こんにちはつむぐ君。
ゆうたまずはご挨拶でしょ?」
「うるせぇなかぁちゃん」
「ごめんねぇ、つむぐ君」
「いえいえ、大丈夫っスよ。ゆうた、入ってるぞー」
「やった!さすがつむにぃ!」
「いやいや、あんだけ毎日入荷しろ入荷しろ言いに来られたら流石に遅らせる訳にはいかねぇだろ」
駄菓子屋のお客は基本的に子供ばかりだ。特にゆうたはお得意様で手伝いでお駄賃をもらえばその足でいつも駄菓子を買いに来てくれる。売り上げが上がれば、時給上げてくれるって梅ばぁちゃん言ってたし、俺にとっては大事なお客様の一人だ。
「ありがとな!つむにぃ!また来るからなー!!」
受け取るとゆうたは嬉しそうにカードを抱えて外に飛び出した。はやく開けたくて仕方ねぇんだなあ。俺も小さい頃はそうだった。
「こら!ゆうた飛び出すと危ないでしょ?ほら、手繋いで」
「やだよ!誰が手なんて繋ぐか!!!」
「もう、こら!走らない!!転けたらどうするの。もう、あの子ったら」
「はは、照れてるだけっすよ」
「小学生になってからめっきり手を繋いでくれなくなったのよ。寂しいわ」
「そういうの揶揄う子もいますからね。男ってそんなもんですよ」
「そうよね。ありがとね、つむぐ君。また来るわね」
「はーい」
店の外にでて見送った後、辺りを軽く見回した。もう、閉めても大丈夫そうか。
「片付けるか」
もう夕方。子供らは帰って家族と過ごす時間。閉店時間は決まってないがそろそろ片付けても良さそうな頃合いだ。まずは、外に出してた棚を中に入れるか。
この店の仕事にも大分慣れてきた。片付けもそこまで難しくないし時間がかかることもない。全て中に仕舞い込んだらあとはシャッターを閉めるだけだ。
店の手前の隅に立てかけてあったシャーターを下ろす棒を取ってフックになってる部分を穴に掛けて引っ張り下ろす。ギギギと鈍い音を立ててそう簡単には降りてきてくれない。何度も引っ張ってようやく下すことができた。今度、滑りの良くなるスプレーでも見に行くか。
上に伸びをして見上げた。2階の窓にゆらゆら揺れる白い影がある。
どうもご機嫌が良いらしい。
「やしろー!そろそろ帰るぞー」
やしろは俺が店番をしている間、二階で梅ばぁちゃんにおやつをもらってぬくぬく寛いでいる。今日もご満悦そうに降りてくるだろう。
「呑気な奴だなぁ」
「お前もな」
独り言に返事が聞こえて後ろを振り向いた。声が聞こえた瞬間から嫌な気分だ。
「何しに来たんですか。雪哉さん」
「兄弟子に向かってその言い草。ひどいねぇ」
「もう、あなたとは関係ありませんから」
修行していた寺の兄弟子で、今は祓い師のその人はいつも鼻で笑っている。俺はこの人に馬鹿にされてる。ずっとずっと馬鹿にされてきた。でももう関係ない。俺は祓い師なることはない。この人とは今後関わる事なんてないのだ。
「可愛い弟弟子の顔を見に来たんだよ。この寂れた駄菓子屋よく似合ってるよ、お前。祓い師よりもな」
「それを言いに来ただけなら、もう帰ってください」
「ほんと、面白くないね。お前」
「あるじさまぁーー」
ピリついた空気を呑気な声が割って入った。
場違いにも程がある声なのに、妙に安心した。イラついたって意味なんか、もうない。
「あらあら、あなたは確か、風見家の雪哉殿ではありませんか」
「な、なんで渚さんの妖狐が...」
「ふふふ、その驚かれたお顔、お父様にそっくりでございますねぇ」
「もう帰るぞ、やしろ」
「はーい。では、失礼致します」
そうか、親父が生きてた頃にやしろは雪哉さんに会った事があるのか。
はぁ、、
ほんと会いたくない人に会っちったな。気持ちがしんどい。同じ祓い師の息子で、跡を継げた雪哉さんと才能がなく継げなかった俺。ほんと、とうちゃんに合わす顔がないわ。
無言のままやしろと二人帰り道を歩いていく。
「・・・・・。
あ、あるじさま!!」
「ん?どうした?」
「私、梅ちゃんのところに金平糖忘れて来ちゃいました。取りに戻ってきますので、先に帰っててください」
「一緒に行こうか?」
「いえいえ、では後ほど〜」
そう言ってやしろはあっという間に行ってしまった。
ほんと好きだな金平糖。基本やしろは甘党だしな...でも身体に良くねぇよな。そもそも妖狐って栄養とか関係あんのかな?
ま、とりあえず今日の晩飯は野菜多めに出しとくかぁ。スーパー寄って帰ろ。
「おやおや、まだ居たのですか、雪哉殿」
「なぜ、祓い師でもないあいつに貴方みたいな高位の妖がついているんだ!!」
「なぜって、私の主人はつむぐ様だけですから」
やしろは心底不思議そうに首を傾げた。質問の意図がまるで理解できないかのように。
そんなやしろの姿に雪哉は苛立ちと焦りをさらに募らせた。
「あんな出来損ないに貴方は相応しくない」
雪哉はさらに声を張り上げてやしろに怒鳴った。青年が狐を責める異様な光景を見ている人は幸いにも誰もいない。
やしろはただその青年の目を見つめた。まるで凍えてしまうのではないかと思うほど冷たい視線で。その瞬間雪哉は身震いをした。まるで、捕食される寸前のような感覚に陥り心拍数が跳ね上がる。視線は外さない。けれど、小さく一歩、また一歩と後ろへ下がり距離をとっていく。頭で考えて動いているのではなく、本能がそうさせているのだ。
「まったく、弱い犬ほど吠えるとはまさにこのことですねぇ」
「あ、、、あ、ぁぁ」
雪哉は尻餅をついた。目の前には愛らしい狐の姿はなく、それに代わって人の丈以上もある九尾が牙を光らせこちらを睨んでいる。
「あマり、調子ニ乗ルナヨ。小童」
怒りを孕んだその言葉に雪哉は、目尻に涙を浮かべながらなんとか立ち上がろうとして何度も足を滑べらせた。
そうなるのも無理はない。駆け出しの祓い師である雪哉がやしろの凄まじい妖気を身に浴びて正気でいれるはずがないのだ。
「も、もも、も申し訳、、ありません」
何に対してなのか分からない謝罪をしながらなんとか立ち上がった雪哉はその後何も言わずに走り去った。
残されたやしろは、やれやれといった表情で元の姿に戻っていく。
「ちょっと大人気が無かったですかねぇ。
さ、お家にかえろっと」
やしろは金平糖を取りに行くこともなくそのまま、つむぐと暮らす家へと帰っていった。
「ふ〜、お腹いっぱいでございますぅ」
作った晩飯を平らげたやしろは、畳の上で仰向けで寝そべっていた。
「やしろって好き嫌いないんだな」
「あるじ様が作ってくださるものは昔からどれも美味しゅうございますからね」
「....昔は下手だったろ」
「いえいえ、あるじ様のご飯はずっと前から美味しいままですよ」
「そうか?お前いいやつだなぁ」
久しぶりに誰かから褒められて、なんかむず痒い。でも、まぁ、気分はいい。
「アイスあるぞ。食うか?」
「アイス!!食べます!食べますぅ!」
腹一杯で横になってたのに、アイスと聞いた瞬間に目を輝かせて飛び跳ねるやしろがちょっと可愛くて笑える。
「じゃあ、棒のアイスだから器に移してきてやるよ。その方が食べやすいだろ」
前足じゃ、流石に棒は持てないだろうし。
「あ、いえいえ、そのままで結構ですよ」
ッポン
聞き覚えのあるなんとも間抜けな音と共に少しの白い煙がもこもことやしろを覆った。
「ふ〜。やっぱり現世はこの姿が便利ですね。さ、あるじ様。アイス!アイス!」
「お、お、お前...人に化けれたのか...」
妖狐が居たはずの場所には着物を着た同じ年頃の男が座っていた。
「化けるというか、こちらも私自身の姿なのでね」
「え、やしろ、お前いくつなの?俺と同じくらいに見えるんだけど!?」
「いくつ?さぁ。年を重ねるということは生きている者のみに許された権利でございますからねぇ。私たち妖はそこに含まれません。まぁ、しいて言えば今のあるじ様よりは年上ですよ」
「そうか...それにしてもイケ、メンだな.....」
「あははは。そりゃもう、私は妖界の一二を争う美形でございますからねぇ。あれ、なんですその顔は。あ!わかりました。さては、私が女の子じゃないかと期待してましたね?残念ですが、私は男ですよ。まぁ、ただ、性別は変えられませんが、髪を伸ばせば女の子に見えなくはないかもしれませんねぇ」
肩まであった綺麗な銀髪が見る見るうちに伸びていき、畳に着くほどの長さになった。そして足を折り曲げ、袖を持って口を隠しこちらを上目遣いで見つめてくる。たしかにそうすれば美しい女性だ。ただ、裾からみえている筋張った足が男そのものだ。
「あ・る・じ・さ・ま♡」
「ちょっ、やめろ、やしろ」
面白くて笑ってしまった。
面白いし、綺麗だけどなぁ、
まぁ、正直俺は
「髪、元に戻せよ。その方が似合ってるし」
俺は、そのままのやしろがいいと思う。
「そうですかぁ?じゃあ、元のままで」
それから、二人並んで胡座をかき、アイスを食べながらテレビを見た。なんか変な感じだ。妖狐の姿のやしろと過ごす時とはまた違う。人の姿をしたものが一緒に家にいて隣に座ってるってなんか...懐かしすぎて変だ。
「なぁ、やしろ」
「なんですか、あるじ様」
「お前のその姿俺小さい時見たことあった?」
「いいえ」
「そうか」
「どうかしましたか?」
「いや、なんか見たことある気がして」
「.....」
べちょッ
「あーーーー!シロのアイスがぁああ」
「うわっ!急に大きな声だすなよ、びっくりするだろ。ほら、ティッシュ!新しいアイス持ってきてやるからそんな悲しそうな顔するな」
今日はなんだかより一層賑やかな日になった。
「じゃあ。またな〜」
今日も子供達のおかげで店は繁盛した。普段なら、そろそろ閉めてもいい頃だろうけどここ1週間はもう少しの間、店を開けている。
「やあ、つむぐ君」
「いらっしゃいませ」
「いつも遅くてすまないね」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ゆうたの様子はどうですか?」
「あぁ、相変わらず塞ぎ込んだままだよ」
「そう、ですか。
あ、でもこれ見たら元気になるんじゃないですかね?」
引き出しからキラキラした袋を取り出した。
「これ、今日入荷だったんです」
「これは?」
「ゆうたの好きなドグウレンジャーのカードです」
「そうか、ありがとう。いやぁ、、、恥ずかしいな。これをゆうたが好きだったなんて知らなかった。...今まで妻に育児を任せきりだったからな。これからはより一層がんばらないと。そういえば、料理も作るようになったんだよ。味噌汁はなんでか味がしないし、オムライスは破けてボロボロだけどね」
そう言って笑う姿に懐かしさを感じた。
「味噌汁はダシをしっかりとると味噌沢山入れなくても美味くなりますよ、オムライスは、、、練習あるのみですかね!」
ゆうたの母ちゃんが亡くなった。それを知ったのが1週間前のことだった。見慣れないスーツの男の人が駄菓子屋に来た時。お客が子供ばかりのこの店に見慣れない大人の姿は目立っていた。子供の頃に食べていた駄菓子が懐かしくて買いに来る大人もいるから、特別珍しいことではないが、それでもやっぱり大人は目を引く。それも決めきれず棚を彷徨っていたなら尚のことだった。それから話しかけたのがきっかけで、彼がゆうたの父ちゃんだということ、ゆうたの母ちゃんが先日事故で亡くなったこと、塞ぎ込んでいるゆうたに少しでも元気になってほしくて駄菓子を買いに来ていたことを知った。
それから一週間毎日仕事帰りにここに寄っては、駄菓子を買って手土産にしているらしい。
「ありがとう、また来るよ」
「はい」
遠ざかる背中に過去を重ねた。
どうか、ゆうたがあの背中を見失うことがありませんように...
「気になりますか?」
「っうわ!」
背後から急に声をかけられて肩が跳ねた。咄嗟に振り向けば何もおらず、視線をおろせばやしろがすぐ横に来ていた。
「お前、気配消すなよびっくりするだろ!?」
「ふふ、びっくりさせたんです」
いたずらに笑う妖狐を恨めしく睨んで、はぁと息を吐いた。さて、そろそろ片付けるか。
「で、気になります?」
「何がだ?」
「あの親子の事です。ゆうたくんが危うい状態なのを危惧しているんでしょ?」
図星に作業の手が止まる。けれど、再び手を動かす。俺が心配したってしょうがない。どうしようもできないんだから。
「あの子、憑かれますよ」
「...かもな」
悲しみに堕ちる人々に妖は夢を魅せる。夢に溺れている間に妖は魂を喰らうのだ。だから、今のゆうたは危うい。いつ憑かれてもおかしくないのだ。もしかすると、もうすでに憑かれている可能性だってある。でも、俺にはどうすることも出来ない。だったら、なにもしないほうがいい。知らなくていい。
「会いにいかないのですか?」
「何しに会いにいくんだよ」
「妖に唆されてないかを知るためです」
「知ってどうすんだよ」
「憑かれていなければそれに越した事はないですが、憑かれているのでしたら祓わなければ」
「...俺は祓い師じゃない」
俺は祓い師にはなれなかった。もうそれには無関係だ。
「あなたは祓い箱です。祓う力があります」
「これは俺の力じゃない」
語気にだんだんと苛立ちが混じっていく。この一週間ずっと胸に溜まり続けたどろどろとした何かが溢れてくるようだった。
「それは、あなたの力ですよ。あるじ様」
「違う。俺は祓い師になれなかったんだ。これは俺の印じゃない。もう無関係なんだよ!」
とうとう声を荒げてしまった。もう、俺には...
「はぁ...まったくまだまだ幼いですねぇ、あるじ様」
やしろのため息に微かに肩が揺れた。なんでかこの感覚に懐かしさがある。最後にこんな気分になったのはいつだったか。
「あなたはなぜ祓い師になりたかったのですか?守りたかったからではないのですか?印が得られなかっただけで、あなたには祓う力があるではないですか。それがなんであろうと救いたいのであれば使わなければ。
己のつまらない矜持などお捨てなさい。あなたには祓う力があるのです」
その後は頭の中で色々なことがぐるぐる回って曖昧だった。気がつけば片付けを終えて、帰り道を一人で歩いていた。
『まぁ、一人で考える時間も必要ですからねぇ〜』なんていつもの呑気な声に戻ったやしろがどこかへ行ってしまったことは何となく覚えている。
「つまらない矜持かぁ」
この時期は夕方でもすでに辺りは暗い。そのお陰で人通りも少なく独り言を溢すには丁度良かった。白く冷たい息を吐いて遠くの空を見つめた。微かなオレンジ色が淡く消えていく。
やしろの言葉がずっと頭の中で反芻していた。
その通りだったから。だって印を結んで祓うのが祓い師じゃないか。俺は印を結べなかった。祓い師の才能が無かったんだ。それなのに父ちゃんがつけた印の力を借りて祓うなんてなんかズルしてるみたいじゃないか。
「やっぱ父ちゃんには俺に才能が無いってはじめから分かってたのかなぁ」
それでも俺があんなに、なりたいなりたいって言ってたからこの印を俺にこっそりつけておいたんだろうか。父ちゃんは術符に印を刻むのもうまかったもんな。
「....あ、れ?」
それにしてもこの印、いつ、つけたんだろう...そもそも、これを俺に刻んだの父ちゃんなのか?
突如として沸いた疑問に足を止めた。
その時、
ん?
薄暗い道の先から、誰かが走ってくる。ジョギングにしては荒々しい足音に眉を顰めた。こんな時間に不釣り合いな足音に体が自然に警戒の意思を強める。
壁際に寄り、街灯の灯りが届かない場所へと身を潜めた。変なやつならこれで通り過ぎるのを待てばいいだけだ。厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。今はそんな余裕ない。まぁ、ただ走っているだけの人かもしれないけど。
そして、足音が近づきその人物が街灯の明かりに照らされた瞬間、あれ?となんとも間抜けな声がでた。
「ゆうたの父ちゃん?」
突然呼ばれた本人は、躓きそうになりながら脚を止めてキョロキョロ辺りを見回していた。
そこでやっと自分が影に身を潜めていた事を思い出して慌てて明るいとこまで移動した。
「つむぐ君!」
近づいてみれば、ゆうたの父ちゃんは目を見開いて顔を驚きに染めていた。その額にはこの時期には珍しいほどの汗が滲み、店に来てくれた時にはきちんと締められていたネクタイは緩められスーツは着崩れていた。
「どうしたーーー」
「ゆうた見なかったか!?」
肩をがしりと掴まれ問われた質問に理解がおいつかなった。
「ゆうた...?」
ゆうたがなに?
「帰ったらゆうたがいなくなってたんだ。家中どこ探してもいなくて、靴をみたらなかったんだ。玄関の鍵が空いてて、たぶん、外へ、、、。こんなに暗くなって来ているのにひとりで出ていくなんて。
ゆうたにまで何かあったら、俺は.....」
言葉を詰まらせたゆうたの父ちゃんの声は震えていた。
「...ゆ、ゆうたなら大丈夫っすよ!俺も一緒に探すんで」
頭より先に口が動いていた。
『あの子、憑かれますよ』
やしろの言葉が頭を中で警笛のように鳴り響いていた。喉に何が詰まったようにうまく息ができない。探したって何ができる。見つけたって憑かれていたらどうしようもないじゃないか。それでも、探すと言ってしまった以上探すしかない。それに何より心配だった。
だから今は憑かれていないことを祈って、無事を信じて走った。
ーーーそして、意外にもはやく見つけた場所は駄菓子屋の前だった。外灯に照らされた入り口の前で立っていたゆうたの右手は不自然にも半端な位置まで挙げられていて、まるで隣にいる誰かと手を繋いでいるようだった。
「ゆ、うた?」
あがった息を整え、ゆっくり近づきながら声をかけるけど、少しも反応を示さない。挙げられた右手の斜め上を見て虚な目で嬉しそうに笑っている。
悔しさと後悔と己の無力さに顔がどんどん歪んでいく。
「ゆうた!!ゆうたこんなところで何してるんだ!」
後から追いついたゆうたの父ちゃんが俺を追い越して近づこうとしたのを慌てて止めた。...気配で分かる。ゆうたはもうーーー
「何するんだ、つむぐ君」
ゆうたの父ちゃんの声には苛立ちが混じっていた。でも、今のゆうたに近づけるわけにはいかない。
「ダメです。もう...憑かれてます」
「つかれて、、、?」
戸惑いを孕んだ言葉が途切れ、息を呑む音が聞こえた。父ちゃんの目が見れずに無力な自分の足下を見つめ唇を噛むしかこと出来なかった。
そんな俺の肩を掴んで父ちゃんは必死になって言葉を発していた。
「憑かれたって、妖のことか!?」
「はい」
自分に発せられた声はとても大きなもののはずなのに、膜が張られたみたいに遠くで響いてるようだった。自分が発した返事もうまく声になっているか分からないほどの絶望が俺を包んでいく。けれど、ちゃんと返事は出来ていたらしい。ゆうたの父ちゃんは俺の肩から手を離し一歩二歩とよろけながら後ろへと下がった。
そして、ぎこちなくゆうたの方へと視線を下ろし、呆然と立ち尽くした。
「そ、そうだ。祓ってもらわなければ...祓い師を調べないと」
急いで携帯を取り出して祓い師を調べ始めた。
「...だめです、もう間に合わない」
瞳に自我がない。もう末期だ。魂が喰われすぎて祓うことは出来ないだろう。
「ふざけるな!どうしてそんなことが君に分かる」
「修行してましたから」
「君..祓い師なのか!?じゃあ、どうにか祓ってーー「違います」
あぁ、悔しい
「俺は祓い師になれなかった」
惨めだ
「なっ...だったら口出しするな!君に出来ないだけで本物の祓い師ならきっと祓ってくれるはずだ」
はぁ、何やってんだかな...
なんで俺ここに居るんだろう、もう無関係になったはずだろう。どうしてまだこの世界の近くにいるんだ。どうして何も出来ないままここにいるんだろう。
いつの間にかゆうたの父ちゃんは居なくなっていた。俺はただ虚を幸せに微笑むゆうたを呆然と眺めることしか出来なかった。
どれくらい経っただろう。すぐだった気もするしだいぶ経った気もする。ゆうたの父ちゃんが息を切らして誰かを連れてきた。もう一人の人影の方へと目を向ければ何度か見かけたことのある年配の祓い師だった。
「君は、たしか...」
目が合うとむこうもこちらを認識したらしい。口を開いて何か言おうとしていたけど、その声はすぐ依頼者に遮られた。
「はやく、はやく息子を助けてください!!」
そう急かす声に祓い師は慌てて依頼人へと返事をし、少年へと視線を移した。
「これは...」
それ以上言葉は続かなかった。首をただ横に振るだけだ。
「もう、手遅れです。喰われていない魂が少なすぎる。もう戻ってはこれないでしょう」
「な...そ、んな...」
「君、確か、波月家のご子息だね。君が側にいたのならなぜ教えて差し上げなかった」
責めるような視線が俺を刺す。俺の言葉は届かなかった。そりゃそうだ、届くほどの力がない
。悔しい、惨めで無力で、俺、なんでここにいるんだっけ。
俯くばかりで何も答えない俺に痺れを切らしたのか、深いため息をついた祓い師はゆうたの父ちゃんへと視線を移した。
「今はもう無理に祓えない。この妖については妖界に報告しておきます。後は、残るわずかな時間をご家族でお過ごしください」
そう言い残して祓い師はその場を去った。
妖の取り締まりは妖が行う。祓い師は人を守る為に妖を祓う。だから、救い遅れた魂はどうすることもできないのだ。
残されたのは、泣き崩れるゆうたの父ちゃんと虚に笑うゆうたと、出来損ないの俺だけだった。
やしろの言葉がずっと頭の中で繰り返し繰り返し俺を責めた。
『あなたには祓える力があるではないですか。それがなんであろうと救いたいのであれば使わなければ。
己のつまらない矜持などお捨てなさい。あなたには祓う力があるのです』
その通りだ。くだらないプライドだった。みんなと同じじゃないことに腹を立てて愚図る子供と同じ。違うものは偽物だと卑怯だと言い訳をして、ただ逃げていただけだった。もう己に期待をしたくなかった。自分は必ず出来ると信じ自惚れて、失望したから。だからもう期待などしたくなかった。信じたくなくて否定して、結局傷つくのが怖いだけだった。
その場で蹲って泣くゆうたの父ちゃんの背中を眺めた。母ちゃんが死んだあの日の俺もこんな風に泣いていた。それでも背中を撫でてくれた父ちゃんがいた。あの時、本当は父ちゃんも泣きたかったんだろうか。
一歩、また一歩と臆病な足がびくびくと震えながら進んでいく。出来るだろうか、俺に何か。こんな俺でも救えるだろうか。やしろは俺をお祓い箱だと言った。祓う力があると。でもどうすれば、祓うことが出来るのか分からない。それにもう、ゆうたのほとんどを喰われている。例え本当に力があったとしても助けることなんて...俺に出来ることは
「なぁ、ゆうた」
「・・・。」
「ゆうた」
「・・・。」
「ゆうた」
「・・・ジャマスルナヨ、ニンゲン」
虚に微笑んだまま表情は変えずに本人のものとはまるで違う雑音混じりの声が俺に返事をする。
「お前に話しかけてない」
「ハハハ。モウムダ、モウムダ!モウスグカンショクダ。コノコドモハ、モドラナイゼ。」
「そう、かもな。でも、まだゆうたはここにいる」
誰にも握られていない右手をそっと握った。俺の左手よりも細い手を握っているであろうその手の形に滑り込んでしっかりとその手を握った。
「なぁ、ゆうた。戻ってこいよ」
「ウルサイ。ミツカッタイジョウハコレデオワリダ。サイゴノバンサンクライタノシマセロヨ」
「なぁ、ゆうた。お前の父ちゃん泣いてるぞ」
「ウル、サ、イニン、ゲン」
「なぁ、ゆうた。辛いよな、悲しいよな。でもな、お前一人じゃないんだぞ。その辛さも悲しみも、お前の父ちゃんだって背負ってる。それをわかってやるのも共有出来るのもお前だけなんだぞ。そんなお前がいなくなってどうするんだ」
「ヤメロ」
「お前が居なくなったら母ちゃんの分とお前の分を父ちゃん一人で背負っていかなきゃいけねぇんだ」
「ヤメロ」
「残されるのは辛いよな」
「ヤメロ」
「おいていくなって叫びたくなるよな」
「ヤメテ、クレ」
「辛いよな、苦しいよな...でもな、お願いだから一人にしてやらないでくれよ。お前までいくな。父ちゃんを、お前の家族をおいていくな」
「ヤメ....」
「戻ってこい、ゆうた」
泣いていたのは俺だった。ほんとは俺だった。おいてかないでくれって叫んでいたのは俺の心だった。
「ーーーー....っちゃった」
「...ゆう、た?」
「きらいって言っちゃったんだ」
それは先ほどまでの雑音のような声ではなく、か細く優しく救わないとこぼれ落ちてしまいそうなほどの弱々しい声だった。
ゆうたの父親もそれに気がついたのか、ハッと顔を上げた。
「母ちゃんなんか、嫌いだって言っちゃたんだ」
「...うん」
「本当はそんなこと思ってないのに。...俺なんであんなこと、いっちゃったんだろう」
「うん」
「ほんとは....母ちゃんのこと好きなのに。母ちゃんすげぇ悲しい顔してて。俺、母ちゃん泣かしちゃったと思って逃げちゃったんだ。
...だって死ぬなんて思ってなかったんだ。帰ったらごめんなさいって言おうって。でも帰っても、母ちゃん帰ってこなくて、もうずっと帰ってこなくて...帰ってこないんだ!母ちゃんが帰ってこない!うっ...うっうぅ」
「うん」
か細い独白は段々と命を宿して涙と共に溢れ出た。虚だった光を通さない瞳は今は溢れんばかりの雫が一生懸命に光を反射させている。
だから、俺は彼の反省を後悔を無念を受け止める為に地面に膝をついて視線を同じ高さに合わせた。彼の心とちゃんと向き合う為に。
「本当は手、繋ぎたかった」
「うん」
「急に恥ずかしくなっちゃったんだ。だってもう、みんな繋いでないって言うから...まだ母ちゃんと手繋いでんのかって言われて」
「うん」
「だから、恥ずかしいことなんだって思って。だから、母ちゃんに繋ごって言われても繋げなくて、でもその時母ちゃん悲しいそうな顔してて」
「うん」
「俺も本当はつなぎたかったんだぁ、、」
「うん、わかるよゆうた」
「ごめんなさいかぁちゃん」
大きな声で泣きながらひたすら母親へ謝る姿にいてもたっても居られず気がつけば抱き締めていた。
「会いたいよぉ...母ちゃんに会いたい。母ちゃんに会って嫌いじゃないよって言いたい。本当はいちばん好きだよって言いたい。母ちゃんと手繋ぎたい。母ちゃんの隣で寝たい。母ちゃんのご飯が食べたい。母ちゃんに本読んでほしい。母ちゃんと遊びたい。母ちゃんの声が聞きたい。母ちゃんにぎゅーしてほしい。母ちゃんに会いたいんだ。お願いだから、もう俺がいなくなってもいいから母ちゃんに会わさせてよ...もっと一緒にいたかったんだ...もう会えないなんて嫌なんだよ...」
わかるよ。すごくわかるよ。会いたいよな寂しいよな。後悔でいっぱいで胸がいたくて、夢でも会えるなら自分がいなくなってもいいって思えるくらい苦しかったんだよな。わかるよ、ゆうた。でもな...
「ゆうた...。お前の気持ちわかるよ。俺も同じだったからな。母ちゃんがいなくなって寂しくて寂しくて仕方がなかった。でもな、お前がいなくなったら父ちゃん泣くぞ?お前が今泣いてるみたいに父ちゃん悲しくて寂しくてきっと毎日泣くんだろうな。その悲しさも寂しさも分かってやるのも一緒に背負ってやれるのもお前だけだぞ」
ゆうたは鼻を啜ってひっくひっくと不規則に呼吸をしながら俺の話を聞いてくれていた。冷えた夜に抱き寄せたまだまだ小さい体はしっかりと鼓動を刻んで温かい。
「それにな、父ちゃんの料理も...破けたオムライスだって、味のない味噌汁だって悪くないと思うぞ。きっと、繋いだ父ちゃんの手は大きくて安心するし、抱きしめる力は強くてびっくりするかもしれないし、本を読んでくれたらきっと面白い。父ちゃんと遊ぶのもすげぇ楽しいと思う。寝るのはまぁ、もしかしたらいびきがうるさいかもな。お前の後悔と大好きは母ちゃんに必ず伝わってる。それでもお前が悔やむなら、父ちゃんのこと大事にしろ。嫌いと言ったことを悔やむなら父ちゃんにはちゃんと好きだって伝えておくといい。沢山手を繋いでたくさん遊んでたくさん一緒に居たらいい。父ちゃんきっと喜ぶぞ」
「..〜ッうん」
この小さな背中にどれほどの悲しみを背負っていたんだろう。
すぐに前を向かなくたっていい。雨の後でぐしゃぐしゃになった地面を見て立ち止まったっていい。泥に汚れた靴を見て嘆いたっていいんだ。だけど、知っていてほしい。それでも上を見上げれば、雨上がりの空からのぞいた太陽が濡れた地面を乾かしてくれることを。この天気だと洗った靴もすぐ乾くねって笑いあえる人がいることを。
「あ!そうだ、ゆうた。今日お前の父ちゃんにドグウレンジャーのカード渡してるからな。帰ったら見てみろ」
「ドグウ....ほんと!?!?!?」
「あぁ、ほんとだ」
目の奥がキラリと光った気がした。
これでもう、ひとまずは大丈夫だろうか...
恐る恐るゆうたの父ちゃんを見れば、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。そんな様子を見つつゆうたは困惑した様子で近づいていった。そうして向き合った親子はただただ抱きしめ合いその温かさを噛み締めた。
「おやおや、はっぴぃえんどですか?あるじ様」
聞き慣れた呑気な声に振り向くと、そこにはやしろがいた。その隣には淡い光が漂っていて徐々に人の形へと変化していく。
「冥界へ行く前にちょっとだけ、お連れしました。今回だけ特別ですよ?」
そう言い終わる頃には淡い光は見覚えのある女性の姿形をしていた。いくらやしろでもここまでの事をするのは大変だったろうに...。普段はへらへらしてるのに、いつだってだれよりも優しいのだ。だから、救えた。やしろの言葉が、あったから救えたんだ。
「か、母ちゃんっっ!!!!」
彼女の姿を見るなり、ゆうたは泣き叫んだ。ずっとずっと恋しくて会いたくて仕方がなかった相手だ。それでも、父の服を掴んだままその手を離すことはなかった。ゆうたは父親の側を離れることなく母を呼んでいた。
もう、大丈夫なんだな。
その姿を見てそう思った。
「母ちゃん、ごめんなさい...きらいって言って本当はだいすきなんだ!!母ちゃんのことが大好きだったんだ!ごめんなさい、かぁちゃん」
『分かってるよ』
ゆうたの母ちゃんが笑ってる。
『分かってたよ』
その温かな短い言葉で、ゆうたは救われる。彼の後悔が浄化されますように。
ゆうたの母ちゃんは少しずつ光の粒となって天へと昇っていく。それはとてもきれいで少し寂しさはあったけれど悲しさなんて少しも感じさせなかった。
『あなた、ゆうた。あなた達を心から愛してる。幸せになって』
光はまろやかに弾け天へと昇っていった。光の粒を追いかけて見上げれば満点の星空が広がっていた。きっとあの星のどれかが、ゆうたの母ちゃんなんだろうか。
彼女を見送った二人は、今度こそお互いを見失わないように手を繋いで帰っていった。
「お見事でしたね、あるじ様」
「やしろこそ、二人を母ちゃんに会わせてくれてありがとう。って...あ、れ?俺いつ祓った!?祓えたのか!?」
「はい。それはもう綺麗さっぱりと。さすが、祓い箱ですね、あるじ様」
「え、そうなの?確かに気配は消えてたけど、、、え、いつ?どうやったの、俺」
「ふふふ、答えを見つけるのもまた成長。ね、あるじ様」
「また、それかよぉ」
「ふふふ」
「はぁぁ...俺たちも帰るかぁ」
「はい」
喧嘩したっていつの間にかいつも元通りだ。今までどんなことで喧嘩したかは覚えてないけど、この感覚だけは覚えている。
「腹減ったなぁ」
「シロはオムライス食べたいです」
「じゃあ、卵買って帰るか」
「はーい」
これから先どうしらいいのかまだ分からない。どうしたいのかも。でも、まあ、もう少し夢を追ってもいいのかなって...思う。
それから飯を食って風呂に入って布団に入った。今日のことを思い出してこれからの事を考える前に意識は途切れて夢の中へとおちていった。
規則正しい寝息が聞こえ始めたのを一瞥して妖狐の姿から人の形へと姿を変えた。主人は布団に入るといつも、ものの数分で寝てしまう。そんなところも愛らしいなと思う。けれど、会話をしていないと、あなただけを見つめる時間があると、切なさで胸が苦しくなる。
「はやく...思い出してよ」
僕の思いも知らないで。
幸せそうに眠る主人が妬ましい。僕を置いていったのに忘れるのが悪い。だから寝ている間に何をされても文句は言えないだろう。なんて、言い訳をして額に唇を落とせばさらに切なくなって深いため息がこぼれた。
ーーーピンッ
講堂の方から見知った気配を感じた。はぁっともう一度深いため息をついて立ち上がった。大切な時間を邪魔されて腹立たしい。
「渚」
講堂につけば淡く光った人影が一人座禅を組んでいた。呼びかけた声に反応してこちらを振り向いた彼は昔と変わらぬ人の良さそうな顔でニカっと笑って手を上げる。
「よう!やしろ久しぶりだな」
「霊魂になっても様子をみに来るなんて過保護過ぎるよ」
「仕方ないだろ。たった一人の息子なんだから」
旧友に会ったような感覚にくすぐったさを覚えながら縁側へと出て二人で腰掛けた。
「ついに目覚めたのか」
「力だけはね。まだ右も左も分かっていないけれど」
「そうか...。本当に何も話せねぇのか?」
「下手に干渉して魂としての記憶が捩れては困るからね。なんせ前例がないんだ。教えるにしても導く程度で、自身で見つけてもらわなければ」
「まぁ、そうだよなぁ。でもやっぱ俺は親バカだからよお、こんな俺の背中追っかけてたあいつがもがく姿を見てると居た堪れねえんだよな」
「見なきゃいい。冥界へさっさと行って輪廻の輪に入りなよ」
「急に冷てぇな。つむぐが立派な祓い師になったら行くよ。親として見届けなきゃな」
「無駄に霊力が強いからね、渚は。そんなことが自分の意思で出来る霊魂なんてなかなかいないよ」
「はは、そうだろな。今が一番この力に感謝してるかもしれねぇな」
「まぁ、安心してよ。僕がそばに居る」
そんな僕の返事に渚は少しだけ考え込んだ。
「...なぁ、つむぐが本当の自分を思い出したらどうすんだ」
「もちろん、連れて帰るよ妖界へ」
「そうか...」
「なんか...不満そうだね」
「いや、なんつーか、俺は人間だからな、やっぱりいつかは結婚して嫁さんもらって子供が産まれてっていう家庭を築いてほしい気持ちもあるんだわ。俺がそれで幸せだったからっていうのもあるしな。だから、なんかこうちょっと複雑だ。まぁ、この考えはお前には申し訳ないけど...」
「...つむぐが、
それを望むならそれでもいいと思う。分かってるよ。今のつむぐは人間で、しかも本来の記憶がない。彼が望むなら誰かと恋をして結ばれてそれがつむぐの幸せになるのなら.....」
あぁ...しんどいな。もうずっと、ずっと一方通行には慣れているはずなのに。
「つむぐが幸せならそれでいい。僕はただ、そばにいれたらそれでいい。」
やっと会えたんだから。...でも、この気持ちはいつまで経っても慣れないな。
「ところでお前なんでつむぐの前ではあの喋り方なの?」
「...秘密」
お払い箱のお祓い師 むい @muumuumuu
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