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坊っちゃん落選作品

桜の季節になると思い出す。


「どこのコ? おなまえは?」

あれは、何歳だったか。

幼い頃、ちびっこ広場で遊んでいると、知らない子が桜の木の下に立っていた。

子供特有の図々しさで声を掛けた。

「さくら……」

「さくらちゃんね! おともだちになろうね!」

おずおずと頷く少女の手を握り、友達の輪にその少女を引っ張りこんだ。

しかし桜の花が散った頃には彼女はパッタリと姿を見せなくなっていた。

あれは、子供だけが見える桜の花の精霊なのではないだろうか?


「……と思うんだよね」

「それは良いけれど、公園で一人酒はやめなさい」

休憩室で弁当を広げながら、同僚のナッチが呆れたように言う。

「だって綺麗じゃない。桜」

「せめて私を誘えって言ってるの」

コンビニのサンドイッチを頬張るこちらに、箸先を向ける。

「何かあったらどうすんの」

ヒト様を箸で指してはいけません。

「んー、気を付ける」

「本当に気を付けてよね。ショウは可愛いんだから」


可愛いと言われるのは嫌ではない。155センチの身長、細身の身体、童顔、やや長めの黒のショートヘア。なんなら女子の中にいた方が違和感が仕事をしないまで言われる。

明神丘正太郎(ミョウジンオカショウタロウ)という昭和以前然とした名前でさえなければ。


公園で一人で酒を飲んでると言っても、缶ビール一本程度だ。それに、仕事をしていたらその時間にしか公園に行けないじゃないか。

未だに幼い頃に一時期遊んだだけの少女に会えないかと淡い期待を抱いているとは、我ながら中々のロマンチストである。

すっかり仕事帰りの日課になった公園での一人花見酒を楽しみながら、今日は満月かなどとうすらぼんやりと考える。

と。

「ちょっと君」

男に、やや離れた場所から声をかけられた。

「君、こんな所で何やってるの?」

警察だ。成人して10年も経とうと言うのに、この童顔のせいで補導され掛けたのは一度や二度ではない。溜め息をついて近付いて来る警官を眺める。

「君、未成年だよね。女の子がこんな時間にこんな所でお酒なんて……」

言い掛けた警官に、免許証を突き出す。

「……え? あ、え?」

「みょーじんおかしょーたろー、さんじゅっさいです」

「え?」

「未成年でも女の子でもありません」

「え?本当に?え?」

警官は免許証をまじまじと見つめ、すいませんと頭を下げた。

「いえ、慣れてますんで」

免許証を財布にしまい、鞄に入れる。

警察も去り、俺も帰るかなと缶を振って残りを確かめると、酔っ払いだろうか、作業着の男達がでかい声で笑いながらやって来るのが見えた。

二次会だの飲み直しだの言っているので、手のコンビニ袋には酒が入っているのだろう。

「もー、飲み過ぎですって」

「マジで」

「いや、まだだね! まだ飲むね! 俺は!」

「ちょっと、上司を差し置いて飲み過ぎないで貰えないかな」

ゲラゲラと笑いながらあそこにしようここにしようと桜を指さしている。

絡まれたら面倒臭いなと、立ち去ろうとして、中の一人に指さされた。

「あー!」

見れば、若い茶髪のイケメン君がニコニコと笑っている。身長は175センチはあるだろうか。

「ショウちゃんだ! ショウちゃんだよね!」

「え、いや、どちら様ですか?」

唐突に名前を呼ばれ、思わず返す。

「あー、あんたがショウちゃんかぁ!」

「うっわ、あさひ。めっちゃ美少女じゃん!」

「え、マジで? この子もっと若いでしょ」

「ショウちゃんっすよ! 間違いないって! この美少女っぷりはショウちゃんっすよ!」

作業着の男どもに囲まれ、思わず怯む。

「ヒト違いです!」

お巡りさん、タイミング早いんだよ!

走って逃げながら、思わず警官に八つ当たりをしていた。


「ってことがあってさぁ」

「だーから、気をつけろってあんだけ言ったでしょうが」

翌日の昼食時に昨夜の件を話すと、ナッチがぶーぶー文句をつけてきた。

「いやいや、ナッチが居てもかわんないべ」

むしろ身長はナッチが2センチ低い。

「じゃあもう、公園で飲むのやめて、うちで飲めば良いよ」

「家で一人飲みかぁ」

それも別に悪くはないんだけどねと呟くと、ナッチに叩かれた。

「違うって! もう。あたしのうち!」

そっぽを向くナッチの顔をまじまじと眺める。

「何!?」

「あ、いや、一応、彼女でもない女の子の家で二人きりは気が引けると言うか」

言い淀む俺をナッチが睨む。

「彼女で良いじゃん」

「え?」

「だから、彼氏と彼女で良いじゃんって言ってんの!」

「えっと……」

正直、女の子に告白して「そんな風に見れない」と断られた事は何度と無くあった。

けれど。

「ごめん、そんな風に見れない……」

まさか、同じ台詞を俺が吐く事があるとは思っていなかった。

「……ごめん……なさい……」

「あ……やーだぁ! なんであたしがフラれたみたいになってるの! もう! 冗談に決まってるでしょー!」

ナッチが殊更に明るく笑う。良いコなのはわかってる。凄く良い友達だ。だけど……。

「冗談なんだから気にしちゃダメだからねー!」

だけど……ごめんなさい。


やりきれなくて、やっぱり仕事帰りに公園に来てしまった。なんとなくギクシャクしてしまって、あの場のノリで流せば良かったかなぁなどとも思わないでもない。でもなぁ。缶ビールを音を立てて開け、ぐいとあおる。

「あ、いたいたー」

聞き覚えのある声に振り向くと、昨日のイケメン君が手を振って寄って来るところだった。

「今日も居るかなーっと思って」

ニコニコと笑う彼に見下ろされ、思わずひきつった笑顔を向ける。

「だから、ヒト違いですって」

「あー、うん。昨日はうるさくしてゴメンね。ちっちゃい頃、ちょっとだけ遊んだ女の子そっくりなんすよね、きみ」

ちっちゃい頃……こんな男の子いたかな? 名前も知らない子とも無差別に遊んでいたので、直径と言われると全く記憶に残っていない可能性が高い。

「ショウちゃんじゃなくて、えーと……」

「ショウちゃんで良いです」

まぁ、本人だしな。

「あ、自分は……」

「あさひ君だっけ?」

昨日のやり取りを思い出す。

「あ、そうっす!」

あさひ君は自分のビールを開けると、隣に腰かけた。

「自分、子供の頃、親が転勤族ってやつで。めっちゃ引っ越ししたんすよね。で、まぁ、婆ちゃんの家がこの近くにあって、一ヶ月だけ両親と離れて婆ちゃんに面倒見て貰った事があって。寂しくて寂しくて。公園に行ったらショウちゃんが見つけて声をかけてくれて。そっから毎日ショウちゃんと遊んだんすよ」

覚えてないなと思い、ふと、さくらちゃんを思い出す。さくらちゃんに俺の事を覚えて貰えて無かったら……と思うとズキリと胸が痛み、急にあさひ君に対して罪悪感が芽生えた。

「そ、そうなんだ。そのショウちゃんはそんな可愛かったの?」

「そりゃあ、可愛かったっすよ。天使か妖精かってくらい」

「……へー……」

あさひ君の初恋なのかも知れない。……なら、余計に『ショウちゃん=男』なのは黙って居た方が良さそうである。

「だから、また会えないかなぁとか思って、高校卒業してからこっちで就職したんすけど、仕事忙しくって」

あははと明るく笑う。

「もしかしたらめっちゃ変わってるかもよ?」

「かもっすねー。でも、あの時、ショウちゃんに救われたんすよ。だから、会えたら『ありがとう』って言いたくて」

少し、意地悪く言った俺の言葉に、あさひ君は優しく笑い返した。


あさひ君は良いヤツだった。良いヤツ過ぎた。夜の公園で何度か一緒に酒を飲んで語って。会社の事や同僚との事を当たり障りない程度に話したり、向こうの愚痴を聞いたりして、すっかり友達になっていた。

いい加減、自分が彼の探す『ショウちゃん』である事、『男』である事を隠すのがきつくなってきていた。

ナッチとは昼を一緒に取らなくなっていた。

「仕方ないっすよねぇ。異性の友達って難しいって言いますし」

「あさひ君は得意そうだよね、そう言うの」

凄く女の子にモテそうだし、との言葉はビールと一緒に飲み込んだ。

「転勤族の娘舐めんなっすよー。表面上さらっと仲良くするのは得意なんすよねー」

「へぇ、そうなんだ」

缶ビールから口を離し、ふと、何か今、変な単語を耳にした気がして、首を傾げた。

「転勤族の……?」

「ああ、前に言ったじゃないっすか。親が転勤族だって」

「うん……え?」

「あっちこっち転校大変だったっすからねー」

「あさひ君?」

「なんすか? あ、ショウちゃんには心開いちゃってるっすよー?」

いつも通りの笑顔を向けてくる。

「あさひ君、名字なんだっけ?」

「? 名字が『あさひ』名前が『さくら』っすよ」

空中に指を走らせる。

「数字の九にお日様の日の旭、さくらはひらがなっす」

「さくら……ちゃん……?」

「なんすか?」

声が震える。あの『さくらちゃん』なのだろうか?   その前に女の子なのだろうか? え?

「女の子? え?」

「ひどいっすねー、まぁ、よく言われますけど」

あさひ君、否、さくらちゃんが明るく笑い飛ばす。

しまった、声に出ていたか。

「え、でも、え。え。全然違う……」

「なんすか?」

「否、俺の知ってる『さくらちゃん』と全然違うから……」

「え?」

「俺、ショウちゃん」

「うん」

「じゃ、なくて、昔、ちっちゃい頃一緒に遊んだ……」

「……え?」

「『あさひ君』て男の子を覚えてなくて、咄嗟にヒト違いですって言った……」

「え?」

「ゴメン」

「あ、うん」

「あと、俺、男……」

「あ、うん……え?」


花見酒の季節は終わりを告げる。


数年後の桜の頃に二人が結婚式を挙げる事になるとは、まだ思っても居なかった頃のお話である。

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