女装した俺が、なぜか先輩に気に入られた件について。

水月つゆ

第1話 女装した俺と、夏樹先輩。


 ──プロローグ。


「矢野ってすっげぇ可愛い顔してるよな!」

「矢野って女の子より女の子みたい」


 クラスメイトに散々いじられた、俺の顔。


 コンプレックスは、〝女顔〟。


 自分の顔が嫌いになったことだってある。


 女も、男も、みんな口を揃えて俺のことを可愛いだの女の子だのと言いふらす。


 女顔ということもあり男だと見てもらえなくて、初めから俺は恋愛対象外になった。


 どいつもこいつも言いたいこと言うだけ言って、俺が悩んでいるなんてことも知らずに。


 ──だから、俺は思った。


 絶対に見返してやるんだって!


 その日から俺の女装への追求が始まったんだ。



 ◇



 八月。夏休み、蝉の鳴き声がうるさくて、うだるような暑さが俺を襲った。

 首元にまとわりつく髪は鬱陶しくて、そこから熱が発生する。黒髪のさらさらヘアーを装着しているからだ。


(今日も暑い……)


 片方の髪を耳にかけて少しでも首元の熱を逃すようにする。


 タイミングよく吹いた風によって、ふわりと髪は攫われる。


 ──あっ、涼しい……。


 膝下まである白いワンピースはほどよくなびいて、女らしさを強調する。


 通りすがる男子は、ちらちらと俺の顔を見ている。中には鼻の下を伸ばしながらでれでれとして、その表情を隣にいた彼女に注意されている。


(……今日もすごい視線の数だなぁ)


 心の中で本音が漏れて、思わずにやけそうになる表情をぐっと堪えると、目の前だけを真っ直ぐ見て歩いた。


 俺、矢野朝陽(やのあさひ)。性別は男子。趣味は休日に女装をして街を練り歩くこと。だからといって男が好きなわけではない。もちろん異性が恋愛対象だ。


 男である俺がなぜ休日に〝女装〟をしているのかといえば、それは──


「──あれ? 矢野くん」


 何の脈絡もなく呼ばれた俺の名前に、身体が勝手に反応して立ち止まり振り返る。


「……あっ」


 視界に映り込んだのは、ふわふわした柔らかそうな茶髪に髪の隙間から覗くピアスが二つ。切れ長の瞳は真っ直ぐこちらを向いていて、無地のTシャツにズボンとラフだけれど、おしゃれに見えるのはそれだけ実物が整っているから。


「夏樹先輩」


 そこにいたのは、見覚えのある人物だった。


 高校の一つ上の夏樹孝明(なつきたかあき)先輩。

 俺が通っている高校は男子校で上級生と仲良くなるなんてことは部活に入らない限り滅多にないが、俺と夏樹先輩は生徒会で一緒だ。


 だから当然、お互いを知っているわけで。


「矢野くんとこんなところで会うなんて珍しいね」


 ──だが俺は、ハッとした。


 なぜならば、俺は今、女装をしているからだ。


 それなのに夏樹先輩は俺のことを知ってて声をかけたらしい。

 その証拠に今も俺のことを名前で呼んだ。


「矢野くん?」


 ほら、また。


 一度ならず二度までも。確実に俺だと思って声をかけている。


 けれど、ここで返事をすれば今の俺が矢野だってことになるし、女装して歩いてたなんて学校で言いふらされたら笑い物扱いされてしまう。


 ああでもさっき、〝夏樹先輩〟って言っちゃったし……いやでも今ならまだ誤魔化せるかもしれない。


 俺は好奇の目に晒されて三年間過ごすためにこんなことをしているわけじゃない。


 だから、負けるな俺!


「……ひ、人違いじゃ、ないですか」


 俺は、この場を乗り切るためにシラを切ることにした。


 男なのに人よりも少し高めの声が嫌いだったけれど、こういうときに役に立つ。女子でもハスキーボイスは普通にいるから、俺のこともそうやって思ってくれたら乗り切れる。


「何言ってんの、矢野くんでしょ」


 それなのに夏樹先輩は、疑う素振りひとつも見せずに俺の名前を呼び続ける。


「いやっ、あの、何を言われてるかさっぱり……」


 誤魔化してみるが、身体の中は心臓ばっくばくで。


「俺もこの状況にびっくり」


 どうしよう、どうしよう。このままではきっと一分もしないうちに証拠さえ掴まれそうだ。そうなったら俺の高校生活は日陰のものとなるだろう。


「ねえ、矢野く──」


 そうなれば、残す道はひとつしかない。


「わっ、私、ほんとに知りませんから……!」


 夏樹先輩の声を遮った。


 慣れない〝私〟呼びに思わず赤面しながら、夏樹先輩に背を向けて走った。


「あっ、ちょっ……」


 背後で慌てる声が聞こえたけれど、追いかけて来る足音は聞こえなくて。


 けれど、怖くて振り向けなかった。


 代わりに俺は、走った。


 運動部ではない俺が、走ることに慣れていなくてすぐに息があがる。それでも走って走って、夏樹先輩が見えなくなるまで逃げたんだ──。

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