第146話 理玖の望んだもの

 五陵坊との決着を着け、俺はみんなの所へと向かう。


「兄さま!」

「理玖! けがは!?」


 俺は大丈夫だと答えると、指月と万葉に視線を向ける。


「まだ終わってないだろう? どうやら善之助も奮闘している様だが、大型幻獣はさすがにしぶといな」

「民たちの避難も進めながらだからね。……理玖殿」

「ああ、ついでに片付けてやる。万葉を借りるぞ」

「え……?」


 俺は万葉にこっちにくる様に手招きする。万葉は素直に側へ来た。


「さっきも話しただろ。こんなに強力な術をポンポンと使えるのは、万葉が近くにいるからなんだ。大型幻獣を仕留めるとなると、また大規模な術を使う必要がある」

「まさか万葉様を、大型幻獣との戦いの場にお連れするつもりか!?」


 近衛頭が抗議してくるが、俺は薄く笑う。


「戦いの場? 冗談だろ、戦いにすらならねぇよ。万葉がいればな。終わったらまた御所に戻ってくる。じゃあまた後でな」

「あ!」


 俺は万葉を抱きかかえると、御所の掘りごと飛び越えて大型幻獣の元へと向かう。遠くから近衛頭の叫ぶ声が聞こえるが、無視だ無視。どうせ追い付けやしない。


 ……そういえば、未婚の皇族に触れるのは皇国民にとって御法度だったか。俺には関係ないが。


「理玖様」

「うん?」


 落ちない様にしっかり俺にしがみついている万葉が、耳元で遠慮がちに声を出す。


「お顔色が……すぐれない様子。大丈夫、でしょうか」

「ああ……」


 いくらか血を失ったからな。普段よりも血色が悪くなっているかもしれない。だが今はまだ、これが理術による反作用だと話す気はない。自分の切り札だからな。


「ちょっと疲れが溜まっているだけだ。美味いもん食ってよく寝れば、直ぐに治るさ」

「そうですか……ふふ」


 おや。俺の記憶だと、万葉が笑ったのは初めてだ。


 万葉はあまり感情を表に出さないだけで、人並みの感受性を持っている事は分かっている。人前で笑うのは珍しいが、無い事でもないだろう。


「理玖様。理玖様のお力と、私にはどの様な関係が……?」

「皇都に戻ったら話すつもりだったが。俺は大精霊との契約で、お前を護るという義務があるんだ」

「え……」

「その義務を果たす時において、俺はさっきみたいな強力な術が使用可能になるんだよ。だがまぁ、何も義務だけでお前を護っている訳じゃない。俺が万葉を契約の対象者だと定めたのは、あの時お前が。俺にそう願ったからだ」


 万葉が俺に生きたい、助けてほしいと叫んだ時の事は、もう随分と昔の出来事のように感じる。


 俺が力を振るうのはいつでも自分のためだが。人界に帰ってから、初めて人から頼られた出来事でもあった。皇国に居た頃も、誰かに頼られるなんて事はなかったからな。


 ……ああ、そうか。俺はもしかしたら、人から頼られて嬉しかったのかもしれない。こうして様々な角度で物事を考えられる様になったのも、精神が復讐から解き放たれたからだろうか。


「しかし万葉。随分強くなったんじゃないか? 今なら並の妖程度、倒せそうだな」


 並の妖、か。我ながら変な表現だと思う。万葉は不思議そうな表情で疑問を口にした。


「強く……なったと、理玖様はお感じになられたのですか?」

「ああ。お前、ほとんど霊力が残ってないだろ? あの場に居た偕たちも、霊力が残り少なかった。それでも誰も目立った外傷は無かったからな。俺を呼ぶまでの間、格上相手に随分と上手く立ち回っていたんだろうと思ったんだが。違ったか?」


 万葉はどうでしょう、と少しはにかむ。


「清香たちと協力して、襲撃者や妖を撃退しましたが。上手く立ち回れていたかどうかは……」

「いや、十分だろ……」


 どうやら想像以上に上手くやっていた様だ。皇族が近衛とともに在るのは当然。そして万葉は術士として成長もしている。強力な武人と術士が常に組んでいる様なものだ。


「……と、お喋りは終わりだ」


 眼前には大型幻獣が暴れている様子が確認できた。皇都は燃え、建物もいくつか倒壊している。だが兵士たちは上手く大型幻獣を誘導し、民の避難が済んでいる区画で立ち回っている様だった。指揮を執る者が有能なのだろう。


 俺は目を閉じると少し集中し、善之助の姿を探す。上手く見つけられた俺は、屋根を飛んで建物の上から善之助の名を呼んだ。


「善之助!」

「……!? な、理玖か!? そ、それに、万葉様!?」


 名を呼ばれ、見上げたら俺と万葉がいるのだ。そりゃ驚くか。俺は万葉を降ろすとそのまま叫んだ。


「あとは俺がやる! 兵士たちに離れる様に指示を出してくれ!」

「……やれるのか?」

「たった今、妖と化した五陵坊を討ったばかりだ。それに比べたら、あれは大した相手じゃない」

「……! 分かった! 急ぎ指示を出す!」


 兵士が周辺から撤退するのを待ちながら、俺は万葉に語り掛ける。


「力を使うのは俺だが。この力も、万葉がいて初めて発揮できるものだ。あの時にお前が俺を頼り、俺がお前を選んだ事で、皇国を救う力が生まれた」

「理玖様……?」

「まぁなんだ。俺に……」


 涼香の様に、心に芯を持った生き方を羨ましいと思った。偕たちの様に、幼い頃の誓いにひたむきに生きる姿も羨ましいと感じた。


 復讐から解放された今、俺はよりそうした類の感情を意識する様になった。そして万葉と出会った事で、俺は今、皇国を救う機会を得られた。


(……少し前の俺なら馬鹿馬鹿しい、と笑っただろう。いや、今も馬鹿馬鹿しいと思っている。今更かつて願った生き方をしようとも思えない。全てが終われば俺は群島地帯へと帰る。だが。その前に、かつての故郷をついでで救っていくのも悪くないだろうさ)


「……いや、いい。忘れてくれ」


 そう言って大型幻獣を睨む俺の左手に、温かいものが包み込んだ。視線を移すと、万葉が俺の左手を握っている。


 兵士たちも大型幻獣からだいぶ距離をとっている。そろそろいいだろう。


「いくぞ、万葉。これで……しまいだ」


 そして。皇都の空に、巨大な刻印が浮かび上がる。そこから生まれた剣は、大型幻獣よりも大きく。巨大な剣は、一撃で大型幻獣を仕留めた。





 大型幻獣を倒してから五日が過ぎた。今も皇都は大混乱の最中にある。しかし徐々にそれも収まりつつあった。


 指月は今日も、寝不足で多くの対応に追われている。


「そうか……! これで、此度の動乱も終わったか……!」

「はい。生天目領で五十鈴を、羽場真領で栄六を。そして左沢領では菊一と佐奈を。ここ皇都で鷹麻呂と五陵坊を討ちました。妖や反乱を起こした破術士たちもあらかた討っております。まだ僅かに残っておりますが、時間の問題でしょう」


 報告したのは薬袋誓悟だった。今は各地との通信も復旧しており、大方の情報は入ってくる様になっている。まだまだ片付けなければならない問題は多いが、事態の収束が見えているのは大きな希望になった。


「第一優先順位の懸案の見通しがたって良かったよ」

「はい。ですが、第二第三の懸案もございます。本格的に落ち着きを取り戻すのは、一年以上は必要でしょう」


 それは指月も理解しており、難しい顔で頷きを返した。霊影会の引き起こした争乱により、皇国は大きな傷を負った。中でも武人の裏切りは民たちに大きな不安を与えた。


 早期に事を収められたから良かったが、もう少しこの争いが続けば、不安と不満をため込んだ民たちの暴動もあり得たのだ。


 自分が五陵坊の立場であったらそうなる様に仕向ける、と指月も考えていた。


「やる事は山積みだね。皇国軍の再編、各地の復旧。それに破術士や楓衆に対する待遇や制度の見直しも必要だろう」


 薬袋誓悟は難しい表情を見せたが、指月は改革を執り行う気でいた。今回の事は、長い皇国の歴史で生まれてきたものが関わっている。


 すなわち貴族と破術士。互いに同じ力を持っているのに、待遇は大きく異なる。貴族と平民を分ける要素は霊力の有無。その狭間にいる者と貴族は、これまでの歴史でその溝を大きく広げてきた。


 永きに渡って積み重なった怨念めいたものが、霊影会という形で具現したのだ。今のままでは、またいずれ第二第三の霊影会が生まれるかもしれない。元々霊影会以外にも、破術士の犯罪者集団は存在していたのだから。


「それも必要でしょうが。新皇王の件もあります」

「ああ……」


 五陵坊が御所を襲った日。現皇王は五陵坊の放った霊力波動の巻き添えを受け、隠れることになってしまった。


 まだ一部にしか知られていないが、いつまでも皇王不在という訳にもいかない。しかし指月は、何の感慨もない様子で答えた。


「とはいえ、元々父上は表に出てこない人だったからね。それこそ後回しでも問題ないよ」

「しかし……」


 口では異を唱えつつも、薬袋誓悟もどこか納得していた。


これまでも実質的な公務のほとんどを、指月が取り纏めていたのだ。そして今回、皇国危急の時にあっては早期から対応室を設置し、常に指揮を執り続けていた。


 今の皇国を治められるのは指月をおいて他にいないし、指月が皇王になっても今とそう大きくは変わらない。


 ここで自分こそが次期皇王だと主張する皇族が出てきたら話はややこしくなるが、さすがに今の時勢で、わざわざ新たな争乱の種を蒔く皇族はいないだろう。いないと信じたい。


「現状だとそれよりも優先する事の方が多いからね。ある程度落ち着いたら、今度は帝国との話し合いもある。あちらも国内で争乱があったばかりだから、もう少し先になるだろうが……」


 帝国での事は、触りだけ理玖から話を聞いていた。詳細については後日、指月の予定が空いてからという事になっている。


 皇国七将も今は黒霧紗良と南方虎五郎の二人しか残っておらず、しかも紗良は怪我を負っている。復旧作業を進めようにも、現場指揮官が足りていないのだ。


 指月は空を見上げ、眩しそうに目を細める。


「まだまだ寝られない日が続きそうだね……」

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