第84話 理玖の心 涼香の答え
万葉の警護報酬をもらった次の日。帝国へ行くまでの間、どう過ごそうかと思案していると、また涼香が訪ねてきた。
「……なんだ、お前。暇なのか? 一応葉桐なんだろ?」
「一応とは何よ、一応とは。れっきとした葉桐家の武人よ」
「そんなお偉い武人様が平民の家に来るんじゃねぇよ……」
はぁ、とため息を吐きつつも涼香に茶を淹れてやる。涼香はそれに口を付けてからしゃべり始めた。
「聞いたわ。またすごかったみたいね」
「ざっくりし過ぎて、何の事を話しているのかまるで分からん……」
「姉様に聞いたのよ。帝国聖騎士が謀反を起こして万葉様も危なかったけど、理玖が何とかしてくれたって」
「ああ……」
涼香は俺がまともに術を使う所は見た事がない。そのため大型幻獣との経緯も詳細なものが伝えられておらず、大まかな話しか聞いていなかったのだろう。
「指月は金払いがいいからな。対価の分はちゃんと働くさ。亀泉領でもそうだっただろ?」
「……ふふ。そうね。……ねぇ理玖」
「あん?」
「対価なんて言っているけど。本当は照れ隠しなんじゃないの」
「……なに言ってるんだ、お前は」
いつもなら金に汚いだとか言ってきそうなものだが。
「別に何でもいいけどね。でもかつて近衛を目指していた理玖が、今はこうして万葉様やみんなを守ってくれている。……私ね、気づいたの」
「…………」
「理玖の力ってさ。皇国を出なかったら得られなかったものでしょ?」
「…………ああ」
「皇国を出て、また戻ってきてくれて。誰にも変えられなかった万葉様の死の運命を砕いて。あなたは仕事だからとか、対価を貰っているからとか言うけど。その行いは正義に通じているし、実際多くの命を救ってきたわ」
「おいやめろ。正義とか言うな。そんなもの、人によって定義の変わる形の無いものだ。俺はそんなもののためにこの力を得た訳じゃない」
「そうよ、私が言っているのは私の定める正義の範囲の話。理玖がそのために強くなった訳じゃない事も理解している」
「……さっきからお前は何が言いたいんだ」
涼香の奴、何だか今日は妙に大人しいな。こう、変に見透かされた様な話し方をされるのも気持ち悪い。
「理玖の力ってさ。多分、人の未来をより良い方向に導くためのものなんだよ」
「……なんだか一気に胡散臭くなったな」
「前に理玖、話していたでしょ? その力は復讐のために得たものだって」
「ああ」
「その復讐したい相手が理玖に何をしたのかは分からないわ。でも理玖にそれだけ強い恨みを買われる様な事をしたのでしょう。第一、その左目を失う原因にもなった奴なんでしょ? どう考えても碌な奴じゃないわ」
「お前、今日はどうした?」
ここまで涼香に全肯定されるなんて。今外に出たら雹が降ってくるのではないか。
「理玖は復讐だなんて言ったけど。きっとその行いも、誰かの悲劇を食い止める事に繋がっているはずよ。私、そう思った時に考えたの。きっと理玖なら、どういう風にその力を振るっても、結果的に多くの人を救うんだって」
「随分お前にとって都合の良い解釈だな」
「いいじゃない。でもそう考えているのは、きっと私だけじゃないはずよ」
「…………」
俺は何となく、今日こいつが何をしに来たのか分かってきた。涼香なりにあの時の……俺の力に意味を与える、という自らに課した課題の答え。その片鱗を話しに来たのだろう。
「理玖。あなたがその力を得たのは、やっぱり意味があるのよ。復讐でもなんでもいい。力を振るうのがあなたである限り、それは多くの人を救う。万葉様を、帝国の姫様を。……私を救ってくれたように」
「……やめろ。そんなつもりじゃない」
今回だって俺の知らない所だったとはいえ、死人は出ている。俺の力は強力であっても、無制限に人を守れるほど万能ではない。
「やめないわ。そうやって自分の心から目を背けるのはやめなさい」
「俺が……自分の心から、目を背けているだと……?」
「そうよ。理玖も自覚くらいはしているはずよ。自分のこれまでの行いは、多くの人を守ってきた。中には間に合わなかった人もいたかもしれない。それでも万葉様を含め、様々な人の未来を繋いできた。でもあなたは、素直に人から感謝されるのが苦手な人。昔、葉桐一派にいた頃にいろいろあったからかもしれないけど。あなたは特に、自分の縁者……武人や皇族から真っすぐ感謝される事に抵抗を覚えてしまう。それを自分なりに捻じ曲げて、受け入れやすい形にするため、対価だなんて求めてもいないものを緩衝材に使っているのよ」
「…………」
「自分の心を偽っている訳ではない。文字通り、目を背けているのよ。でもそんなの、とてもつらいわ。だって自分の心は自分のもの。他人がとれだけ共感できても、決して全て理解できるものではないもの。自分の心を見つめるのも、肯定するのも。全ては自分次第なのよ」
「いかにも葉桐らしい、自分の在り方に自信を持った者の意見だな」
「ええ。それが私だもの」
ぶれないな。だからこそ俺は、涼香の中に「もしかしたらありえたかもしれない武人の自分」を重ねてしまうのだが。
「理玖はこれからも自分の心のままに力を振るえばいい。さっきも言った通り、私はそれが多くの人をより良い未来に導くものだって信じてる」
猪娘。再会した時から感じていた、涼香に対する俺の印象だ。そう思っていた奴に、自分でも気づいていない自分の心を見透かされた様な気がした。
涼香なりに、俺の得た力にどういった意味を付加できるのか考えていたのだろう。そうして思考を張り巡らせている内に、俺の有り様を垣間見た。垣間見られた方は堪ったもんじゃないが。
俺は何故か涼香の言う事を、小娘の戯言として捨て置く事ができなかった。
「帝国に行くんでしょ?」
「ああ」
「理玖はきっと帝国でも、これまでのように多くの人の未来を導くわ」
「ただの雇われ警護だ」
「ふふ。そうだといいけどね」
「……涼香のくせに生意気だな」
「んな!? なによ、せっかく人が長く考えてきた、ありがたい考えを聞かせてあげたというのに! 言っておくけど、話していて私も結構恥ずかしいんだからね!?」
「なら言うなよ……」
涼香が本当にこの事を考え続けていたのはよく理解できる。どれだけ俺が懐疑的な態度をとっていても、それすら見透かした様に話してきたからな。きっと一日の思考の多くを俺に割いてきたはずだ。
……そう思うとなんだか俺まで恥ずかしくなってくるな。
「お前。本当にどこまでも……」
「なによ……?」
「……いや。なんでもない」
その先を話せば、何だか悔しい思いをしそうで。俺は言うのを止めた。どれだけ思いを巡らせても、俺は武人として生を全うする事はないし、何度機会を与えられても、もうその未来を選ぶことはないからだ。
しかし涼香。お前は一つ、思い違いをしている。俺はこれからの皇国人や帝国人の行動次第では、人類全体の未来を奪う存在になるかもしれないのだ。もしそうなった時。お前はその時になってもまだ俺の事を「人をより良い未来に導く存在」だなんて言えるかな。
「ところで。そろそろお昼じゃない?」
「そうだな」
「理玖、またたくさん稼いだんでしょ?」
「ああ」
「ご飯、行きましょ?」
「お前、初めからこれが目的だったんじゃないだろうな……」
だがしばらく皇国を離れる事になるかもしれないからな。万葉の呼び出しがあればいつでも戻れるとはいえ、今の内に皇国の飯を食っておくのは悪い気がしない。
(どうせ帝国についたら向こうへも跳べるようにするんだ。あらかじめ万葉とヴィオルガに話を通しておいて、定期的に両国を行き来できる様にしておいた方がいいかもしれないな……)
そうと決まれば今度提案するとしよう。涼香と皇都を歩きながらそんな事を考える。
(それにしても。皇都を出て群島地帯で暮らし始めた時、俺はもう二度と皇国へは戻らないと思っていた。しかし今、再び皇都に住む様になって。懐かしい面々との再会を果たし。帝国へ行った後もまた来る気でいる)
不意に先ほどの涼香の言葉を思い出す。自分の心から目を背けるのはやめなさい、か。これに対し、俺は知った風な口を、と流す事ができなかった。
……偕、清香に誠臣。指月に万葉、雫と涼香。親父に母上。この歳になって、俺は初めて皆と心のまま接する事ができていた。そしてこの事実に対し、決して居心地の悪いものではないと感じている。しかし素直にそれを認めたくない自分もいる。
(涼香の奴。嫌な事に気付かせやがって)
こいつだけはいつも、俺に何の遠慮もなく正面からぶつかってくる。今ではそれすらも悪い気がしていなかった。
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