第16話 魔境の理玖 北の地で待つ試練

「思っていたより……時間がかかった……」


 山の頂までもう少し。あと一歩。そして今。俺はこの島で一番高い場所に立っていた。東西南北、今日も異常な景色は変わらない。


「結局あの文言はなんだったんだ……?」


 北を向くが何も変化は訪れない。無駄足だったか……。そう思った時だった。北の地に異変が生じる。


「雨が……止んだ……?」


 これまでずっと降り続けていた雷雨が止んだのだ。その代わりに次に見えたのは、霧に包まれた大地だった。


「濃いな……何も見えん」


 どういう仕掛けなのか。北部の雨が止んだのは、静寂の間で水を飲んだ俺が、ここに立った事に関係があるのは間違いない。そしてその事から考えられる事は。


「この島を作った誰かは……次は北へ行けって言ってんのか」


 間違いないだろう。そして霧の大地になった島の北部にも何かがあるはずだ。次の目的地が決まったところで俺は山を下りる。そこから数日かけて青霧草を集め、幻獣と戦い続けた。ボロボロになっていた毛皮を新しい物で纏う。


 そして少し多めに水と食料も準備し、いよいよ北部へ向けて旅立つ。北部へは森から直接北上して向かう。一日も経たずに北部との境目は見えてきた。


「これは……危ない、な……」


 雨は降り止んでいたが、代わりに発生した霧のおかげで視界がかなり悪い。いつも以上に周囲に気を配りながら霧の中を進む。ずっと雨が降っていたせいか地面もぬかるんでおり、足場も悪かった。


「幻獣の気配は感じないが……」


 自分の感というものを、この島に来るまでこれほど頼りになると思った事はなかった。絶対に死んでなるものかという生存本能が成せる技なのか、何度もこのかすかな感が俺の命を救った。


 だから。俺は微かではあったが、急に首筋にチリチリと悪寒を感じた時、背負っていた籠をその場に捨てて身を屈める事に躊躇いはなかった。


「…………っ!」


 同時に後方から飛来した何かが通り過ぎていく。いや、何かではない。あれはカラスに似た幻獣だった。だが翼を広げたその大きさは、大人一人分はある。


「空飛ぶ幻獣……っ!」


 一瞬見えた翼の骨組みは刃の様に鋭かった。おそらくあれで、俺の首を刎ねるつもりで仕掛けてきたのだろう。カラスは再び上空から滑空して俺に迫る。


「くっ……!」


 どういう視力をしているのか、この霧の中カラスは的確に俺に狙いを定めてきている。一方で俺はというと、霧の中カラスに気付くまで時間がかかる。そして気付いて即、回避行動に専念しなければ身体を切断される。初動から差が生まれているのだ。


「くそ!」


 その後もカラスが襲い掛かってくるが、それを危ういところで回避する。だがさらに最悪の事態が襲い掛かってきた。


「グァアー!」

「グァ、ガーー!」

「グァッグァッ!」

「……複数寄ってきやがった……!」


 全部で三羽。それぞれが互いに時に時間差、時にタイミングを合わせて霧の中、的確に俺を捉えにくる。


「くっ、ダメもとで身体を張ろうにも、受け止めた瞬間翼で切られる! いや、反撃に集中するんだ!」


 避けてばかりではこちらの体力が持たない。俺は呼吸を整えて集中する。一羽目。すんでのとことで右へ飛んで躱す。二羽目。これは後方へ飛び込んで躱す。そして三羽目……! 


「そこだぁ!」


 三羽目は躱す事は考えず、位置を特定したらそこへ刀を打ち込む!


「とった……っ!?」


 不安定な体制ながら、三羽目のカラスの通るであろう軌道に沿って、刀を振るったその時。右から現れた四羽目のカラスに、俺は胴を斬られる。


「ぐうぅっ!?」


 俺自身が変な姿勢だったせいか、幸い胴から真っ二つにならずにすんだ。だが傷は決して浅くはない。カラスの通り過ぎた箇所は、毛皮もバッサリと切り裂かれていた。そこから真っ赤な血が滲みだしてくる。


(まずい! これじゃまともに動けない! ……っ!?)


 俺が弱ったのを確認したカラスが四羽、同時に仕掛けてくる。全て避けきれるかはかなり危いタイミング。目前に毎日感じていた死が、より近く迫ってくる。


 痛む身体を押して、どうにかこの場から離れなければと動き出した時だった。霧の中、いくつもの小さな輝きが出現する。その輝きは真っすぐに俺のいる辺りに向かってきて。


「うあああ!」


 全身にいくつも突き刺さった。それは指二本分くらいの氷でできた矢だった。前方から飛来した氷の矢は、毛皮越しに俺の身体にいくつも突き刺さったばかりか、今まさに俺を切り裂かんとしていたカラスにも突き刺さっている。


「ぐ……がはっ!?」


 傷口や口から血が止まらない。急に現れたこの氷の矢は、カラスとは別の奴からの攻撃! だが厄介さはカラス以上! 何しろ範囲が広い!


「なん……だ、この攻撃はぁっ……!」


 更にもう一度、前方にキラリといくつもの輝きが見える。


「っ!?」


 俺はとにかくここから離れる事だけを考える。籠も放置し、刀だけを強く握りしめて後ろを向いて走り出す。


「がはっ!」


 背中に突き刺さる氷の矢。だがなりふり構っていられない。今の俺ではカラスに太刀打ちできないばかりか、この氷の矢を放つ存在も遠い。この地はまだ俺には早い。だが。


「覚えていろよ……! がはっ、はぁ、はぁ……! 絶対、絶対に殺してやる……!」


 霧の大地に怨念を吐きながらも、俺は必死に駆ける。五体満足でこの地を脱出できるかは、運と感頼みだった。





「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」


 何とか森に帰れたものの、俺の全身はボロボロだった。カラスにやられた傷、身体にいくつも突き刺さった氷。特に氷は傷を芯から冷やしてくる。これは精神的にもかなりきつかった。それらを引き抜き、手の届かない背中は溶けるのを待って傷の手当を進めていく。


 だがそんな時でも森の幻獣は襲い掛かってくる。この日は魔境に迷って以来、最も過酷な戦いをしながら過ごす事になった。


 しっかり仕留めた幻獣の肉を食べ、警戒しながら眠りにつく。だが次の日からは全身に負った傷が熱を持ち始め、そこから数日間苦しむ事になった。どの傷も深い。幻獣と戦いながらだと治るのも遅いだろう。しかし他に方法はない。


「はぁ、はぁ……。いや、待てよ……」


 熱にうなされながら静寂の間の事を思い出す。あの洞窟には幻獣がいなかった。それにいたとしても静寂の間に籠れば、警戒するのは部屋の入り口だけでいい。


「…………」


 ここから静寂の間まではおよそ一日。水の心配はいらない。数日分の食べ物を持ち込めば、傷が癒えるまでの間の時間稼ぎができるのではないか。


 そこまで考えた時、俺の震える手は蔦を編んで籠を作り始めていた。以前と同様、背中に背負える様に作る。そこから一日かけて幻獣と戦い、肉や木の実を籠に詰めていった。全身に癒えない傷を負いながらも、さらに一日かけて静寂の間を目指す。


 道中いくつもの戦いを繰り広げながら、俺はどうにか静寂の間に辿り着く事ができた。荷物を降ろし、水で傷口を洗う。


「いっ……!」


 傷が塞がる前に何度も戦ったせいか、どの傷からも血が滲んでいた。熱も相変わらずだ。


「はぁ、はぁ……。ああ、何だか、急に、疲れが……」


 目的地について安心したのか、俺は島に来て以来最大の眠気に襲われていた。これまで寝る時は、いつも刀を抱いたまま座った姿勢で寝てきた。


 幻獣の中には夜に活動するものもいる。少しの物音で目を開け、直ぐに動ける様にと横になって寝る事はなかった。だが今。俺はいつぶりになるのか、真横に寝転がって意識を失った。





「ん……」


 どれほど寝ていたのだろうか。自分が倒れ込んだ姿勢で寝ていた事に驚く。身を起こして周囲を見るが、幻獣が入り込んでいる気配はなかった。


「ここは……やはり……?」


 幻獣が寄り付かない場所なのだろうか。不思議に思ったが、異常に腹が減っている事に気付く。俺は持ち込んだ食料を食べ始めた。


「肉は……ちょっと腐りかけてんな。もしかして相当長い間寝ていたか……?」


 この地で食べ物に文句は言えない。俺は腐りかけた生肉を食べ、水で無理やり流し込んだ。傷はまだ完治していないが、熱はもう引いている。


 洞窟から外に出ると六本足の獣や地中に潜む蛇と戦い、これに勝利する。そして新たに得た肉を静寂の間に持ち込むと、また数日間ここに籠った。やはり幻獣がここに入ってくる事はなく、それからしばらくはここで傷が完治するのを待つ事にした。

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