第14話 魔境の理玖 新たなる地を目指して

 俺がこの島に流れ着いてどれくらいの時が経っただろうか。10日、あるいは100日? 一年かもしれないし、まだ数週間かも知れない。もはやいつ頃からここにいるのか、それも分からなくなっていた。


 幻獣との戦いが無い日はなく、一度接敵すればその全てが命を懸けた戦いとなる。常在戦場、この身は常に死地のど真ん中にあった。全身から生傷は絶えず、傷の上から新たな傷を刻まれ、既に痕の消えない傷となったものも十や二十ではない。


 毒に苦しみ十日間もがき続けた日もあった。ここは人の身では地獄と呼ぶに相応しい地だろう。だがそんな地獄においても、俺の左目はいつも疼く。今やこの疼きが唯一、俺に生への活力を与えてくれていた。


 失われたはずの左目に映るのは怪物になったサリア、そのサリアを切り刻んだパスカエル。そして甲板で戦った刺客。奴らはいつか必ず殺す。だから。


「それまでえぇっ! 死ねるかあぁぁぁぁ! おあああああ! お前が! 死ねええぇぇぇぇ!」


 連戦に次ぐ連戦。刀は既に手にない。今、俺の肩には真っ赤な毛並みの獅子が食らいついていた。


 肉が裂け、血が噴き出す。このままでは肩ごと食いちぎられるだろう。だがこれは自らを囮にした罠。密着した状態で、俺は獅子の腹にめがけて拳を繰り出す。ここで戦った鳥の爪を、いくつも取り付けた拳を。


「グォン……!」


 拳と爪は獅子の腹に食い込み、そのまま切り裂いていく。獅子の顎が緩んだところでさらに力を込める。


「かああああああぁぁぁぁ!!!!」


 とうとう獅子は俺の肩から牙を抜く。腹から血を流しつつも、俺から距離をとろうと後ろへ跳ねた。


 だがここで態勢を整えさせるわけにはいかない。既に満身創痍だが、ここで追い打ちをかけなければやられるのは自分だという事を、俺は長い魔境生活で学んでいた。


「せぇいッ!」


 全身を獅子に向けて放り出し、つかみかかる。もはや武芸も何もない、ただの取っ組み合いだ。獅子も人外の膂力で手足を振るうが、俺も無我夢中で拳を繰り出す。互いに傷つき、お互いの血が混ざりあう。文字通り血みどろの戦いを制したのは……俺だった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ! ……どうだあぁぁっ!」


 この魔境に来た初日に轟いた咆哮。その声の主を、俺は今。殺した。だが俺も無事ではない。傷は熱を帯び、意識は何度も飛びかける。今、他の幻獣に襲われてはひとたまりもないだろう。


 そう考え刀を拾った矢先、そいつは現れた。人型の体躯を持つ幻獣、魔猿。魔猿は少し離れた場所から俺の様子を伺っている。


「……なんだぁ!? やんのか、てめぇ!?」


 俺は獣の如き形相で魔猿を睨みつける。魔猿はしばらく様子を見ていたが、やがてその場を後にした。


「はっ。なんだ、やんねぇのかよ」


 最近、こういう事が増えていた。幻獣の中には俺との戦いを避けるものが出始めたのだ。まぁこれはごく一部で、人面蛾やカエルなんかはそこらの幻獣よりも弱いくせに、俺を見かけたらいつも襲い掛かってきやがるが。


 俺は川辺の側まで行くと獅子の解体を始めた。こいつの毛皮や牙、爪は使える。


「はぁ、はぁ……。さすがにキツイな、手当てが先か」


 獅子を解体し始めた事で多少緊張が緩んだのか、傷の痛みがひどくなり始めた。


 俺は蔦で編んだ籠から緑色の物体を取り出すと、それを傷口に塗り込んでいく。塗り込みながら改めて思う。俺の身体、魔境に来た頃よりもかなり筋肉が付いているな。背も伸びた様に思う。


「……っ! さすがにしみるな。だが青霧草が自生していたのは幸いだった」


 青霧草は皇国の薬草園でも育てられている薬草の一種で、すりつぶして傷口に塗る事で治癒を早める効果がある。


 一通り処置が済んだところで獅子の解体を再開する。この足、加工して新しい靴にするか。今は魔猿の足を加工して靴にしている。ふんばりが効くのが気に入っているが、爪が付いていた方が使い勝手がいい。何せここでは刀だけではなく、両手両足頭口、指の一本まで酷使しなければ生存競争に勝ち残れないのだ。


 そうして俺は自分の身を様々な方法で強化していった。全身をより強固に守るため、様々な幻獣の皮を加工して全身鎧の様に纏う。

 

 腕部から手の甲まで毛皮で多い、先端には鳥の爪を取り付ける。人面蛾の鱗粉を集めて毒玉を作る。カエルの舌を鞭の様に扱う。鳥のくちばしを短刀状に加工し、投げやすいように整える。例を挙げ始めたらキリがない。だがその甲斐あって今日まで何とか生きてこられた。しかし依然問題は残っている。


「……ここから出る方法が分からん」


 幾日経とうとも、この魔境から脱出する術は思い当たらなかった。そもそも俺がこの島でまともに探索した場所は、南部に広がるこの森のみだ。西の岩場、北の大雨轟雷湿地帯、東の炎の平野は全く探索できていないのだ。


 森には命の危険があるとはいえ、食料に水がそろっている。森の恵みとはよく言ったものだ。他の地がどうなっているのかは分からないが、ここより楽だという事は無いだろう。


 だが既に森で過ごしてかなりの日数が経った。体感では年単位だったとしてもおかしくないと思っている。このまま森に居続けたとして、この島から脱出する方法に進展があるとは思えない。そこまで考えた事でいよいよ決意を固めた。


「よし。西へ行こう」


 西の岩場を目的地にしたのは消去法だ。炎の平野は越えられないし、雷も激しい地域で雨にずっと打たれるのも体力的に厳しい。岩場も岩場で厳しいだろうと考え、これまで避けてきた。何せ水の確保が難しい。


 だが今は違う。俺は幻獣の内臓を加工した袋に川の水を入れていく。それを次々と蔦で編んだ大型の籠に入れていく。他にも獅子の肉や爪、牙なども詰め込む。


「くっ! お、重い……」


 水に肉に他あれやこれや。籠の重量はかなりのものになっていた。それを気合で背負い、足を西へと向ける。道中、いつもの様に幻獣との命を懸けた戦いを続けながらも次の日。俺は岩場広がる荒野に到着した。


「不毛地帯、だな……」


 不毛の大地をゆっくりと進む。実は以前、海岸線沿いに南部から西部へ移動しようとした事があった。だが森部分と岩場地帯部分の境目は一部を除いて断崖絶壁になっており、結局今歩んでいる経路でしか入る事はできなかった。


 まるで西部への入り口は一つだけだと言われているかのようだ。どこかに水場はないか、注意を払いながら足を進める。岩場地帯は途中途中切り立った岩石が乱立しており、見通しは悪かった。


「今の所、幻獣の姿はない………が……?」


 不意に右の脇腹に何か当たった衝撃を受ける。俺は即座に背負っていた籠を降ろして脇腹に視線を動かす。


「ギチ、ギチギチギチギチ!!」

「っつあああ!」


 そこには手のひらほどの大きさの、黒く細長い虫がとりついていた。頭部には凶悪で鋭い顎が見える。脇腹部分は特に弱い場所のため、幾重にも毛皮を巻いている。だがその虫はすさまじい勢いで、毛皮を食い破りながら進んで行く。このままでは俺の胴体へ侵入されるだろう。


 幸い大した大きさではない。俺は虫の胴体部分を掴むと即座に握りつぶした。毛皮は見事に食い破られており、俺の脇腹も見えている。


「あぶねぇ……! もう少しで俺も食い破られるところだった……!」


 だがホッとしたのも束の間。俺は視界の端にいくつもの黒い飛来物を確認していた。


「…………っ!」


 その飛来物は無音で俺に目掛けて四方八方から襲い掛かってくる。俺は最小限の動きでそれらを躱すが、いくつかは俺の身体をかすめていく。その度に毛皮には、直線状に切り裂かれた痕ができあがっていく。


「これ全部っ……! さっきの虫か!」


 一度とりつかれたら終わりだ! こいつらはすぐに俺の肉まで食い破るだろう。だが幸いな事に、スピードはすさまじいが動きは直線。途中で軌道が変わる事はない。


 俺は刀を抜くと虫の軌道上に刃を添える。虫は自ら刃に突っ込み、面白い様に切り裂く事ができた。


 対処方が分かっても集中力を高め、慎重に一匹ずつ仕留めていく。何せ一匹でもとりつかれたら、その対処をしている最中に他の虫が俺の身体に群がり、全身を穴だらけにされるだろうから。


「ふぅ……!」


 最後の一匹を仕留めた時、俺の周囲は大量の虫の死骸で埋まっていた。今のはかなり危なかった。おそらく少し前までの俺では、虫の動きを捉えられなかったはずだ。


 森で長く過ごすうちにある日、カエルの舌の動きを見切れる様になっていた。初めの頃は全く見えず、気づいたらいつも捕食されていた。捕食された回数は十を優に超えるだろう。幸いいつも酸で溶かされる前に腹を切り裂いて出る事ができたが、必中の舌を前になすすべがなかった。


 だが今の俺は違う。迫る舌を見切る目を手に入れてからは、魔猿や鳥の連撃にも目が追い付く様になってきていた。森で鍛えられる前にここに来ていれば、この虫は俺の命を容易く奪っていただろう。


「幻獣の姿が見えないからと油断はできんな。ったく、本当に安息の地がない島だ……!」


 周囲を警戒しながら、傷ついた毛皮を予備の物に取り換えていく。籠から水と肉、梨を取り出すと簡単に食事を済ませて、俺はこの地の探索を再開した。

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