あさ



 約束の日、私は母にも気がつかれぬように、音を殺して家を出ました。顔にはいつもよりも固く結んだ三角巾を携えていました。フードも目深にかぶりました。またも、美しい秋の夜でした。


 時間を決めていなかったのですが、私たちはすぐにお互いの姿を見つけることができました。


 「やあ」


 近づいてくる井原さんは最初に会った日よりも酔っているようでした。


 「またここらで呑んでいたんです。あなたを待って……」


 「お酒が……、好きなのですか?」


 なんと言っていいのかわからず、私からはもう的外れな言葉しか出てきません。それなのに井原さんは、私の箸にも棒にもかからないような質問を真剣に考えてくださっているようでした。やがて、恥ずかしそうに頭を掻きながら、


 「いえ、あまり好きではないのですが……、どうもあなたとの約束に気が張ってしまって、落ち着かなかったのです」


 などと言いました。私はまたしても言葉に窮してしまいました。気も動転してしまい、そのあとにどのような会話を続けたか、あまり覚えていません。


 それでも、その夜は井の頭の池の周りを歩いたことを覚えています。朽ちても残る活動写真の一コマのように、目に映った景色も、井原さんの言葉もそっくりそのまま私のまぶたに焼き付いているようです。今にも眼前で、新鮮さを保ち続ける記憶です。どうしても、忘れることができません。


 私たちはポツリ、ポツリと水滴の落ちるように言葉を交わしながら、並んで歩きました。月の煌めきが池の中で呼吸をしていました。波紋が音もなく広がり、井原さんはその情景にちらと目をやり、何か感じいったようにしきりにううんと唸ります。私はそんな姿を大切に見守っておりました。やがて池の半周を歩き終えた頃合いに、私はついに訊いてしまいました。すべてを壊しかねないような問いです。それでも言わずには、本当の会話を交わすことができないような気がしていたのです。その葛藤にどうしようもなくなったのです。私は訊きました。


 「あなたは……、私を怪しく思われないのですか? このような変な風貌をして……、顔を隠しているのです。どんな顔をしているのかもわかりません。さぞ醜いかもしれません。美しいものは、普通隠されませんから。……あなたは私について何も知らないのです。生まれも性格も何もかも。それなのに……、なぜあなたは私に優しく話しかけてくださるのですか? また会おうなどと考えてくださったのですか?」


 言い切った後でハッとしました。私はなんと失礼なことを言ってしまったのか、と赤面する思いでした。井原さんはすぐに愛想を尽かし私の元から離れていってしまうかもしれません。腹を立てているかもしれません。しかし、彼は何も気にしていないような様子で、じっと私の目を覗き込みました。そして、静かに言いました。厚みのある、湿った声でした。


 「……私は、あなたの声に惹かれたのです。あなたの声は、言葉は、私の中にすっと何の抵抗もなく入ってくるのです。それはきっと……、あなたの透き通った心から出てくる声だからだと思います。心からの、澄んだ声です。そこには優しさや、どれだけの言葉を費やしても表現できないほどの美しさがあるようです。私には、そう感じられます。ですから、あなたにまた逢いたくなったのです。あなたの声を聞かせてもらいたくなったのです。……夜中のお誘いは失礼かもしれない、とは思いました。私は、冷静さを欠いていました。それで、いてもたってもいられなかったのです。月並みな表現ですが……、私はすっかりあなたに心を引かれてしまっていました。……初めてあなたを街で見かけ、声をかけた時からです」


 井原さんは言い切ると、恥ずかしそうに顔を伏せてしまいました。


 彼の言葉には、温度がありました。触れれば安心するような、あたたかさです。彼は、私が思いもしなかった価値を、私の中に見つけてくださっているようでした。私は自分の中に、井原さんが言うようなたいそうな美点があるとは思いもしませんでしたが、彼に言われては、悪い気も起きませんでした。


 彼は、続けました。


 「だから……、こうしてまたあなたに会うことができて、今日は本当に幸福な気持ちです。あなたが容姿について何か気になさることがあるのならば、その衣は取らないでも構わない。ただ……、こうして一緒にいたいのです」


 秋の風が、ばさばさと着物を揺らしました。私は反射的に顔周りの衣類に手をかけ、少し迷ってから、この衣類を取り去ろうかと考えました。しかし結局、それはできませんでした。衣を必死で押さえる自分がこれほど情けなく思われたことはありませんでした。


 私はゆっくりと井原さんの目を見返しました。そして、ただ一言だけ、言いました。その一言ならば、嘘にならない気がしたのです。 


 「また、会いたいと、思っています」


 井原さんは私の言葉を受け、すっと優しく、私の手を取りました。


 「ぜひ、お願いします。私はもう少し、こちらへ滞在するつもりですので」


 その後、私と井原さんは夜と朝の空気が混じり合う時間まで、公園の周りを歩いたり、野原に腰掛けたりしながら、お話をしました。互いのことをほとんど知り合っていなかった私たちは、少しずつですが、確かに目の前の相手の正体を鮮明に認識していき、私はその度に愛しさを募らせていきました。井原さんのひとつひとつが明らかになっていくごとに、私は彼から離れられなくなっていました。


 そこから一ヶ月、私たちは毎日夜半に逢瀬を重ねました。二人で言葉を交わし合うだけでしたが、大きな幸福にすっぽりと包みこまれたかのような、尊い時間でありました。私は、途方もない仕合わせを感じていました。日中は井原さんに会うことを待ち焦がれ、やがて夜になり会えたとしても、別れた後にはすぐに明日の夜を待ち遠しく思うのでした。私は夢の中で子供の姿を見てしまうくらいに浮かれていました。接吻もできていないのですが、井原さんと一緒になることを心から望んでおりました。それだけで、もうそれ以上は何も望んではいけないような眩しさを目にすることができます。私は、満たされていました。一瞬間、自分の醜さを忘れることさえもありました。嘘のような話です。私は現実を見ることができなくなっていたのかもしれません。


 そのような生活の中のある日。仕事場にて作業に取り掛かっていると、一着の着物が目につきました。薄茶の生地で、両の肩の部分には薄くこの葉の柄が写されています。私はそれを何処かで見たことがあるような気がいたしました。そして、すぐに思い当たりました。その着物は井原さんがよく身につけているものだったのです。私はそれに気がつくとハッと焦るような気持ちがして、女将さんに頼んで注文の台帳を見せてもらいました。そこには今日の日付でイハラノブユキという名を見つけることができました。間違いなく、彼の着物です。彼はここへやって来たのでしょうか。何時のことでしょう。私は全く気がつきませんでした。


 そんな風な気楽な考えのあとで、私はおそるべき可能性を認めることになりました。


 私の持ち場は受付の場所からでも十分に目に入ってしまいます。そして、私は日頃、仕事の場においては顔を隠さずに就業しています。いわば、私の醜い容姿は衆人環視に晒されている状態なのです。そして、彼はこの店に立ち寄ったと考えられます。その際に、私の本当の顔を見てしまったかもしれません。それに気がついた途端、私は血の気が引くような気がいたしました。出来の悪い頭がはじき出した推測に、無理がないように思われたのです。仕事はまったく手がつかなくなりました。普段はしないような大きな失敗を二つもしてしまいました。


 その日の夜は、彼に会いにいくことができませんでした。何より、怖かったのです。私は眠りにもつけずに考えこみました。そして、なんとかして、いくつか私を安心させてくれるような見解を導き出しました。一つは、彼は私が染物店で働いていることを察したかもしれませんが、本当の顔までは知っていないはずだ、ということです。そして仕事場には私の他に幾人もの従業員方がいらっしゃいます。その中から的確に私を見抜くなどできるはずがありません。二つに、仮に私の顔を見てしまったとしても、それを夜に逢瀬を重ねている女の顔と結びつけることはないでしょう。その結び付けはあまりにも不自然に感じられます。誰かが私の正体を教えたのならば別ではありますが……。


 私は不安とそれを励ます心の間で、いてもたってもいられなくなり、朝が近い時間でしたが、早足で家を出ました。顔には衣類を巻きつけています。人通りは夜よりか多く、すれ違うすべての人が私へ冷やかすような、時に怯えるような目線を送りました。私はそれにも構わず、井原さんとの約束場所にしている、池の辺りへ向かいました。


 彼はいませんでした。当たり前です。普段会う時間よりも五時間も六時間も遅いのですから。私は気を落とし、しばしそこに佇んだあと、家に戻りました。


 次の夜、私はいつものように夜半に家を出ました。昼間に雨が降っていたために、地面はじっとりとぬかるんでいました。それでも私の気持ちははやり、自然と歩調も上がっていきます。


 彼は、まだ到着していませんでした。いつもは決まって私があとから到着するのですが、この日だけは違うようでした。私は、優しい光を放つ月を見やり、彼を待ちました。風はすっかり冷たくなっていましたので、身を縮め、手ごろな岩の上に腰かけ、両手を擦り合わせました。季節はもう、冬に入ろうとしていました。


 その夜、彼が姿を見せることはありませんでした。


 私はそれから毎夜、待ち合わせの場所へ出ていきました。そして何時間も待ちました。指が霜焼けにやられてしまっても、待ち続けました。寒さはひどいものでしたが、そこまで気にならなかったような気もします。私は、彼が数日間姿を見せなくなったのにも構わず、心だけはふつふつと温めたまま、待ちびとの到着を願いました。それでも、彼はいつまで経っても現れないのです。私は次第に哀しくなってきました。やはりあの日描いた私の悪い推測は的を射ていたのかもしれない、と思うようになりました。ぞっと怖くなりました。


 翌日、寝不足のまぶたをこすりながら仕事にあたっていました。そこでふと思い当たり、女将さんに注文台帳を見せてもらいました。井原さんは、前日に着物を受け取っておられました。


 こんなにあっさりと、私の恋はなくなりました。今までの一喜一憂が、途端にばかばかしくなってきました。それなのに、出始めた涙は止まろうとしませんでした。私は休憩をとらせていただき、建物の陰で崩れるように泣きました。汚れを洗い流すように泣きました。涙に濡れた顔をあげ、作業場の裏手にある休憩室に入りました。そこには小さな鏡が置いてあります。私はその前に立ちました。そして憎き鏡像と、向かい合いました。私は自分の頬に手をやり、そのあと、鏡像の頬にも手を当てました。そんなふうな確認を、いつまでもしていました。


 その日、仕事が終わり家に戻ると、いの一番に母の鏡の前に立ちました。顔には、醜い二つの黒子が変わらずにひっついています。私は部屋隅の戸棚から裁縫用の針を取り出しました。厚手の布用に少し太くつくられている針です。私は、それを二つの黒子に次々と刺していきました。痛みは不思議とありませんでした。私は何度も、針の先を突き刺しました。やがて傷口がじゅくじゅくと濡れ始め、やっと痛みが感ぜられました。黄色味を帯びた血が、滲むようにひたと出てきます。それでも私は黒子を潰し続けました。そうして、井原さんのことを思いました。彼が私の姿を見たかどうかなど、そんなことはどうでもいいのでした。確かなことは、もう終わったということです。いや、そもそもが始まってすらいなかったのかもしれません。私がてんてこまいを演じたひとり舞台だったのかもしれません。そう、思うことにしました。そう思いこむことが一番、自分の哀れさを実感しないで済む気がしたのです。顔を濡らしている血に、不思議と涙が重なりました。何か言葉を吐き出したかった気がしたのですが、口からは嗚咽のような音の振動しか出ないのでした。


 やがて、慌ただしく襖を開ける音が聞こえ、雪崩れ込むような形で母が部屋に入ってきました。母は私の手から針を取り上げ、何が起こったかわからない、というふうに私へ質問を重ねました。ひどく取り乱した様子でした。そのうち、答えが返ってこないと察した母は黙って私の肩をさすり、顔の傷の手当てをしてくださりました。その後で、私を部屋の布団に寝かせてくれました。私はその間もずっと涙を流していました。みすぼらしさの限りです。しかし、この日以降は一切の涙が出なくなりました。この日の涙が、私からあらゆる執着を引き剥がしてしまったのです。きっと、泣くという行為が、あらゆるものから決別するために必要な儀礼のようなものであったのかもしれません。


 翌日、母は私を皮膚科医へ連れて行ってくださいました。仕事は休みました。とても仕事に行けるような状態ではなかったのです。傷痕には膿みができてしまい、至る所にできものや腫れが見られました。崩れた黒子のあたりには刺すような激しい痛みが一定の間隔でやってきます。私は顔を包帯で覆い、母の介抱のもと病院へ向かいました。


 皮膚科にはたくさんの患者さんがいました。薬品の匂いが充満する待合室では、ほとんどの椅子が埋まっていました。それでも私と母は、端の方に二つ並んで空いている椅子をみつけ、そこに腰掛けました。私はチラリと周りを眺めました。患者のそれぞれが、顔や身体のどこかに異状を発している様子です。炭鉱労働者とみられる男の人は首から目の下の辺りまでを赤黒い発疹に覆われていました。まだ五歳にもならない様子のおかっぱ頭の男の子は両足がひどく乾燥したような状態で、そこに痒みが伴っているようでした。私は彼らをそっと眺め、不思議な連帯感から安心するような気持ちがいたしました。皮膚に問題を抱える者同士での、勝手な共感を感じていたのです。


 と、向かいの席の老人が広げる新聞が、ふと目に入りました。その紙面には大きな文字で、公害による皮膚異状について綴られておりました。細かい文字までは読み取れませんでしたが、だいたいの内容は伝わってきます。そうか、と思い当たりました。ここにいる私たちは皆公害の影響によって、皮膚病なんていうものにわずらわされているのではないか。こんなに苦しい思いをさせられているのではないか、と。そんな発想が浮かんだのです。


 そう考えると、俄然この空間にいる人々が強い絆で結ばれた同志であるかのように思われてきました。政府の推し進める工業化によって不利益を被った人々同士での連帯を感じました。私たちは手を取り合い、近代の波による悪影響と闘っていきます。心からの訴えを届けようと、声を挙げ続けます。私たちを支持する人々は絶えず出没していくでしょう。皮膚病患者以外にも、私たちの声に同情を寄せてくれる方々がいるかもしれません。私たちは反逆の旗を振りかざし、大きな闘いを挑みます。全てが新しく、鮮烈な事態を運んできます。取るにたらない幸せを享受するための変化が訪れ始めます。


 しかし、すぐに悪い想像が浮かんできました。というのも、その集団の中で一番酷い病状なのは、間違いもなく、この私なのです。私ほど状態が悪く、しかもその症状が顔にあらわてしまっている人は他にいません。それに気がついた途端、同じ敵の打倒に心を燃やしていた同志たちがクスクスと笑いながら離れていく姿が、その映像が、頭に浮かびました。一二の三のきっかけで、私から一斉に背を向けてしまいます。私はというと、そのことに気がつけず、なおも集団の先頭に立ち、右へ左へ必死に駆け続けています。汗を振りまき、革命に心を尽くしています。そして、やっとのことで、気がつくのです。工業化に対して大手を振り、抵抗の意思を示しているのは私だけだった、と。それを理解し、立ち尽くすのでした。皆が私を取り残して、去っていってしまったのです。


 受付の女性が私を呼ぶ声で、現実へ帰りました。私はすくと立ち上がりました。母には待合室で待っていてもらい、一人で診察を受けました。初老の医師は私の顔を見てもさして驚きも表出せずに、淡々と診察を続けていきました。ガーゼを当てたり、薄いゴム製の手袋で触診を行ったりしたのちに、私の皮膚の状態についてスラスラと述べていきました。


 私はそれを全て聞き終えたあとで、そっと訊きました。


 「この顔は……、治るのでしょうか」


 お医者様は難題を突きつけられたかのようにぐっと顔を渋らせました。そのあとで要領を得ない言葉を並べました。


 「治る、といいますか、完治というのはそもそもあまりあることではないのです。できものがなくなったとしても、痕がくっきりと残ってしまい、そこから再発なんてこともありますからね。しかし、今の状態からよくなるということは十分にありますよ。逆に言えば悪くなることも、往々にしてあるわけです。十分に気をつけて生活しなくてはなりませんよ。少しのばい菌が入っただけでもあっという間にできものは拡がってしまいますから。しばらくは安静にしていてください。今日、注射で薬を体内に入れてみますが、これで好転するかもしれません。経過を見て、注射での治療を続けるかどうか見極めないといけません。大丈夫、きっと快方へ向かいますよ」


 私は、はあ、とか、うん、とか言いながらそれを聞いていました。お医者様の言葉から希望を感じ取ることはできませんでした。私は黙ってお注射の治療を受け、母と一緒に病院を出ました。


 数日経ち、傷痕は一切良くなろうとしませんでした。それどころか、かえって悪化しているようでした。母は、私に仕事を辞めさせました。その判断を下してくれたことには、とても助かりました。復帰が難しいことはわかっていましたが、自分ではどうしてもその決心ができないでいたのです。母の気遣いにより、私は肩にかかる重荷の一つから解放されるような心持ちでした。


 しかし、顔についての鬱屈は消えてくれません。私はその後も数回、皮膚科へ通いました。その度に待合室では例の妄想をたくましくさせ、その度に哀しくさせられ、改善の兆しが見えない治療を受けて帰ります。阿呆の送るような日常です。それ以下かもしれません。私はやがて、皮膚科へ通うことをやめてしまいました。私は、家に引き籠るようになりました。


 私はただ生きている—生命を続けているだけの状態でした。食事を摂り、母に代わってほとんどの家事をこなし、夜早くに床につくだけでした。ある日、母が書籍の裁断の仕事を持ってきてくださり、それは家の中でもできる仕事でしたので、私は必死になって取り組みました。来る日も来る日も、家に運ばれてくる書籍の山を崩していきます。私はこういった単純作業の繰り返しが性分に合っているのだと自覚しました。仕事は着実に進んで行きました。


 ある日、いつもの通りに仕事を進めておりました。その途中で、ある記事を見つけました。その記事では「整形手術」というものを中心に、二人の学者様がおこなった討論が活字にされて掲載されていました。最初、私は「整形手術」がどういったことがらを指す言葉なのか、それすらわからないでいましたが、裁断ごとにその記事を目にするうち、その全容がだんだんとつかめてきました。広告の隣のページには「整形手術」について、専門家の方の解説文が掲載されていました。「整形手術」は、西洋から運ばれてきた技術らしく、その専門家は危険性や宗教学的観点からの意見を批判的な態勢を崩さぬまま展開していました。私は裁断の手を止め、じっくりとそれら一連の記事を読み込みました。身体の中でふつふつと、生気ともいえる熱が立ち上がってくるのを感じました。


 私は、外へ仕事に出るようになりました。裁断の仕事も雇い先様に頼んで、請け負う冊数を増やしていただきました。外へ出ることで向けられる人々の奇異の目は気になりませんでした。そのようなことはまったく私の目には入らなかったのです。私はお金を貯めなければなりませんでした。毎日くたくたになるまで働きつめました。


 私は整形手術を受けようと心に決めていたのでした。この決心は誰にも吐露できませんでした。母にも黙ったまま、計画を押し進めました。急に外へ出るようになった私を不審がってはいましたが、私が「社会復帰よ。いつまでもここにいるわけにもいかないでしょう」と言うと、まだ納得できていないような様子ではありましたが、渋々と私の言い分を受け入れて引き下がっていきました。


 いったい何が作用して、私に、整形手術を受けるという決断をさせたかはわかりません。今になってもわかっていません。しかし、ここで変化を受けにいかなければいけない、というような出処のわからない使命感のようなものが心のうちを占めていました。それは私の意思とは別の次元での欲望のように感じられました。私は今でも、この手術について、どこか他人事のような感覚を捨てられないでいます。


 さて、数ヶ月の間仕事漬けの生活を送ったおかげで、私のもとには充分な資金が貯まっていました。私はそれらの貯金を自室の戸棚の奥の方へまとめて保管しておりました。ある日、いつものように週の稼ぎをそこにしまい込んでいると、おもむろに父が戸を開けました。その週は珍しく家に留まっていたのです。父は私の手元にじっと目線を奪われた後で、不思議そうな目を向けて言いました。


 「……その金は、なんだ?」


 その言葉に、私はなんだかいけないことをしている場面を目撃されたかのような、そんな気持ちになってしまいました。しかし、思えば何もひた隠すようなものはありません。咎められることもありません。私は、開き直った気持ちで父の方を向き、堂々と応えました。


「働いて、得たお金です。お父さまも聞いてはいらっしゃるでしょう。……家では雑誌や書籍の裁断を、外では洗濯屋の手伝いをしています。このお金は、それらの仕事で手に入れたものです」


 父は眉根にシワを寄せ、私の発言の一切を疑うようでした。そして、ゆっくりと言葉を吐きました。


 「……で、そんなに金を貯めてどうするつもりなんだ? 家を出るのか?」


 私はその問いを受け、なぜかはわかりませんが、貯めたお金の用途をスラスラと述べてしまいました。一切のごまかしも致しませんでした。


 父は私の告白に面食らったようでした。動揺を隠しもしませんでした。やがて、哀しいような、憐むような眼差しをこちらに向け、言いました。


 「……自分の顔を変えようっていうのか」


 私は静かにうなずきました。父はおろおろと、畳の上に視線を彷徨わせ、やがて、一言だけ残して襖の奥へ消えていきました。


 「情けないよ」


 その言葉だけが嫌な存在感を残しました。畳の上にいつまでも坐しているようでした。私は淡々とお金を仕舞い込み、ふうと一息つくだけで、その時は特になんの心傷も感じませんでした。しかし、今になって父の言葉が、私を試すようにちらつくのです。


 情けない。情けないとは、いったい。私は自分の行わんとする行為が「情けない」のか否かを確かめたい衝動に駆られました。そのためには自分以外の誰かへ意見を仰がなければいけません。しかし、私にはそんな問いを投げかけることのできる友人などは、一人としていないのです。私は一人きりで考えました。答えは出ません。出ないまま、この夜を迎えてしまいました。





 明日、私は目顔の整形手術を受けます。前例は豊富でないようで、安全性も完全には保証されていません。失敗の恐れも—お医者様はあまり口にしませんが、十二分に考えられるようです。


 それでも私は手術を受けにいきます。「情けない」顔を歪めながら、変わろうともがきます。そうする他ないのです。


 私は、今から自分が何をしようとしているのか、何に臨もうとしているのかすら、本当はわかっていないのではないかと思わずにいられません。悲しくなるほどに、わからないことばかりです。でも、変わろうとしていることだけが明瞭に判ります。それは現状の自分からの脱却、とでも言えるものでしょうか。なんとかして、「今」から脱け出そうと足掻き続けているのです。


 ふと、思い当たりました。私は、変わろうとしています。でも、それは私だけの願いではないように思えます。私以外の人たちも皆、いつもいつも変わろうとしています。女は日頃の化粧を欠かさず、新しい、美しい着物を求めます。男たちは金を蓄え、上等な女をひっ捕まえるために日々を励みます。仕事では何より職務的な昇進を好みます。それらのひとしきりの行為は皆、現世界から脱し、新しい自分への変化を待望するが故に起こしているもののようです。私の過去にあるような、人々からの目に見えた拒絶を受けていない方でさえ、変わろうとするのです。


 それを、この社会にいる全員がやっているのです。


「私たちはなぜ、変わろうとするのでしょうか?」、「そしてその果てに、いったいどこへ向かおうとしているのでしょうか?」。


 このまま変わらずとも、生きていくことはできます。そうです。一般的な生活を続けていくことはできるのです。実際私にしたって、手術の費用を蓄えるために外に仕事に出ることもできました。あのままお金を貯め続けていれば、さして苦しみもなく、寿命をまっとうするまで生命を維持できたことでしょう。どれだけ醜い容姿を有しているとは言っても、生きることを不可能にしてしまうはずがないのです。どんなに欠点があっても、人間は生きていけるのです。


 私を見つめているものの正体は、この問いです。いや、もはや私だけが抱える問いではありません。


 人々はなぜ変わろうとするのか。私はそこに、生活に対する欲だとか、金に対する執着だとか、そんななような言葉では片付けられないような秘密が隠されているような気がするのです。人間の送る日々の生活のなかに、その真相が意図せず隠匿されているのです。そんな気づきがどうしようもなく、ゆらりと立ち上がります。掴むことはできませんが、確かにそこにあるのです。


 もし、私が明日の手術によって美しく成ることができたのならば……。新しい発見が生まれるでしょうか。納得のいく答えを得ることができるでしょうか。生まれ変わった先にあるきらびやかな真新しい生活の渦中にいれば、今までには得られなかった見解が手に入るでしょうか。


 私はそれを確かめなくてはいけません。確かめずにはいられないのです。それでも心のどこかで、手術を受けたところで何も変わらないだろうという囁き声が聞こえたりもします。しかし、私はそのような声には耳を塞ぐことに決めました。というのも、他に選択できる路は残っていないのですから。


 もう、夜更けです。時計を見ると、四時を半時間過ぎていました。結局、睡眠はとれないままでした。


 早めに身支度を整えておきましょう。朝一番の列車に乗らなくてはいけません。そして、その道中にでも気がつくことがあれば、また追記しようかと思います。ここまでは一心に筆を滑らせてしまいました。恥ずかしい文章も散見されていることと思います。手術が終わった後に、書き直しをいたします。


 その頃には、私の見る世界が変わっていますよう。


 件の問いの答えが見つかっていますよう。


 それでは、身支度を整えてまいります。窓からは冷たい陽光が差してきました。今日は快い天候になりそうです。





『前夜』

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前夜 仲田日向 @pulpfiction2

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