前夜
仲田日向
よる
『前夜』
明日の今頃には、私はまるで別人の姿となっていることでしょう。おそらくは、包帯が纏い付いている格好だとは思いますが、その中身には、以前の代物より幾分ましになろうとしている顔が在るはずです。そのように、私は期待しています。
お医者様は、失敗はそうあることでないと言いますけれど、私はやはり少しの不安というものを感じずにはいられません。もしもの場合が怖いのです。
ただ、その不安さえも、広がる期待を前にしてはあっさりと雲散霧消、退散してしまいます。私は、半狂乱にも近い容態なのです。この先の未来への鮮やかな期待、これまでの過去—触れようものならその接地面からじわじわと病の痕が広がっていきそうな思い出たちです、の間で煩悶とし続けているのです。それと同時に私の中では形を成さない疑問が立ち上がろうとしていました。その実態は上手に掴めないのですが、確かにそこに在るのです。じっと、こちらを見つめているようなのです。
そんな要因が絡み合って、私はどうにも落ち着きません。この夜は眠りにつくことはできないような気もしてまいりました。お医者様は私に、手術の前日はよく睡眠をとるように言いつけましたが、どうも先生は患者の気持ちというものを十分にわかっていらっしゃらないように感じます。このような時に、快い眠りになどつけるはずがありません。
私は漂う心で筆をとることにしてみました。私の中で息を殺しているすべての感情、記憶を見つけ出し、それぞれに番号をつけて、規則正しく並び替えてみようと思い立ったのです。そうすれば、私を見つめる「何か」の正体も、尻尾くらいは掴めるやもしれません。そんな心当てを抱いているのです。私は、誰に送ることもない、そして今後一切誰も見ることはないであろう、手記をしたためます。
時刻は夜の十一時を少し廻ろうとしています。
私は、当時には珍しい二階建ての長屋住居に生まれました。長屋には四住居が押し合うように入っており、私達家族はその一番端の位置に一階と二階の住まいを有していました。家族は父と母だけで兄弟姉妹はおらず、両親にとって私が初めての子でありました。とは言っても特別に甘やかされて育った記憶もありません。母については、片時も目を離さないように—ある意味では過保護に私を育ててくれましたが、礼儀についてはしつこく口を出しました。幼少時代はそのような性格の母と、二人の時間を多く過ごしました。おかげで私には、庶民らしい、主張を控えるという心根が、今になってもしっかりと身についています。
父のほうはある程度に名を売った絵描きであり、自身のアトリエにいる場合がほとんどでした。休暇を作ったとしても、何か「芸術的なひらめき」とやらを求めて、地方へ旅行に行ってしまいます。そのようなわけで私は父親との間に、暖かな家族らしい親交を持たないまま、すくすくと育っていきました。
生活は裕福なものではありませんでしたが、涙が滲むような困窮の味を知ることもありませんでした。父の絵は流行からは少しあぶれた位置にいるようでしたが、全くもって売れないという事はなく、その稼ぎのおかげで生活が継続できていました。父はわりあい自由な生活を送っていたようですが、母はそんな亭主の生活態度に一切の口出しをしませんでした。今思うと、したくともできなかっただけなのかもしれません。家族の生活は父の手や画才に依存していたわけですから。母はただ黙って、部屋の片隅で縫い物や仕立て直しをして父の帰りを待っていました。元来の物静かな性格も手伝い、自分から強く意見を発することもありませんでした。
難しいことのわからない子供であった私は、歳を重ねるにつれ、ふらふらと外へ出かけていくようになりました。遊び相手を求めていたのです。母と二人でのままごとにも飽きを感じていた頃です。近所には公園がありました。何処にでもあるような、さしたる特徴のない公園です。三方を木々にとり囲まれており、その中に遊具が並んでいるかたちでした。そこには、多くの子供がいました。それぞれが思い思いの楽しみを追いかけています。大人の姿もちらほら見えますが、どうも子供たちの親ではないらしく、つまらなそうに新聞をながめながらベンチに腰掛けています。
兄弟のいなかった私は、同年代の子供たちにどのように近づいていけばいいのか、わかりませんでした。私はただ公園の少年少女たちと駆けっこやごっこ遊びなどをしたかっただけだったのですが、どうも声をかけるという第一歩が踏み出せませんでした。子供らしい無邪気さを振りかざすことができず、ただ拒絶される可能性を恐れていたのでした。そういうわけで私はただ一人、公園の端でぼんやりと座り込んで、去る時間を見送っておりました。遊びをたのしむ子供たちの喚声を耳にしながら、花壇に密生している花々の数を律儀に—まるでそれが私に与えられた職務であるかのように、逐一数え上げていました。春は山吹草、夏は紫陽花が眩しいくらいに花を咲かせていました。ひとつひとつの花々を指先で撫でていれば、自然と心は満足してくれました。ひとりで過ごす時間にも慣れっこでしたので、日が暮れるまでを長く感じたこともありませんでした。
それでもいつからでしょう。気がつけば、私は自然と子供たちの集団に参加できるようになっていました。その契機となった出来事はおそらく、小学校への入学であったと思われます。
学校へ進んでから、私は少しずつ子供社会に触れていきました。その実態やら形やらを理解するようになりました。初めは恐ろしくさえ感じていた同年代の人間たちは、とるに足らないようなことで笑い、怒り、泣きました。いえ、決して見下げているわけではありません。私もまた、紛れもなくその子達の一員でありましたから。
私は、頭の良い子供ではありませんでした。しかし、何かお高く止まるような性分があり、周りの友人たちがするように感情を発散させるのを、恥ずかしい行為のように思っていました。ですから、何か事件が起こってもじっと身を固くして、時間が過ぎていくのを待ちます。それが日常でした。そのような性格であったからこそ、父親と会えない日々が続いても耐えてこられたのでしょう。学校の先生は私によく「○○ちゃんは大人だね」と言いました。当時は褒められているものだとばかり思っていましたが、その中には微かな憐憫も含まれていたのではないかと、今になって思い当たります。
私は一人の子供として何処にでも発見できるるような平凡な生活を送っておりました。
そんな日常のなか、ついに現実との邂逅を成してしまいました。
私は初めて、自分の顔、というものを自覚したのです。この世の誰にでも、人生を辿っていくうちにその瞬間は必ず訪れるものだと思われます。そしておそらく皆様は、それがいつの日の出来事であったか、どこで起こったことなのか、すっかり忘れてしまっていることでしょう。それが、自然です。はっきりと記憶している方が奇妙というものです。しかし、私は明確に覚えています。記憶の壁に張り付いたまま離れないのです。それほどまでに、自らの顔の知覚は、私へ大きな揺さぶりを与えました。
私の家には、母が身嗜みを整える際に使う全身鏡がありました。結婚の祝いに両親—私から見れば祖父と祖母にあたる方達です、からいただいたものだそうで、頭の先から足先までをしっかりと映してくれる大きさがあります。鏡はいつも母の寝室にあるので、そこに立ち入ることのなかった私は、鏡を目にすることがなかったどころか、その存在すら知りませんでした。しかし、ある日、私は失くしてしまった大切な本を探して、涙目になりながら、とても探し物があるとは思えない母の部屋に入っていきました。そこで私は、見たのです。
鏡に映る自分の姿に、まじまじと見入ってしまいました。鏡の中の私は、こちらを睨めつけるような視線を送ったのち、不安そうにひとみを震わせていました。私は、すぐに目を逸らしたい気持ちに駆られました。しかし、どうしてもできません。目を逸らせば、すべてがその通りになってしまうような気がしたのです。認めることになってしまうと、ただそれを恐れたのです。鏡に映っているのだから、それが私の容貌そのままであるということは明白であるのに、私は抗おうとしていました。鏡像と睨み合いながら、それが本当に私の姿なのかどうか、問い続けているような状態でした。受け止めたくない、という気持ちが脇目も振らずに走行し続け、その考えを追い、虐げるように、鏡を通した自分の姿が残酷なまでに視界を埋め尽くしてしまいます。視覚から入ってくる情報を確かなものだと、確認させようとしてきます。
私は、知りました。私は、醜かったのです。
その醜さのいちいちを克明に描写することは躊躇われます。いくつもの欠陥を認めることができました。その中でもとりわけ、平たく潰されたような大ぶりな鼻の、その右側、そこに大きな黒子が二つ並んでいるのですが、これが私を一番に悩ませました。黒子はぷくぷくと、熟れた果実のようにいびつに膨らんでいます。その周りには小さいできものが点々と広がっていました。私は、泣きたくなりました。ただ、泣いてしまいたくなりました。美しさの一点もない自分の容姿に、足元の床板が一斉に瓦解していくような思いでした。
その日の夜、テレビジョンで放映されていた「鉄腕アトム」をぼんやりとした気持ちで眺めていました。その回ではアトムの顔が敵の攻撃によって傷つけられてしまったのです。話の大筋は忘れてしましたが、それだけははっきりと覚えています。話の途中、博士は痛んだアトムの身体を修理し、綺麗な姿に変えてみせます。私には修理された後のアトムの身体や顔が、以前の状態より、いくつも輝いているように見えました。
鏡を見てしまった後も、これまでと変わらずに学校へ通いました。しかし、以前とは何かが違っているように感じました。何処かでこそりと笑われているような、そんな錯覚がひっきりなしに私を取り囲んでいたのです。そして、その圧迫感がじわじわと、私に自分の立場というものを自覚させました。学級発表の演劇においては、大きな役をもらうことなどできません。お姫様や物語の核となる役は、器量の良い子がもらいます。恋愛話には私の話題は一度も出てきませんでした。
よくある不幸話のようですが、私は八歳を迎える頃には、自分の容姿について深く思い詰めるようなことはなくなっていました。というのも、私は持ち前の俯瞰的性格を発揮し、あまりにも自然に集団における自分の立ち位置を了解できていたのです。私はこういう役回りだから、ということを何の不満も悲観も抱かずに受け入れていたのです。自分の醜さをそっと心に共存させ、それを当たり前のことと捉えていました。高望みや夢想はしないようにしていたのです。期待がなければ、裏切りも何も生じません。このような工合いで、私は苦しくありませんでした。
私は、うまくやっていました。大きな傷をつくることもなく、日々を送っていました。しかし、ある日の出来事が私に、今までそっと受け入れてきた自身の醜さを直接的に、残酷なまでの鮮明さをもって、突きつけてきたのです。
その日は、放課になると学級の数人でごっこ遊びをすることになりました。当時は様々なテーマのもと、各々に与えられた役柄になりきる遊びが流行していたのです。今回はそれぞれが動物になりきりました。役柄を振り分ける際、皆がライオンやウサギなどの動物を選択する中、私にはカエルが与えられました。私は、すんなりとそれを受け入れました。それくらいで、心は痛みません。そんなものはとうに乗り越えていました。カエルという配役、その裏に潜む悪意に気づくことさえなくなっていたのです。
カズヨさんには豚の役が与えられていました。カズヨさん、というのは私と同じ学級の友人です。皮膚病を患っており、彼女の顔には私が持つものよりもさらに悪質なできものが、汚れた暗雲のように一面広がっていました。カズヨさんは私とは違い、役を与えられた際、いたく悲しげな気持ちを隠すこともなく表出させていました。
やがて遊びが始まると、私を含めた子供たちはそれぞれ四方八方に飛んでいきます。この遊びに約束事や決まり事はないのです。役柄に沿った行動を自由に展開していればよかったのでした。私はカエルのイメージに逸れないように、ぴょんぴょんと両足で跳ねながら移動しました。これが意外と楽しくもありました。私はぴょんぴょんと跳ね続け、校庭の端にまでたどり着きました。そこから折り返そうと、くるり後ろを振り返ると、近くにカズヨさんが立っていました。冷たいような薄い笑顔を浮かべています。私は驚きました。その後で、声を出すことに少しの戸惑いを抱きながら—なんせ私に与えられていた役はカエルでしたので喋れるはずがないからです、そっとカズヨさんに言いました。
「どうしたの? カズヨさん」
彼女は表情を崩さないままで言いました。
「それ、楽しい?」
私はコクリと頷きます。楽しいかどうかなどは考えたことがない、というのが本音でした。しかし、私にとって「本音」とは「言わないこと」だったのです。
カズヨさんは何かを考えている様子でした。今度は表情をあっさりと失くし、じっと地面へ視線を注いでいます。
私は訊きました。
「カズヨさんは遊びたくないの?」
カズヨさんは俯いたまま、応えました。
「……ううん。遊びたいよ。でも私はウサギさんがよかったの。豚なんて誰がやりたいと思う? 誰もやりたくなんてない。ウサギさんや、鳥さんとかの方が良いに決まってる」
私は途端に、なんと言っていいのかわからなくなってしまいました。どこかで拍子抜けしていたのかもしれません。カズヨさんが抱えているのは、私がとっくに踏み越えたような悩みであったからです。しかし、だからと言って私の思うところをそのまま告げてしまうわけにもいきません。ともかく、カズヨさんがどういった種類の言葉を欲しているのか、その察しをつけなくてはいけませんでした。
私は、薄い表情の裏で必死に頭を動かしました。乾いた時間が経過していきました。二人の間に新しい言葉は生まれないままです。やがて、カズヨさんがふっと顔を上げました。目にはうっすらと、涙が浮かんでいるようでした。私はそれを見て、凍りついたように動けなくなりました。
カズヨさんは腰に手をあて、吐き捨てるような口調で言いました。
「……まあ仕方ないわよね。私たちは可愛くないんだもの。カエルや豚がお似合いってことなのよね」
その言葉は、諦めの感情で暗く彩られていました。自嘲的な科白でした。言い換えればカズヨさんの独りよがりな感情の吐露でしかなかったわけです。しかし、その一言が私に再び、自身の外見の劣りを強く認識させました。なぜかはよくわかりません。ただ、彼女から直接の表現で、私の醜さを指さされたように感じたのです。自身よりも劣ると考えていた人間に、哀れみを向けられたからでしょうか。私は、心臓が痛みを伴って粛粛と縮んでいくような、苦しい感覚に襲われました。今まで当たり前に受け入れていたものが、当たり前ではないのかもしれない、と悟りました。そこからは、嫌な想像ばかりが溢れていきました。
もし、もう少し綺麗な顔だったら。もし、みんなが私と同じような顔だったのなら。もし、お姫様の役が与えられるのなら……。
そんな想像が、まるで溶岩が山頂からなだれ出るように、身体の外へ這い出てきます。
私はまたしても、自分の醜さに嘆き、悲しむことになりました。
小学校の卒業を控えたある日、父親がしばらく家に留まっていた時期があります。旅行へ出かけようと思っていた福岡の炭鉱が閉山してしまったそうでした。ならば見るものはないと、父は家に籠もって眠るか、聖書をパラパラと読むかの生活を送っておりました。ある晩、食事を終えた後の父は、酒に赤らんだ顔をこちらへ向け、言いました。
「お前は、不愉快な顔をしているな」
笑いまじりに放たれたこの言葉を、私はきっと、終生忘れることができないでしょう。父はおそらく冗談のつもりで言ったのでありましょう。当時の私もそれを了解して、下手な愛想笑いを作って、応えてみせました。しかし、心根にはそっと深い傷が刻まれることになりました。この出来事を綴っている今でも、心に一閃の痛みが蘇るようです。
歳を重ねるごとに私の顔の様子はどんどんと悪化の一途を辿っていきました。定期的に母親の鏡へ状態の悪化を確認しにいきました。カズヨさんの一件があってからは、自分の姿に知らん振りを決め込むことはできなくなってしまいました。そして、私は鏡像と向かい合うたびに、ああ、と嘆きの声を漏らすのでした。小さいできものは少しずつ顔中に拡がっていきました。そのせいで、二つの黒子の醜さはさらに強調されてしまいます。悔しくなって、一度は鏡を割ってしまいそうな気持ちに駆られました。私はその衝動がやってくるたびに、必死で自分を抑えます。掌には爪の食い込んだ痕が残りました。日々は、そのようなことの繰り返しでした。
やがて、ひとしきりの学業課程を修了した私は大学へ進むこともせず、地元の染物店にて働くことになりました。仕事はとても楽しいものでした。店の女将さんは世話焼きで、二十五になっても結婚のできない私に同情してくださり、着物や食材をよく融通してくれました。働く場所としてはこれ以上ないほどに居心地の良い場所でありました。私はそこと家の間をひたすらに往復し、まずまずの生活を送ることができていました。多くを望まないのならば、このまま仕事の中にささやかな幸せを見つけ出し、ゆったりと生きていけそうな気さえしていました。できるだけ目を上げぬまま、ただ眼前に流れてきた衣服に色をつける仕事に従事し続けました。家に帰れば、いくつか日本作家さんの書物を読み、夜早くに眠りへつきました。
仕事に精を出す日々の中で—思い返せばとんだ笑い草のような話ですが、私にもロマンスとでもいえる出来事が起こりました。
去年の話でありますから、二十八歳のことです。当時、私はもうすっかり、自分の顔についてのあらゆる希望的見方を失くしていました。一人でトボトボと、今にも切れてしまいそうな糸の上を歩くような侘しい生活を続けていこうと決心していたのです。私は、仕事へ出かけていく以外には、じっと家に篭り続けました。外出をするのは決まって夜の深い時間帯でした。月明かりしかささないような薄暗がりの中でしたが、私は用心をこらし、薄い三角巾で鼻から下を覆うようにして、家を出ました。さらにその上から、フードのついたマントを身につけ、額の部分も隠してしまいます。外の空気に触れているのは目元だけとなります。誰かに会う用事などは当然ありませんが、知らない人—例えばそこらの通行人であっても、この顔を見られることは気分が良いものではありません。もしも見られてしまったのなら……。想像するだけでも身震いするような気持ちです。
それでも、慎ましい生活の中では、定期的に気分を晴らしてやる必要がありました。危険は承知していますが、私は澄んだ空気を吸いたくなると、万全の準備を整えて、辺りを散歩しにいきました。ある日も、薄く戸を開け周囲に人影がいないのを確認してから、夜気のなかにそっと足を踏み入れました。その日は秋の暮れでした。静寂の中に、時折思い出したかのように、冷たい一陣の風が私の足元を滑っていきました。それがなんだか心地良かったことを漠然と憶えております。
住居が立ち並ぶ通りから街の側へ進んでいくと、だんだんと酔客の姿が見えてきました。不安な足取りをされている一人の男性は、ちらとこちらを一瞥し、「よお、ねえちゃん」などと声をかけてくださいます。普段の生活では絶対にあり得ないことです。今は夜で、私は顔の半分以上を隠しています。ですから男性は、私を普通一般の女性だとみなし、声をかけるのです。私はそんなことがあるたびに、目元しか出ていない状況でも伝わるような大袈裟の笑顔を拵えて見せました。そうすると酔客達は、何か次ぐ言葉を必死に探し始め、でも結局は見つからずに気落ちした様子でよぼよぼの行進を再開していくのです。それはまるで、綺麗な女性にするかのような態度であります。これら一連のやりとりは、まるで男達をあしらってみせる遊女のような気分を味合わせてくれる、楽しいものでした。それが私の、唯一の心の発散でした。社会から自然と肯定されているように感じられたのでした。このように書くと悪趣味なようですが、男の人と挨拶を交わすなどということは、世間の女性の全てがやっていることです。それを私は夜半にしか、それも自分を隠した状態でしかできなかったというだけなのです。これくらいの遊びを求めたとしても、ばちは当たらないでしょう。
私はふらふらと、何かを見せびらかすように通りに出ました。ちらほらと屋台の灯りが散らばっています。不思議なもので、秋の夜に灯る明かりは薄く霞んで見えます。この夜もそうでした。それがなんだか幻想的な雰囲気を演出しているのでした。私はその光景に不思議な酔いを感じながら、しばらく町中を歩きました。やがて、さてそろそろ帰ろうか、と思った矢先でした。後ろから声をかけられたのです。
「もし……」
振り返ると、わずかに酒気を帯びているらしい青年が立っておりました。外国の人が着るような細身のスーツに、肩を包み込むような紺色の外套を羽織っています。その着こなしが、やけに様になっておりました。真夜中の心細い明かりの中でしたが、その青年の姿は美しく輝るようでした。見たところ、同い年くらいでしょうか。青年はしっかりと撫で付けられた前髪を手直ししながら、言いました。
「この辺りに、詳しい方でしょうか。もしそうでしたら、少々道を教えていただきたい。友人達と酒を呑んでいたのはいいのだが、少しお厠へ外している間に違う店へ移ってしまったようだ。私はもう観念して、宿に帰ろうと思うのですが、御婦人、西山荘という宿屋の場所をご存知ですか?」
私は、情けなくしどろもどろとしてしまいました。青年の顔に見惚れて、彼の話が断片的にしか入ってこなかったのです。正直に申し上げます。私はこの一瞬で、彼にすっかり心を奪われてしまいました。全身の神経が彼に惹きつけられるようでした。運命、という気障な言葉を用いてもいいような、一瞬にして全てを変える出会いでした。
私は自分の顔が上気するのを感じながら、問い返しました。
「……失礼、何を、お探しですか?」
「宿、です」
「……何というお宿とおっしゃいましたか? すみません……」
「西山荘というところです。ここから大して離れてはいないと思うですが……」
その宿には馴染みがありました。小学校へ通っている間は、毎日そこの前を通っていたのです。私は身振り手振りを使って、青年へ道を口伝えしました。しかし、青年はどうも道順を了解していない様子でした。私の説明が要領を得なかったのです。男性と私的な会話をするなど幾分久しぶりのことでしたから、緊張して上手く言葉が繋がってくれませんでした。
私は、思い切って言いました。
「……もし、よろしかったら、その宿の近くまでご案内いたします」
ちらと目をあげて、青年の顔を伺いました。彼はすぐに顔を綻ばせました。思わずかき抱きたくなるような、屈託のない笑顔でした。
「ええ、ぜひお願いいたします」
彼はそのあとで深々と頭を下げました。なんだか、かえってこちらが申し訳ないような気持ちになり、私も頭を下げました。彼はその様子を見て、クスリと笑いました。そして、言いました。
「私は、井原というものです。金にもならないような絵を描いて生活しています。今日の飲み会というものも、美術仲間との開催だったのです。仲間達はついはめを外してしまいましてね。あまり酒に強くない私は取り残されてしまった次第です」
「……こちらへはどのような用件でいらっしゃったのですか? 何も無い土地ですのに」
「少し面倒な集まりがありまして。こういったことはあまり言うべきでないのかもしれませんが、私の師匠が出席なさるので、どうしても顔を出さないといけないのです」彼は、言った後にすぐに付け足した。「もちろん、この土地自体には非常に好感を抱いております。月が澄んでいて、いい」
「月が澄んでいる……ですか」
私はその一節がいたく心に刺さるようでした。彼の選ぶ言葉や、そこから覗く気遣いには、今まで出会ってきた人たちにはない尊さを感じました。
井原さんは、私の容貌については何も言いませんでした。顔の半分以上を隠した女など気味が悪くて仕様がないと自分でも思いますが、彼は普通の女性に接するように私と話をしてくださいました。見た目ではなく、その内側を視ているようなのです。私は自分の心を綺麗なものだと思ってはいませんが、人並みではあると思っています。同じことを井原さんも思ってくれたのかもしれません。彼は陽気でした。それでいて繊細な観察眼を持っていました。芸術家という類の人間は総じて親しみにくいものだと思っておりました。それは父の態度から学びとったことでもあります。しかし、井原さんは違いました。少年のような親しみやすさと、達人の如き、物の見方を有しているようすだったのです。そして、どこかしこに超然的な雰囲気を醸し出している方でした。
出会ったその夜、彼を宿まで案内し終えると、別れ際に彼は、私の手を握り、「また会えますか」と問いました。私はすぐに頷きました。五月蝿い思考は介入してきませんでした。そして、二日後に同じ場所で、と、言葉がぽろぽろ零れるように出ていきました。無意識からでてきた言葉です。でも、それが私の心からの願いでありました。意識がはっきりとしている状態ではとても言えない、途方もない願いです。私はその時、既にどこか夢見心地だったのです。
井原さんはまた、あの優しい笑顔を顔中に広げました。
「ええ、それではまた明後日」
私は気恥ずかしさから、一礼した後に逃げるようにその場を離れました。井原さんは大きく手を振って見送ってくださいました。私は胸が痛くなりました。井原さんのことをあさましくも裏切っている気持が、ここでやっと立ち上がってきたのです。いっそのこと私の顔を包んでいる衣類を残らず剥ぎ取って、すべてを曝け出してやろうかという気持ちさえ立ち上がっていました。でも、私には決してそのようなことはできないのです。またしても、怖いのです。恐れているのです。そんな自分が情けなく、私は外面だけでなく心までもが救いようのない女だと思いました。井原さんの姿が見えなくなってからは声を押し殺して泣きました。しかし少しして、泣くのもおこがましいと思い当たり、それからはきっと涙を拭いて、凛とした態度を心がけ、家へ戻りました。出迎えてくれた母は一目見て、今夜の外出に何か事件があったことを悟ったようでした。しかし、何も言いませんでした。それをとてもありがたく感じました。私は、誰かと話をできるような気分ではなかったのです。
私の中に残る井原さんの影は、時間を経るごとに大きくなっていきました。じわじわと、私の心の水槽を満たしていくのです。目も当てられないほどの醜い顔をしていながら、このような感情を抱くなど、実に滑稽なことです。しかし、私は井原さんを恋い慕うほかにありませんでした。恋い慕う、という行為は希望の現れです。相手もこちらを慕ってくれているかもしれない、という希望なくして恋はありません。
私はその時、久かたぶりに人生の光というものを感じていたのでしょう。仕事の間も晴れやかな気持ちでいられました。空想の中だけに存在していた生活が、目前に迫っているかのようでした。
しかし、それと同時に、希望を失うことが怖くもありました。井原さんが私の顔のことを知り、離れていくとすれば……。切なさに身が裂かれそうな思いでした。私の恋は散り、恋い慕うことさえかなわなくなります。それは私にとっては、生の終わりと同義であります。光は消え、今までに味わったことがないほどの暗闇を這いずることになるのでしょう。私はこのように、恋愛の希望と喪失の恐怖の多大なる力どもに逃げ場を失くされ、少し浮ついた気持ちになれば次の瞬間には恐れをなし、それでも家の中に差し込む日光に艶やかな未来を見つめてみたりするのでした。
つづく
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