4 月曜日

 土日は学校がないから、瑠由ちゃんとは会えなかった。だから代わりに、月曜の朝会ってすぐに言うことを、これでもないあれでもないと二日かけて慎重に選んでいたんだ。

「おはよ」

「おはよー、ございます」

 その週明けの朝の挨拶は、やっぱりいつもどおりに交わされた。

 案の定、瑠由ちゃんはきちんと黒い不織布マスクをしている。髪の毛もツヤツヤでまっすぐで綺麗だし、鼻筋も通ってるし、二重瞼がくっきりしていて目が大きいし、む、胸元も、お姉さんの感じが漂っていて、いい感じ、だしねっ。

「なぁにぃ? 私のことジロジロ見ちゃってぇ」

「ななっ、なっなん、でもないっ」

 ギクッとしたぼくは、慌てて瑠由ちゃんから体ごと背ける。

「そんなに『お姉さん』が気になるのかなァー?」

「ききっ、気っに、違、あのだからおれはただ、その」

 思わず声が裏返るわ慌てちゃうわで、てんやわんや。あーあー、説得力ゼロ。

「フフッ、タクちゃんも男の子なんだねぇ。成長、成長」

 そんなぼくを見たって、瑠由ちゃんはこうやってニタニタするだけだ。うーん、なんだか弟かなにかのような距離感になってしまったな。

「あーああのね瑠由ちゃんっ」

 ぼくは背けた体ごと、瑠由ちゃんを向き直る。

「んー? なぁに?」

「おれがいまから言うことで、瑠由ちゃんに嫌な想い、させちゃうかもしんない。だ、だからその、先に謝る。えっと……ごめんなさい」

「嫌な想い?」

 形勢を立て直せ。そうだ、形勢を立て直さなくちゃ。

「おれ、瑠由ちゃんの顔、ちゃんと見てみたい」

「……へ?」

「風邪じゃないならさ、マスク取ったっていいじゃん。おれ、友達の顔知らないでいるのが寂しいから、瑠由ちゃんの顔、見たいんだよ」

 瑠由ちゃんのこと、まともに見られない。瑠由ちゃんがいまどんな顔をしているのか確認するのが怖くて、自分の爪先に向かって言い放つ。

「た、たとえ瑠由ちゃんが口裂け女クチサケオンナだとしても、お歯黒べったりオハグロベッタリだとしても、おれにとって瑠由ちゃんは『瑠由ちゃん』だよ。仲良くなって友達になれた女の子ってことには、変わりないよ」

「…………」

「マスクしててもさ、瑠由ちゃんのこと、おれは美人なお姉さんだって思ったんだ。だからその……自信もってよ。マスク外した顔、エレベーター乗る前に、たとえば一瞬でもいいから。だからその、見せてほしくて……」

 きゅーっと赤くなるような感覚が、全身を縦に抜ける。『頭の先から足の先まで』って、文字どおりのやつ。

 怒られちゃうかな、生意気なガキだって。

 でも、瑠由ちゃんはこの前ぼくのことを「賢い」って言ってくれた。それにすがるなら、ぼくの素直な考えとか気持ちをぶつけたとしても瑠由ちゃんには効果的だと思ったんだ。

「琢ちゃん」

「は、はい」

「エレベーター来てるよ」

「えっ?!」

 顔を上げてびっくりした。瑠由ちゃんは既に隣にいなくて、なんならちゃっかりエレベーターに乗っちゃってんだもん。

 慌てて乗り込んだら、いつもどおり瑠由ちゃんがボタンを押した。エレベーターがごんごんと動く。

「琢ちゃん」

「な、なに?」

「緊張した?」

「は? したよ、当然じゃん」

「フフッ、そっかそっか。緊張したか」

「もしかして、やっぱり嫌な想いした?」

「ううん全然。むしろ嬉しかったよ、すんごく」

 よかった、と、全身から力が抜けた。ホーッと肩が落ちる。

「だけどやっぱりダメ」

「ええっ?」

「マスクの下は見せらんない」

「な、なんでさ! 嬉しかったって言ったじゃん」

「嬉しかったよ。こんなこと言われたことないもん」

「瑠由ちゃんは、ぼくのこと友達にしてくれてない?」

「ううん、友達だと思ってるよ。歳の差なんか関係ない、一人前の男の子だと思ってる」

 う、うわあ。スゴい褒められてる……。顔がぐんにゃりなるのをこらえるために、左手を拳にして口元を覆う。

「けど友達だからこそ、私の本当の顔は見せらんないって思ったの」

「な、なんで? ぼく、瑠由ちゃんのことたくさん知りたい!」

「えへへー? なぁに? もしかして、告白?」

 瑠由ちゃんは、黒い不織布マスクに手をかける。鼻の下のところを摘まんで、引き伸ばして。でも結局ぱちんと元に戻る。

「こっ、こ、告白っ。じゃあ告白っ。ぼく、瑠由ちゃんのことすんごい好き」

「あははっ、それはもっとダメ。瑠由ちゃんを好きになったらダーメ」

 ポーンと古い電子音が鳴ってエレベーターが到着。ゴウンゴウンうるさい扉が開いて、でも瑠由ちゃんはまだ降りない。

「琢ちゃん」

「な、なに?」

「勇気出して私にたくさんぶつかってくれて、ありがとね」

「…………」

「なのに、全部無下にしてごめんなさい」

 閉まろうとする扉を、瑠由ちゃんは『開』のボタンを押し直して阻む。

「お詫びに明日の朝、ちょっとだけ早く出ておいで」

「えっ」

 タッと駆けるようにして、瑠由ちゃんはようやくエレベーターを降りた。そしてやっぱりこっちを振り返ることなく、エントランスから外の世界へと出ていった。


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