事前準備

※1 氏子うじこ この話では、その地域の神社の信者(住民)という意味で使っています。


※2 財形貯蓄 勤労者財産形成促進制度の1つ。会社の給与から天引きされて、退職後や住宅購入のためにお金を積み立てる。主人公のは、一般財形貯蓄で、3年以上、積み立てていれば、原則として、いつでも解約できる。ちなみに、一般的には総務や経理の担当なので、解約に直属上司の許可は要らないが、主人公は上司の同情を誘う意味で、話を通しただけのようだ。


※3 屋号やごう 個人事業の名前。例:店名、○○商会、○○医院など。


※「郵便局」は、日本郵政株式会社の登録商標です。


***


 俺は、自分の能力を使って、祈祷師きとうしとして生計を立てたいと思った。いろいろ考えたが、これだ、というアイデアが思い浮かばず、とにかく最初は無給でもいいから、やってみて、問題があれば、修正する方向で進める事にした。


 ただし、失敗する可能性が大きいので、成功する目途めどが立たない限り、会社は辞めない。これは重要だ。


 俺はまず、自分の所属長である部長に、副業の許可申請を出すことにした。ほとんどの会社では、就業規則で兼業禁止を歌っている。ただし、は、その限りではない。


 地方だと、兼業農家という人もいる。親の遺産でアパートを相続したというケースもある。そういう場合は、届け出さえすれば、民間企業なら、わりと簡単に許可が出る。副業に関して、会社の許可が出やすいのは、というキーワードだ。


「部長。実は、副業の事でご相談があるのですが」


「なんだ、アパート経営でも始めるのか?」


「いえいえ。実は、ウチの本家は、昔からある神社でして、小さいながら、氏子うじこ(※1)が結構、いるんです」


「ほう」


「それで、うちの氏子で、集団就職などで東京に出てきた方が多くおられます。ただ、高齢なため、なかなか地元に帰れないので、せめて、ご祈祷きとうだけでも受けたいという要望があり、ウチの親戚が、毎年、春・秋の2回、東京に出て来て祈祷を行っていたんです」


「なるほど。地方だと、そんなことがあるんだな」


「それで、実はですね、その親戚も高齢で、東京に来ることが出来なくなったのです。そこで、ウチの身内で唯一、東京に住んでいる俺に声がかかりまして、東京在住の氏子の家を廻って、祈祷きとうをしてほしいと、本家から言われたんです」


「神社の事は、よくわからないが、お前は神職の資格を持っているのか?」


「いえ。資格は持っていません。ですから、個人の祈祷師として祈祷したいと思います。祈祷師には資格は必要ないんです」


「うむ。よくわからんが、祈祷料きとうりょうってどれくらいなんだ?」


こころざしですから、さほどの金額にはならないでしょう。年間、20万円を超えないと思いますので、確定申告しなくていいレベルですね」


「そうか。家業というか、一族の事だし、それは許可せざるを得ないな。会社に苦情でも来たら困るしな。宗教関係は、トラブるといろいろ厄介だ」


「ありがとうございます。それでもう1つ、ご報告がありまして、財形貯蓄(※2)を解約したいんです」


「それは構わないが、何に使うんだ?」


「さすがに、ビジネススーツで祈祷するわけにはいかないので、そういう着物を購入します。意外と高いんですよ。7桁万円、確定です」


「それだと、赤字になるんじゃないのか」


「まぁ、これも家業ですから仕方ありません」


「そうか。なにかと大変だな。がんばれよ。経理にも伝えておくぞ」


 部長は、俺に同情しているようだった。


「はい。ありがとうございます」


 こうして、俺は副業の許可と、財形貯蓄をうまい理由をつけて解約できた。部長に話したのは、すべて作り話だ。神社の事など、俺は何も知らない。一応、ネットでちょっと調べて、それらしい嘘をついたわけだ。


 2週間後に一般財形貯蓄が解約されて、俺は、約300万円を手に入れた。入社してから、ずっと貯めていた、俺の虎の子だ。


 この資金を元手にして、祈祷師を始めるが、資金がきるまでに、ある程度の収入の目途めどが立たなければ、祈祷師はあきらめるしかない。


 財形貯蓄のお金が入金される間に、俺は、祈祷する場所を探した。とりあえず、週末だけだから、最初は貸し会議室を探したが、これが意外と高い。1時間幾らという料金設定なので、1日借りると、結構な金額になる。


 それなら、レンタルオフィスはどうかと調べると、月額15万ちょいで借りる事が出来ると分かった。俺は、なるべく、駅から近い場所を探して、1ヶ月後から、そこを借りる契約をした。


 次に、レンタルオフィスの住所を管轄する税務署へ行き、開業届を出した。正式名称は「個人事業の開業・廃業等届出書」だ。個人事業を開業するのは、行政の許可が必要な業種でなければ、とても簡単だ。


納税地  レンタルオフィスの住所

電話番号 俺のスマホ

屋号やごう   ○○祈祷院(※3)

職業   祈祷師


 職業に祈祷師きとうしと書いたら、職員に妙な顔をされたが書類は受理された。実際には、まだレンタルオフィスと契約していないが、少し、お金を払って、もし、先に郵便物が届いたら、保管してもらうようにお願いしてある。


 税務署に開業届を出すとがもらえる。これが欲しかった。俺は次に、大きな郵便局へ行って、個人で郵便為替口座の口座を開設した。名義は、「祈祷師 ○○○○」だ。ここでも、妙な顔をされたが気にしない。


 赤い振替払込用紙を見たことがあるだろうか。昔は、雑誌の定期購読などで、本の後ろに付いている事が多かったが、最近は、あまり見なくなった。


 振替払込用紙を郵便局へ持って行き、そこでお金を払う。払ったお金は、郵便振替口座に入金される。この口座には、通帳がない。入金、出金があるたびに、郵便局から郵便で知らせてくれる。残高もそれに記載される。


 赤い振替払込用紙は、手数料を受け取り主が負担する。あまり見ないが、青い振替払込用紙は、手数料が支払う側の負担となる。銀行振込の振込手数料をどっちが払うかと同じことだ。


 なぜ、これを用意したかといえば、祈祷した後に、祈祷料は、「志」、「お気持ち」という形にしたかったからだ。俺の能力では、瞬時に治療することはできない。最短でも数時間はかかるだろう。だから、祈祷前に料金を払うのではなく、家に帰って、効果を確認してもらってから、払ってもらう方がいいと俺は判断した。俺の能力があるから、効果は間違いないはずだ。


 喉元過ぎれば、何とやらで、祈祷料を払わない奴もいるだろうが、まぁ、最初は、くちコミで宣伝するのが目的なので、ボランティアでもいい。


***


 余談になるが、クレジットカードが普及していなかった頃の通販は、振込か、現金書留でお金を送るか、先ほどの振替払込用紙を使うか、郵便小為替が主流だった。郵便局は、日本全国、どこにでもあるから便利だ。当時は、が、当たり前だった。


 以前、バーのカウンターで、横の席になったじいさんと、意気投合して、いろいろ話したのだが、この爺さん、若い頃に、アダルトグッズを通販で売っていたそうだ。


 そういう雑誌の後ろの方に広告を出すと、現金書留で注文書とお金が届くそうだ。ある時、事務上のミスで、数件の注文を送るのを忘れていた事が発覚した。ところが、半年前にも関わらず、一切、問い合わせや苦情がなかったそうだ。まぁ、人に言いにくい商品だから、注文主もあきらめたのだろう。


 爺さんは、これに味をしめて、屋号を変えて雑誌に広告を出し、現金書留でお金が届いても、商品を送らなかったそうだ。明らかな詐欺さぎである。


「雑誌に広告を出す度、全国から現金書留が届く。毎日、飲み歩いていたよ。あの頃は最高だったね」


 じいさんは、自慢げに話していた。結局、警察のお世話になったそうだが、金はつぼに入れて、穴を掘って隠していたそうだから、なかなかのやり手だ。もう、時効だろうけどな。


 法律も、広告を出す出版社も、いろいろゆるかった時代だから、出来た事だ。今だと、さすがに無理だろう。


***


 話がそれたが、祈祷所の準備ができた俺は、それから、ホームページを作成した。以前、趣味で作っていたので、簡単なモノならお手の物だ


・祈祷の歴史

・祈祷に医学的な効果はない

(まずは病院に行け)

・プラシーボ効果はある(匂わせ)


 ○○祈祷院


 記載内容は、こんな感じだ。ポイントは、治療する、効果があるなどとは、絶対に書かない事だ。俺は、赤字ではっきり「医学的効果はない」と明記した。


「祈祷することにより、気持ちを新たに」


「病は気から」


 こんな言葉で誤魔化ごまかした。


霊験れいげんあらたかな○○○にぜひ、ご参拝ください」


 年末に、そういうテレビCMを見かける事があるが、言葉の意味では、神仏による明らかな効果があると歌っているわけで、あれは、詐欺にならないのかと俺はいつも思う。いつか、誰かが訴えて、最高裁まで行ってほしいものだ。まぁ、結果は分かり切ってはいるが。


 ついでに、予約システムを知り合いのプログラマーに頼んで作ってもらった。30分ごとの予約時間とし、ホームページで予約したら、○、×が表示されるようにした。


 最後に、祈祷する際の服だが、着物は高すぎるので、思い切って白衣にした。意味不明だが、安いし、医療関係者のように見えて、いいかなと。


 これで、開業する準備が整った。



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