実用性

 他人を治療出来るかの学術的検証と同時進行で、俺がやっていた事がある。


 治療能力を使という事だ。


 はっきり言おう。俺は聖人君子などになるつもりはない。


 能力があったとしても、何が悲しくて、見ず知らずの人を助けなくてはならないのだ。お金をくれるというなら、少しは考えるが。


「能力や才能のある人が、ない人を助けるのは、当たり前」


 そんなセリフをどこかで聞いたことがあるが、バカを言え。お前は、世間知らずの小学6年女子のクラス委員長かと、俺は言いたい。


「能力や才能のある人は、上に登って行く。ない人は、それなりに」


 これが、世の中の当たり前だ。そして、その指標となるのはかねだ。金があれば、能力や才能がなくても、上にいられる。


 俺は、この能力で金を稼ぎたい。


 しかし、現代日本において、治療行為で対価を得るには、国家資格が必要である。具体的には、医師免許等がないと違法ということだ。


 今から医者になる? そんな頭があるなら、高校卒業時に医学部へ行っている。はっきり言って無理だ。それに、医学部へ行けたとしても、医師になるまで、今から何年、かかるというのだ。そんな悠長ゆうちょうな事をしていれば、俺が枯れてしまう。


 仮に俺が医者で、医院をやっているとしよう。医師には、健康保険を使わない自由診療という部分がある。健康保険を使わないなら、極論すれば、いくら請求してもかまわない。だが、実際、無免許医で有名な漫画のように、1回の治療に3000万円を請求してもいいのかというと、倫理上の問題があるような気がする。医は営利を目的としないらしい。


 日本ではなく、法律のゆるい外国へ行って、医師のまねごとをするという方法もある。海沿いの岬の先に医院を建てて、世界中から金持ちが集まるなら、最高だが、無免許医の俺の事が世界に知れ渡るには、どれくらいの時間と実績が必要なのか見当もつかない。やはり、これも現実的ではないだろう。


 これまた非現実的な話かもしれないが、国会議員などに紹介してもらって、国に俺の能力を認めさせれば、人命に関わるという事で、超法規的措置で、俺の治療行為が認められるかもしれない。


 だが、それの意味するところは、国にという事だ。俺が総理大臣なら、そんな人間がいれば、外国の要人の治療など、外交の切り札にするだろう。いや、いっそのこと、何か理由をつけて拘束し、国のために働かせた方が早そうだ。


 そして、これが諸外国に伝われば、俺の扱いについて、スパイ映画さながらの事が間違いなく、起きるだろう。日本はスパイ天国と言われているくらいだからな。拉致らちされたり、最悪、外国のスパイに消される可能性があるかもしれない。


 俺なりに、ない知識でいろいろ考えたが、現代社会において、治療能力は金を稼ぐには役に立たなそうだ。


 それが俺の結論だった。


***


 能力の有益な利用について、俺は、一旦、棚上げにして、いつものように忙しい日常を過ごしていた。


 社用車で得意先を廻っている時だった。この日は、国会で証人喚問かんもんがあり、少し興味のあった俺は、ラジオで国会中継を聞いていた。


 証人喚問も、最近は弁護士が同伴して、訴訟等の可能性があるのでお答えできませんで、済んでしまう事が多く、あまり、意味のないものになっている。


 中継は始まったばかりで、ちょうど、議長が証人に対して、いろいろ説明しているところだった。


「医師、歯科医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教、祈祷、しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が職務上知り得た事実で・・・」


 ん? 今、なんて言った?


 聞き間違いかもしれないが、何か気になるワードがあったように思えた。


 その日、俺は、家に帰ってから、ホームページで証人喚問の録画映像を見た。衆議院、参議院は、ネットで国会審議の映像を国民に公開している。


「・・・宗教、祈祷、しくは祭祀の職にある者」


 祈祷きとうだ。そうだ、祈祷師きとうしだ。


 俺は、ピンときた。


 すぐに、ネットで祈祷師きとうしについて調べてみた。すると、別に国家資格などは必要ないことが分かった。これはいい。誰がやってもいいという事だ。


 俺が祈祷師となって、病気に悩む人に対して、祈祷するフリをする。そして、治療能力を使って、病気を治せばいいのだ。これなら、俺の治療能力はバレにくい。これは、いい方法だと、俺は小躍こおどりした。


 問題は、これを、どうやって、ビジネスにするかだ。


 祈祷というのは、日本古来から行われているもので、疫病が発生した時に、人々は神仏にすがって、神職や僧侶に祈祷してもらっていた。


 医療の発達した現代から見れば、天然痘や風疹ふうしんに対して、祈祷しても医学的に何の効果もない事は、誰でも分かるだろう。しかし、細菌やウイルスの存在され知られていなかった時代だから、たとえ有効でなくとも、それしか方法がなかったとも言える。


 現代においても、交通安全の祈祷をする事がある。科学的に見て、交通安全の祈祷を受けたことによって、事故に遭わなくなるかというと、それはあり得ないだろう。信じている人は、それはそれでいいと思う。験担げんぎだと思っている人もいるだろう。


 ただ、年始に気持ちを新たにする事で、交通安全を誓い、その1年、安全運転を心掛け、結果として事故に遭わなかったという事もあると思う。気持ちの持ち方次第だ。


 プラシーボ効果というものがある。例えば、食べ過ぎで、胃の調子が悪い人に、ただの水を霊験あらたかな祈祷を受けた水だと称して、飲んでもらうと、何か胃がすっきりしたと感じられるという効果だ。実際には、ただの水なのに、気持ち次第でそう感じるという事だ。


 祈祷師としてのビジネスを確立させるには、この辺りが使えるような気がした。



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