第8話

『本日も新幹線をご利用いただき誠にありがとうございます』

 響き渡る車内アナウンスの声で僕は目を覚ました。背もたれから頭を起こすと、窓の外はすっかり都会の街並みに変わっている。

 帰りの移動中に少しでも原稿を進めようとノートパソコンを開いていたはずがどうやら眠ってしまっていたらしい。

 昨夜の同窓会のせいか、とても懐かしい夢を見ていたようだ。

 簡易テーブルに置かれたパソコンを再起動する。自分の顔が黒い画面に一瞬だけ映った。

 あの真っ黒な瞳が脳裏をよぎる。


 僕が屋上で彼女と対峙した次の日、麻倉は学校に来なかった。

「麻倉さんは家庭の都合で急遽転校することになりました」

 担任からクラス全員にそう告げられたのは、彼女がいなくなって三日後のこと。

 そして僕が屋上の扉の前に置かれた手紙に気付いたのはさらに翌日の昼休憩だった。

『古宮くんへ』

 晴れ渡る空と円を描く鳥の下で、僕は立ったまま自分の名前が書かれた封筒を開ける。

 中には三つ折りにされた便箋が一枚。

『嘘じゃなくてごめんね』

 便箋を開いて最初に目に飛び込んできたのは、そんな言葉だった。


***


 古宮くんへ


 こんにちは。

 突然だけど、私はこの学校からいなくなることにしました。そうすればどっちも救えるって気付いたから。

 私がこの世界からいなくなれば、みんな安心するし、私も何事もなかったかのように生きていける。

 こんな単純なことに、今までの私は思いつきもしなかった。

 それでも変われたのは古宮くんのおかげです。

 私が救われなければ世界が救われる。そんな風に言って、ただ諦めていただけの私に。

 それでもどちらも救けたいと、見つめてくれてありがとう。

 古宮くんの瞳に映る私はすごく寂しそうで。

 私はやっと、私を救けたいと思えました。


 古宮くんは私のヒーローです。


 この手紙は嘘じゃなくてごめんね。

 もしもどこか違う世界で逢えたら、その時はまた一緒にお弁当を食べようよ。

 いつまでも元気で。


 麻倉志穂


***


 手紙を読み終えた僕は階段室の壁に背を預けて、予鈴が鳴るまで空を見上げていた。

 小説家になることを決めたのはその時だったと思う。

 僕は今、あの手紙への長い長い返事を書いているのかもしれない。

 パソコンの横に置いてあるスマートフォンが震えた。通知画面を確認すると、昨日の同窓会メンバーの集合写真が送られてきていた。全員各々のポーズで映った賑やかな写真を眺めて『楽しかったね。ありがとう』と返信する。

 彼女が転校してから、徐々にではあるが僕はクラスメイトとの関係を取り戻した。屋上に行く理由がなくなり、教室にいる時間が増えたからだ。

 今思えばそれも彼女の作戦だったのかもしれない。これ以上僕を透明にしないための。

 最後まで彼女はヒーローだった。

 デスクトップ画面が立ち上がり、僕は原稿ファイルを開いた。途切れた文章の末尾にカーソルを合わせて、カタカタカタ、とリズミカルにキーを叩く。

 文字が増え、物語が進んでいく。登場人物たちに次々と理不尽でどうしようもない困難が襲い来る。

 彼らを救いたくて僕は言葉を紡ぐ。

 フィクションの中の彼らは、きっとこの世界のどこかにいる誰かだから。


 僕の嘘で、世界が少しでも平和になってくれたら嬉しい。


 エンターキーを叩く。

 新幹線がゆっくりと速度を落として、自分の居場所に戻ってきたことを知る。

 もう一度外を見れば、窓ガラスには透き通った色の僕が映っていた。

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