第3話

「なんであんなこと言ったの?」

「あんなことって?」

 屋上の階段室の壁を背もたれに三角座りで弁当を食べている麻倉に僕は言った。

 事件の次の日。

 疑惑の晴れない彼女について様々な憶測が飛び交った結果『怪しいものには触れないでおく』という残酷な決定が下された。

 彼女に話しかける者はいなくなり、初めは睨みをきかせていた山崎も一週間が経つ頃にはその他大勢と同じように気にするのをやめる。

 ――そして彼女は、世界から〝居ないもの〟とされた。

「君は犯人じゃない」

 いつも昼休憩になると姿を眩ます麻倉を屋上でようやく見つけたのは、事件から二週間が経った頃だ。

 今日と同じようにコンクリートの壁に背中を預けて弁当を食べていた。

「知ってる」

 麻倉は平静な口調で言う。

 彼女が犯人でないことを知っているのは彼女自身と僕だけだった。大した理由じゃない。彼女は僕が職員室に課題を運ぶのを手伝ってくれていたからだ。

 僕たちはあの事件が起こっている間ずっと一緒にいた。だから彼女が犯人なんてあり得ないのだった。

「古宮くん、焼きそばパンはやく食べないと伸びちゃうよ」

「伸びないよ」

「バレたか」

 ふふ、と彼女は笑う。その笑みは吹けば飛びそうに軽い。

「自分を疑ってる相手に『今度は盗まれないように』とか、ますます疑われるに決まってるじゃん」

「盗まれてたのは本当だしね」

 彼女の言う通り、山崎の財布は実際に盗まれていた。

 僕たちはその現場を見てはいないが、犯人は相当焦っていたのだろう。ある机に掛けられていた鞄から彼の財布が覗いているのを麻倉が見つけたのだ。

 その机が誰の席なのか、彼女はまだ教えてくれない。

「真意を伝えようとしないなら、それは他人ひとを騙す嘘だよ」

 僕は食べかけの焼きそばパンを齧る。

 封を開けて時間が経っても、その味わいは一口目と変わらない。


「君は犯人になりたがってるように見える」


 彼女は小判型の弁当箱の蓋を閉めた。

「なりたくないよ」

「ほんとかな」

「嘘は一回バレると信頼まで失うね」

 麻倉はまた軽い笑みを浮かべて、空を見上げる。彼女はいつもこうして昼休憩終了の予鈴が鳴るまで時間を潰す。

「じゃあなんで僕の言葉を止めたの」

「余計なことを言いそうだったから」

「本当のことだよ」

「本当が都合の悪いときもあるんだよ」

 空を流れる雲は速い。屋上には風ひとつ吹いていなくても、上空では強い風が吹き荒れているのだろうか。

 立つ場所によって見える景色はまるで違う。

「犯人捜しをさせたくなかったの」

 彼女は空に向かって言葉を放った。

「あのとき山崎くんは皆を疑ってた。あのままだと犯人捜しが始まってたと思う。鞄の中身を見せろって言うかもね。それで全員大人しく見せると思う?」

「見られたくない人もいるだろうね」

「うん、断る人たちが出てくると思う。そしたらその人たちが疑われて、今度は彼らが自分たちの疑いを晴らそうと真犯人を見つけようとする。そうやって全員が全員を疑い出す。そんなの地獄だよ」

 だからみんなが私を疑ってくれればいい。

 麻倉はそう言った。

「それで、君が一人になっても?」

 誰とも話さず、目も合わず、気にも留められず、黒板と空を見て終わる一日。

 そんな日々を過ごすことになったとしても。

「最初の質問に答えるね」 

 彼女は冷たい床に座ったまま、笑うことなく言った。


「私が救われなければ世界が救われる。それだけで十分でしょ?」

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