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 部室に戻ると、体育座りをしてだるまのようになっている太った男がいた。

「撃沈」と言わんばかりに落ち込んでいる。


金輪かなわ先輩。水やり終わりましたよ」


「ああ、ゆうか……作物はどうだった?」


  悠は俺の名前だ。


「勧誘、ダメだったんですね」


「人気がないのは仕方ないさ。兼部OKにしても、園芸なんてお嬢様お坊ちゃんにとっては地味だろう?」


 ここ黒同こくどう高等学校は、私立の進学校。スポーツ強豪校としても有名で、本当なら兼部をする余裕もない、忙しい部活ばかりだ。


 ついでに金持ちが多いのも事実。現に、金輪先輩も某大手IT企業の社長の息子だ。農業に憧れて農業高校に行こうとしたが、父親に反対されてここに入ったのだという。


「まだ一日目ですし、そのうち興味を持っている人が見学に来ますよ」


 なんて慰めて、さっきもらったクッキーを取り出す。


「金輪先輩、これ、よければ食べませんか?」


「む……これは?」


 事情を説明すると、「女子の手作りクッキー!?」と驚かれた。


「ありがたくもらおう!」


「よければ全部食べてください。俺は無理なので」


「……そ、そうか。貴重なものをもらって悪いな」


 金輪先輩は何か言いたげな顔をしていたが、それ以上の追求はしてこなかった。


「この焼き色、バターの香ばしい匂い……すごいな、市販品のような出来栄えだ。味は……おお! 砕けやすいんだな! 生地がほろりと解けて、濃厚な乳製品とバニラの味がぱあっと広がってくる! 見た目と食感はクッキーだが、味はアイスクリームのようだ! 口の中から消えてしまうのが惜しい……!」


「……」


「はっ! すまん、ついいつもの癖で独り言が。不愉快だったか?」


「いえ。聞いている分には楽しいです。女の子の手作りクッキーの味って、特別なんですね」


「そうだな。料理に込められた物語は、味に強く関わってくるものだ」


 金輪先輩は立ち上がり、嬉々と語り出す。


「だが食べ物の物語を知ろうとする人は少ない。それがどのように生産されたのか、どこからきたのか、どう調理されたのか……それを理解せず『食べ物を残すな』と説いたりはするが、おかしな話だ。結局は表面的な価値観の押し付けだからな。毒が盛られているかも分からない御前を、無理して食う理由はないだろ?」


 食べ物のことになると、変に理屈っぽく、饒舌になる。金輪先輩の癖みたいなものだ。


「先輩って、面白い持論持ってますよね」


「ん? そうか?」


「毒を盛られたことがあるんですか?」


「あくまでも例え話だ。ま、睡眠薬を入れられたことはあるが」


「え」


「いや、金輪家に呼んだ日雇いのシェフが、強盗目的でやったことがあってな」


「意外とシャレにならないじゃないですか」


「だが相手が悪かったな。オレは舌が肥えているからすぐ気がついた……ああ、思い出しただけで腹が立ってくる。何の罪もない食べ物を悪事に利用するなんて、とんでもないやつだ!」


「漫画みたいな話ですね。薬を盛られて見破るとか」


「ふっ。物語の悪役は、成敗するに限る」


 少し元気になったようで、金輪先輩は「よし! もう一回ビラ配りに行くか!」とクッキーをもう一枚口に放り込んだ。


「俺も手伝います」


「それは助かるが……大丈夫か?」


 金輪先輩が不安げに聞くが、「全然大丈夫です」と明るく返した。


「体力には自信ありますし」


「わかった。だが無理はするな」


 金輪先輩の広い背中についていく。俺は金輪先輩の人柄に憧れて、園芸部に入ったのだ。


 この人がいなければ、俺は二度と学校に来なかったかもしれない。

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