〈腹ぺこの絵描き〉

 昔々、町のはずれの小さな家に、貧しい二人の兄弟がいました。

 昼間は父も母も都会の町へ稼ぎに行ってしまうので、幼い二人の兄弟は両親がいない間、家事やお家の隣にある畑を耕していました。

 幼い二人にとって家事や畑仕事はとても辛い作業でした。しかし兄弟が揃って仕事をすれば、どんな辛い仕事でも明るく楽しむことができたのでした。


 二人はいつもお腹を空かせていましたが、お家には何も食べ物がありません。

 まだ幼い弟は、昼頃になるとお腹が減ったと泣くので、兄は弟の気持ちを少しでも紛らわせようと、弟が泣くたびに家の前にある土の地面に、木の枝で食べ物の絵を描いてみせました。

 弟は兄の描く絵が好きで、兄が描いてくれた絵を見ているときだけは、お腹を空かせていることを忘れて絵に夢中になりました。

 しかしあるとき、それまでは兄の描く絵に夢中になっていた弟が、急に絵に関心を示さなくなりました。

 兄は弟の様子が不安になり、弟にどうしたのかと訊ねると、弟は

「確かに兄ちゃんの絵は上手だけど、いくら美味しそうに描かれた絵を見ても、ちっともお腹は膨れないね。」

と悲しそうに言いました。

 弟は兄の絵が大好きでしたが、自分には兄の描くおいしそうな食べ物を一生涯食べることができないという現実を薄々勘づいていて、兄の絵を見るたびに、やり場のない悲しさと切なさに襲われるのでした。

 それ以来弟は、お昼になっても兄の描く絵を見に家の外に出なくなりました。

 兄は一人、弟が絵を見に来なくなっても家の表に出て絵を描き続けました。

 もっと上手く描けば、きっと弟が見に来てくれる、兄の心の中にはそういう優しい想いもありましたが、同時にこの少年は、誰よりも絵を描くことが大好きだったのです。

 兄は雨の日も風の日も一心不乱に木の枝を動かし続けました。


 ある日、兄がいつものように土の地面に絵を描いていると、そこに偶然馬車に乗った商人が通りかかりました。

 商人は痩せた少年の描く絵がとても素晴らしかったので、その少年に鉛筆と白い紙を渡して

「今私が乗っている馬車を書いてみなさい。」

と少年に絵を描くように言いました。

 少年は思わぬ依頼に喜んで、すぐさま馬車の絵に取り掛かりました。

 少年は気付けば依頼されていることも忘れて、美しく、誰もが乗りたくなるような素敵な馬車を描くことに没頭しました。

 少年の描き上げた絵を見て、商人はその少年に

「町にある私のアトリエに来ないか?お金の心配はいらない。ただ思う存分絵を描いてくれればいいんだ。」

と少年の小さな手を握って言いました。

 そう。この通りすがりの商人は、実は自分の絵を売る名だたる画家であり、少年の絵を描く才能をいち早く見抜いていたのです。

 少年は商人からの夢のような提案に目を輝かせ、興奮気味に町にあるアトリエの話を聞いていました。しかし商人のひと通りの話を聞き終えたとたん、目は虚になり、紅潮していた頬は次第に青ざめていきました。

 商人は少年の様子に戸惑いながらも、一緒に来るかどうかを訊ねると、少年は悲しそうに言いました。

「この上なくありがたいお話ですが、ぼくにはおじさんと一緒に町へ行くことはできません。家には一人、ぼくより幼い弟がいます。ぼくがいなくなれば、弟はひとりで家の仕事をしなきゃいけません。それに…」

 そう言いかけて、少年は全てを諦めたような虚な目線をつま先に落として、口をつぐんでしまいました。

「それに、どうしたんだい??」

 商人がゆっくりと丁寧に少年に聞くと、少年は

「ぼくが今、いくらじょうずに絵を描いても、それでお腹は膨らみません。今すぐにお金持ちになるわけでもありません。ぼくが今やらなきゃいけないことは、家の仕事を手伝うことなんです!」

と、腹の底から声を絞るように商人に言いました。

すると商人は少年が落ち着くのを待ってからこう言いました。

「確かに、今すぐにお腹が膨れるわけでもないし、お金持ちになるわけでもない。でも、未来は違う。今からしっかり絵を学べば、将来はそれでお腹いっぱいご飯が食べられるようになるんだ。」


 …あれから長い年月が過ぎました。


 町のはずれの小さな家の中には父と母と一人の幼い子供がいて、家は相変わらず貧乏でした。

 小さな家で変わったことといえば、父も母も、月に何度かは出稼ぎに行かずに家にいることができて、一人の幼い子供が手に持ってかじりついているものは、かつて家の前の土の地面に描かれていた、おいしそうな食べ物でした。

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