風を統べるモノ

「ドラゴンだああああああああああああああああ!」


 古き時代。世界は様々な魔物が支配していた。

 勇者と呼ばれる先人たちはその武勇をもって、英知をもって魔物を打ち払い、人の支配領域を広げてきた。

 初代皇帝は強大なドラゴンと渡り合ってその支配領域を譲り受けたと言われる。


 今でも辺境と呼ばれる人の支配の及ばぬ地にはゴブリンをはじめとする亜人種たちがはびこり、人の踏み入らぬ森や山地にはワイバーンと言ったドラゴンの末裔たちが生息しているという。

 冒険者たちはそういった未踏の地に分け入り、魔物たちを討ち取って報酬と名声を手にしていた。


「さわぐな」

 その一言で敵軍は動揺が静かに収まっていく。かくいうこっちの村人たちはへたり込んでいた。

 

「放て」

 重装歩兵の後方に控えていた弓兵が上空のドラゴンに向けて矢を放つ。


「GYUAAAAA!」

 ドラゴンはばさりと翼を翻すと突風が引き荒れ矢を吹き散らす。

 攻撃を仕掛けてきた相手を敵とみなしたか、エメラルドをはめ込んだかのような深緑の瞳がギラリと光を放った。


「OOOOOOOOOOOAAAAAN!」

 口を開くと、咆哮ではない音曲の調べのような声が紡ぎだされる。そしてその口中から……魔力が一線に集約して放たれた。


「むう……ぬん!」

 敵将は胸から下げていたペンダントから宝石をちぎり取って天に放つ。魔力で起動された石は砕け散り、盾を作り上げた。

 

「……ドラゴンのブレスを防ぐとか、見てはいけないものを見てしまったニャ」

 いつの間にか俺の隣に着ていたシーマがぶるりとその身を震わせる。

 一直線に放たれたブレスは盾にぶつかるとその向きを変え人のいない地を貫く。それこそため池のような巨大な穴が開き、噴き飛ばされた土砂が両軍の頭上に降り注ぐ。

 もうなんというか、戦争どころじゃない状態だった。

 野盗崩れの雑兵たちはわき目もふらずに逃げ出し、敵将直属の部隊以外は四散している。しかし、いまだに踏みとどまる敵将の直属部隊とぶつかればこちらは全滅間違いないと言うほどの戦力差があった。


「ぬうん!」

 従兵から受け取った手槍に魔力を走らせ投げつける。いかなる膂力によるものか、一直線に飛んで行く槍はキーンと高い音を立ててドラゴンの眼前で砕け散った。


「ふむ、分が悪い、か」

 

 互いに攻撃を仕掛けて打撃を与えられなかった。少なくともドラゴンの脅威を上空に抱えたままでは勝っても被害が大きい。どういう考えがあったのかはわからないが、ヴァレンシュタイン男爵はあっさりと命を下した。


「退却だ。王都に戻るぞ」

 怒りを見せるドラゴンによる暴風が吹き荒れる中であっても隊列は崩さず、鉄の結束を守ったまま退却していった。ドラゴンの方もあえてそれ以上は手を出さず、村の上空を旋回している。


「ムウ、敵ながら見事」

 ゲオルグが嘆息していたのは、緒戦で倒れた兵の死体をしっかりと回収していったことだ。

 たかが一兵卒であってもないがしろにしない。それこそがあの統率の由縁なのだろうか。


「おい、だんだんこっちに向かってきてないか?」

 ドラゴンは旋回しながら徐々に高度を落としている。その巨大な姿は人のちっぽけさをいやおうなしに自覚させ、畏怖で心を揺さぶってくる。


「んー? なんか背中に乗ってるニャ」

 矢倉に駆け上がったシーマが大声で知らせてくる。

 

 バサッ、バサッと広場の上空で浮かぶかのように止まったドラゴンの背中から一人の人影が飛び降りてきた。


「村長はどなたか? わが名はユーノ・ヴィゼル。いにしえの盟約に基づき帝国の後継者を守護すべく参った。アルベルト殿下にお目にかかりたい」


 白銀のホーバークを身にまとい、いつか持たせてもらった槍はそのままだった。過去の記憶と違うのは、目線の高さ。

 ああ、そうか。俺はいつの間にか師匠の背丈を追い越していたんだ。


「はっ、私がご案内いたします!」

 ドラゴンと共に現れたという衝撃はいろんな人間から思考能力を奪い去っていた。ゲオルグが直立不動で師匠の前に立ち、そのまま村長宅へと案内していく。顔が真っ赤になっていたが緊張しているのだろうか?


「アルベルト、殿下?」

 シーマのぽつりとしたつぶやきにハッと我に返る。なるほど、そりゃ今睨みあってる両陣営が血眼になるわけだ。

 継承権を争って対立する両皇子で、存在すら忘れられかけている第三皇子は局面に新たな展開を生む奇貨となりかねない。


「ってヴィゼルって名乗ったよな? よもや……?」

 コルクマーが呆然とつぶやいた。

「ああ、そういうこと、だな」

 師匠は俺に気づかずにゲオルグについて行った。今は重要な話があるようだし、後程あいさつしよう。などと考えていると、不意に脇腹をつつかれた。


「ふぉ!?」

 唐突な刺激に変な声が出る。


「ほほう。良く鍛えられておる。いにしえの勇者どももかくあったのであろうかの」

 小柄な少女が俺の隣にいて不敵な笑みを浮かべていた。

 俺に気配を察知されずに間合いにいただと?

 確かに様々な衝撃があった。怒涛の展開と言っていいくらいだ。それであっても身辺の警戒を忘れることはない、はずだった。


「なに、簡単なことよ。濃密な魔力を浴びた者は一時的に感覚が狂わされるでの。わらわはその間隙を突いただけのことよな」

 ドヤ顔でフンスと胸を張る少女。全く見覚えがない。


「あー、すまん。どちらさまで?」

 着ている服から見てもかなり高い身分で「姫」と呼ばれていてもおかしくはない様子だった。

 とりあえず、自分の可能な限りで丁寧に話しかけてみる。


「ん? ああ。わらわはリンドブルムの名を継いだものだ。風を統べる竜王とでもいえばいいかの?」

「……え?」

「ほれ、さっきまでは竜の姿でおったがの。ユーノにも言われておったのじゃ。ドラゴンの姿では人は恐れ慄くばかりになるとな。故に人の現身を取ったというわけじゃの」

「な、なるほど」

「して、おぬしがライルか。なるほどな」

「え、えーと。なにが「なるほど」なのでしょうか?」

「うむ、ユーノの弟子と聞いておる。良い目をしておるわ」

 よくわからないが気に入られたらしい。

「あ、ありがとう、ございます」

「しかしあやつに聞いていたのと違うな。まだ小さな少年と聞いておったのじゃが」

「いや、槍の鍛錬を始めて4年、村を出て6年で……」

「6年、じゃと? ああっ!」

 ドラゴンの少女は驚きの表情を浮かべ、あたふたとし始める。


「隊長! 団長たちが見えたニャ!」

 シーマの声に矢倉にあがって見渡すと、街道をこちらに向かって駆けあがってくる一隊が見えた。

「ほう、先頭を駆けるのがシーマの兄上か。あちらもよき面構えじゃの」

 梯子を上がる音もなく、ドラゴンの少女が俺の横にいる。全く気配を感じ取れなかったシーマもブワっと尻尾の毛が逆立っていた。

「……おそろしいヤツニャ」


 門番に伝令を走らせ開門させる。駆けこんできたのは騎馬のみ10名ほどだ。

 後続の兵はもう少しかかるらしい。


「どういうことだ?」

 団長は開口一番、矢倉を駆け下りた俺に尋ねてきた。

 村の様子は平穏無事とはいいがたい。外縁部の家は焼け落ち、柵もあちらこちらで破壊されていた。戦死者もまだ回収が間に合わず倒れ伏したままだ。


「夜襲が来ると確信した時点で魔道具を使用した。敵の主力が進撃を始めたところでトラブルが発生、敵は撤収した」

「ああ、ドラゴンが飛んできたんだろ? そんなことがあってもお前らが無事で、村が更地になってないのはどういうことだ?」


「それについてはわらわから話そうぞ」

「ッ!?」

「ほう、そなた魔法の心得があるようじゃな。しかもかなりの腕じゃ」

「……あなた様はいったい?」

 団長が珍しく慇懃な態度をとっている。本隊が村を覆いつくさんばかりの大きさのドラゴンだと言うなら、俺がいかに槍を振るおうと太刀打ちできないのは間違いない。あと小さな少女の外見から洩れるよくわからない威圧感を団長も感じ取ったようだ。


「わらわは当代の竜王リンドブルムじゃ。風を統べる力を父上より引き継いでおる」

 ふらりと団長がよろめいた。あまりのことにキャパオーバーを起こしたのだろう。ただの与太ならよかったのだろうが、少なくとも俺やほかの村人たちは俺は強大なドラゴンの力を目の当たりにしている。


「どうなってるんだ……」

 そんなつぶやきがとっさにその身体を支えた俺にだけ聞こえてくる。


「兄上!?」

 そして村長宅の方から歩いてきた一団から師匠の声が聞こえてきた。

「ユーノ!?」

 

 事態は収束することなくさらに混迷を深めようとしていた。救いは……今のところ命の危機がないことくらいだろうか。そんな現実逃避気味の思考が頭をよぎる程度には俺も疲れているのだと感じた。

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