邂逅

 戦場から帰り、宿に備え付けの井戸で頭から水をかぶる。泥と埃と汗と返り血が洗い流された。身に沁みついた血の臭いは……もう取れそうにない。

 宛がわれた部屋の寝台に身を横たえる。泥のようにまとわりつく疲労感に身を任せ目を閉じる。

 夢破れ、その命を散らしたヨハンとかいう傭兵に何かを刺激されたのか、その夜は懐かしい夢を見た。

 まだ世界が優しくて、光に満ちていたころの、ガキのころの夢だ。


 ド田舎の村には娯楽なんてもんはない。日々やせ細った畑を耕し、時には森に踏み入って狩りをしたり野草を摘む。

 そうしてなんとかかんとか暮らしていくんだ。

 家の手伝いが終わったガキどもは村の広場に集まって騎士様ごっこに励む。いつか冒険者になって手柄を立てて騎士になる。

 実際にそんなうまい話があるわけがないと今ならわかるが、まあ、子供だったからなあ……。


 そんなある日、俺は家の手伝いを終えて暇を持て余していたので、村の入り口に向かった。

 次に行商人が来る日を聞いておこうと思ったのだ。

 そして村の入り口の近くまで来たとき……。


「とまれ!」

 村の入り口に立つ門番がフードを被った一人の旅人を呼び止めた。


「ああ、ギルドから派遣されてきた冒険者だ。名はユーノ・ヴィゼルという」

 何やら書かれた紙を見ても番兵風情じゃ字は読めない。

「俺が行ってくるよ!」

「ああ、ライルか。すまんが頼めるか?」

「うん!」

 村長の家まで走った。村の子供の中では一番身体がでかく、腕っぷしも強い。今から思えば笑ってしまうような細腕だけども、その時はそんなちっぽけなプライドで、村の役に立つのだと張り切っていた。


「村長! ギルドから冒険者が来たって言ってる!」

「うん、そうか。案内を頼めるかい?」

 村長は少し前に代替わりをしたばかりで、俺の親父とそれほど年は変わらない。穏やかな人で、村のみんなから好かれていた。

「うん、こっちだよ!」

 

 書面を確認した村長は冒険者を名乗る女性を自宅まで案内した。依頼内容は今となってはどうということはない。ゴブリンの群れが出たので、駆除と村の警戒に当たってもらうということだ。


「人手は借りられるのか?」

「若いもんを5人ほど付けよう」

「ゴブリンの数は?」

「20体ほどと聞いておる。村人だけでも倒せんことはないんだが……」

「奴らは急に増えるからな。事情はわかった」

「頼みます」

「ああ、この槍にかけて、依頼は果たす」

 椅子に座っている間も槍を手放さない。その姿がやたらかっこよく見えた。いや、今でもそうなんだろう。あんな風になりたいって強烈にその姿が焼き付いた。俺の運命ってやつがあるのなら、あの日確かに動き始めたんだろう。


「えーっと……ユーノ様?」

「ん? 君は……?」

「ライルっていいます! お願いします。俺に……戦い方を教えてください!」

 かしこまって頭を下げる姿に、彼女はくつくつと含み笑いを漏らす。けどその笑顔は多少の苦笑いを含んでいたが、目にはなにか暖かいものがあった。


「なんで戦い方を覚えたいんだ?」

「……俺、冒険者になりたいんです!」

「冒険者ってね、そんな良いものじゃないよ?」

「え……そうなんですか?」

「うん、何日もまともにご飯が食べられないこともある。ずっと魔物に囲まれて身動き取れないこともあった。泥まみれになって沼にはまり込んで死にかけたこともある。景気のいい噂なんてね、ほとんどホラの類だよ」

「今ほとんどって言いました。じゃあ本当の話もあるってことですよね?」


 俺の勢いに飲まれたのか、少しのけぞりながらもユーノ様は答えてくれた。


「……まあ、そうだね。偶然はまり込んだ洞穴の奥に財宝があったとか。珍しい魔物と遭遇して討ち取って名を上げたとか」

「すげえ!」

「でもね、考えてほしい。冒険者を名乗る連中はね、それこそ川の砂ほどもいる。けど名声を得て冒険譚に名前を残すのは、その中でほんの一握りだ。ひとつまみでもいいかもしれないね」

「はい……」

「まあ、君はこの村で戦士になる道もあるかもしれない。だから私の技を伝えよう。先に言っておくけどね。つらいよ?」

「大丈夫です! おれ、根性には自信があります!」

「ふふ。いいねえ。じゃあ外に出ようか」

 

 ばっと立ち上がると庭先に出た。


「私の姿勢をまねして。そう、腰を落とすんだ。膝は、そうその角度で」

 真正面から見れば騎獣にまたがっているような姿勢だった。足を大きく広げ、膝を曲げる。

「ううっ……」

 慣れないとものすごくきつい体勢だった。

「じゃあ、そのまま私が良しというまで、身動き一つしちゃいけないよ」

「はいっ!」

 威勢のいい返事は最初だけだった。慣れない姿勢に体のあちこちがすぐに悲鳴を上げ始める。前に突き出した両の手は何も持っていないのにずっしりとした重みを感じで、すぐにでも真下に降ろしそうになる。

「く、くくっ、うぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……」

「うん、頑張るね。じゃあ、あと百数えたら姿勢を崩していいよ」

「へ? 俺、百とか数えられないんだけど」

「それはいけないね。冒険者が報酬を計算できなきゃすぐに素寒貧だよ」

「す、すかん?」

「文無しってことさ。じゃあ、今日は私が数えよう。いーち、にーい、さーん」

 

 初日は惨憺たる有様だった。10数える間もなくぐらぐらと姿勢が崩れ、そのまま後ろ向きに倒れ込んでしまった。


「ふうん。君くらいの歳の子にしてはよく頑張ったよ。先に言っておくけど、明日もこれをやるからね?」

「えっ……戦い方を教えてくれるんじゃ?」

「そうだよ?」

「うう、わかりました。よろしくお願いします!」

 俺のその一言にユーノ様は目を丸くした。


「ふふ、いい覚悟だ。明日からは私のことを師匠と呼ぶように。わかったかい? 弟子のライル君」

「はいっ、よろしくお願いします。師匠!」

 半ばやけくそで叫ぶと、ユーノ様……師匠はけらけらと笑いだした。


「いつになったら槍の扱いを教えてくれるんですか?」

 数日、構えだけの練習にちょっと飽きてきて思わず聞いてしまった。

「ふうん? まあ、その気持ちはわかるよ。私もそうだったからね。けど槍を持つ前に、まず準備運動が必要なのさ」


 それでも疑問が晴れない俺の表情を見て取ったのかこう言い放った。

「じゃあ私の槍を持ってみると良い」


 女の人でも持てる槍ということで、俺は完全に油断していた。柄の部分は木でできている。持ち手には滑り止めの革がまかれていた。そして……穂先はギラリとした輝きで、家に置いてある調理用のナイフと違った、武器としての美しさがあった。

 そして……その槍は子供の手にはあまりに重く、持つだけで精いっぱいだった。


「構えてみて。こう」

 先ほどの中腰の構えになって槍を構える……ことさえできず穂先を支えきれなくて前にバランスを崩した。

「ふふ、だから言っただろう? 君はまだ準備が足りてないとね。槍を構える事さえできないものが振るうことなんてできるはずがないだろう?」

「……はい」

 自分の至らなさに顔から火が出る思いだった。

 これからひと月の間、基本の構えを学び、何とか槍を構えられるだけの力が付いた。

 

「槍の基本は突きだ。振り回して薙ぎ払うようなことは戦場ではほとんどない」

「はいっ!」

 枝を払って槍の長さにあつらえた練習用の棒を構える。

「基本の動きはこう。受け」

 右回しに穂先を振る。自分の身体の正面側に向けて突き込みを弾く。

「払い」

 同じく突きを背中側に弾く。

「突き」

 中段に構えた槍を真正面に向けて突く。


「突き三割、引き七割のちから加減を忘れないように。なぜだかわかるかい?」

「え……わかりません」

「ははっ、それはそうだ。むしろわかったら怖かったね」

 何やら笑い出すユーノ師匠に少しむくれて不満の意を示す。


「突きの勢いが強すぎると相手の身体に必要以上深く刺さる。そうなると抜けなくなって武器を失うことになるからだよ」

 その言葉に、初めて握った槍の穂先を思い出した。ギラリと鈍く光るその有様は、料理用のナイフよりも鋭く、薪を割る鉈よりも重かった。

 そう、鎧を着ていない自分の胸など簡単に突き通すだろう。武器とは相手の命を奪うものだといやおうなしに理解させられた。


「うん、わかったようだね。武器は使い方を知らないものが振るえば他人のみならず自分すら傷つける。初陣の冒険者が振るった剣が最初に斬り裂いたのは自分の脚だったっていうのもあながち笑い話じゃない」

 そのころには、戦いの技の難しさと、冒険者と言うものが甘くないことは身に染みて理解していた。

 そうして、さらにひと月。村での依頼をすべて終えた師匠は、ひらりと手を振って村を後にした。


「私はね、竜騎士になりたいんだ。ドラゴンの力を手に入れれば……奪われたものを取り返せるかもしれないからね」

 その言葉は俺の未来を決した。竜騎士とはよくわからないけれど、師匠のように困った人を助けられるようになりたい。身近な人を守る力がほしい。そう強く、焼き付いた。

 それから毎日、俺は暇があれば槍の練習をしていた。構えは今なら何時間でもしていられる。

「受け、払い、突き。受け、払い、突き」

 毎日のように握りしめた棒切れは手の形にすり減り、破れた血豆から染みついた血が赤黒くこびりつく。

 そして村で成人と認められる16になると、ずっと振るい続けてきた棒切れを手に村を出た。

 あのあと音信の途絶えた師匠の後を追って竜を探しに当てもない旅に出たのだ。

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