31話 タネをめぐる交渉とマンダネの涙

 僕がトラックによって轢き殺された時とソフィアに剣で切られた時に現れた白い空間。


 まるで宇宙に浮かんでいるような感覚に懐かしさを覚えてしまう自分がいる。


「誠司くん!」

「この声は……理のカケラさん!」

「うんうん!よく覚えているわね!」

「僕を守ってくれましたよね?結局、ワニに噛まれましたけど……」

「あはは……根に持ってるのかな?」

「いいえ。ラケルちゃんが助かったので、嬉しいです!」

「ふふ、誠司くんは、とってもいい子ね。マンダネちゃんが誠司くんの子をみごもってる姿を想像するとニヤニヤが止まらない!」

「僕の子って……」

「誠司くんはよくやっている。彼女たちの心の穴を誠司くんならきっと埋めることができる」

「……」


 理のカケラさんの言葉を聞いて安心するが、一方でラケルのことが心配で顔に影が差す。


「どうしたの?」

「ラケルちゃんのことで……」

「心配しなくてもいいの。私はラケルちゃんを殺さない」

「私?」

「うん。私はラケルちゃんを殺さない」

「あなたはガイアですか?」

「どうなんでしょうね。人間が勝手につけた名前ではあるけど、そのガイアという存在が私なのかどうかはわからない」

「……」

「でも、一つ確かなのは、私はエリックをとても愛していて、エリックはあの3人の姫たちを幸せにできる唯一無二の存在であること」

「僕なんかができるんでしょうかね……僕、ラケルを助けようとした時、とても怖かったです」

「人間はもともと恐怖の奴隷なの」

「……」

「でも安心して。誠司くんには私がついている。これまで、よからぬことを企んでいる輩が1250回ほど誠司くんとソフィアちゃんとマンダネちゃんを暗殺しようとしてたけど、私が全部防いだの」

「ものすごい数だ……」

「だから誠司くんはやるべきことをしなさい」

「やるべきこと……」

「マンダネちゃんは優しいけど、繊細な子なの。だから、誠司くんが溢れんばかりの愛情を注いであげてね」

「……はい!」

「よろしい!それじゃ、異世界に戻りなさい。みんな、誠司くんを必要としているから。セーラちゃんもソフィアちゃんもマンダネちゃんも、そしてルビアちゃんもね」

「僕が、必要……」


 そうつぶやいていると、理のカケラさんは、優しく微笑む。もちろん、ここは真っ白な空間だから、視覚的に理のカケラさんの存在を確かめることはできない。けれど、僕を優しく包み込んで、確かに微笑んでいる。この矛盾した感覚に安らぎを感じていると、だんだんと視界が暗くなり、僕はまた意識を失った。


「私の誠司くん……私の祝福……私の希望……」



X X X


 僕は小屋の中で横になっているはずだが、体はとても暖かくて雨の音も聞こえない。ふっくら感のある羽毛布団の中で僕は目が覚めた。


 ここは王宮の中だ。僕が意識を失っている間に、誰かが運んでくれたのかな。と、いろんなシチュエーションを考えていると、横にいるセーラが涙を流して僕を切なく見つめていた。。


「エリック様……エリック様!!」

「セーラちゃん!?」

「ひく……1週間もずっと寝ておられたので、心配してました!」

「大丈夫。僕は元気だよ」


 飛び込んできたセーラに僕は安堵し、よちよちと頭を丁寧に撫でてあげた。すると、他の人の視線が感じられた。僕がなんぞやと、その人に目を見遣れば青色の髪をした絶世の美人剣士が目を潤ませて僕を見ていた。


「セーラ……病み上がりの人にくっ付いたら、だめだ……ううう……」

「ソフィアちゃんもおいで!」

「……エリック……エリック!」


 僕たち3人は1週間もの間、甘々な時間を過ごせなかったことを全部埋め合わせるように、お互いを強く抱きしめ合った。

 

 ソフィアの話だと、大雨はとっくに止んで、王宮の人たちが臨機応変に橋を修復し、僕とマンダネとラケルを救出してくれたという。しかし、小麦のタネが全て洗い流されてしまい、国外の商人たちを招き入れて小麦のタネを購入するために交渉中らしい。だけど、エルニア王国の財政はかなり厳しい。なので難航しているとのことだ。


 マンダネは、僕を必要としている。だから、僕がマンダネの力にならなければならない。


 そう思い、僕は体を洗って食事と取り、ソフィアと共に、早速、小麦の種をめぐり交渉が行われているエルニア王宮の大会議室へとやってきた。



X X X



「(商人1)エルニア王国単独の約束手形だけだとかなり厳しいです。陛下がお望みであるならば、アンティオキア商会の副会長である私がイラス王国に赴いて保証人になってくれそうな人を探します!」

「(イサク)イラス王国とは断交状態です……それに時間的にかなり厳しいから、そこをなんとか……」

「(商人2)現在、エルニア王国の畑は大洪水により甚大な被害を被りました。なので、種を蒔いても、大量の小麦が収穫できるのかどうかもかなり怪しいです。ヘネシス王国のお墨付きがあれば、今すぐにでも種の用意はできますが……」

「(マンダネ)もうヘネシス王国の力を借りることはできません。条件が気に入らないなら、エルニア王室約束手形の額面価格の引き上げも考えていますよ!」

「(商人3)マンダネ姫殿下……御言葉ですが、金額が重要なわけではございません。あくまで回収の見込みが……」

「(マンダネ)……」


 パン!(扉が開く音)


 ものすごい勢いで開け放たれた扉。その中には、国外からやってきた商人たち、エルニア王国の国王陛下、マンダネ、イサクさん、他の官僚たちが座って交渉中である。だが、エルニア王国側の人たちの表情は例外なく暗い。


「え!?エリックとソフィア!?」


 商人たちに訴えかけていたマンダネが僕たち二人の存在に気が付き、目を丸くする。そして、商人側の二人がびっくり仰天し、急に立ち上がった。


「ソフィア姫殿下ではありませんか!ここにいらっしゃるマンダネ姫殿下と並んでオリエント大陸の3大美女と言われるそのお美しい美貌。間違いありません!久方ぶりでございます!」

「コンスタンティノープル商会のマイヤー会長!会うのは三年ぶりかな?」

「そうでございます。見ない間に、もっと美しくなりましたね!その美麗なお顔はハルケギニア王国の誇りでございます!」

「マイヤー会長も三年前と比べてもっと若く見えるな」

「あはは!これも全てオルビス湖のおかげでございます!」


 緊張が走っていたこの大会議室はいつしか弛緩した空気が流れ込み、王国側と商人側は表情を緩む。


 だが、


「エリック王太子陛下……」

「アンティオキア商会副会長のベルン侯爵……」


 彼は僕の顔を見た途端に、震え上がり、僕の前にひれ伏した。エルニア王宮側も商会側もなんぞやと首を傾げて土下座しているベルン侯爵を見ている。


「はい。イラス王国の次期王であられるエリック王太子殿下のしもべのベルンでございます。王太子殿下、この取るに足りない塵芥のような私をお許しください。私はあなたに罪を犯しました」


 現在、我が国とエルニア王国は断交状態だ。アンティオキア商会は我が国に拠点を置き、持分の100%を僕が持っている。なのに、無断で敵国にやってきては交渉を進めている。おそらく、昔のエリックなら、首が飛ぶような案件だ。


 ベルン侯爵は恐怖を感じている。周りの人たちも、僕の本当の存在に気がつき恐れ慄いていた。


「顔を上げてください」

「……」

「なぜベルン侯爵がここにいるのか、僕に包み隠さず全部言いなさい」


 深刻な表情を浮かべているベルン侯爵だが、やがて諦念めいた面持ちで言葉を紡ぐ。


「エルニア王国と断交する前に、私はここエルニア王国の方々によくしていただきました。エルニア王国の方々は王族貴族平民関係なくみんな親切で、そんな温かい心遣いに感銘を受け、断交した後も連絡を交わしてきました。そして偶然、砂鉄関連で用事がございまして、ハルケギニア王国に滞在していたところ、エルニア王国が大洪水による甚大な被害を受けたと聞いて、居ても立っても居られなくて……」

「なるほど。そういうことだったんですか……」

「……」


 ベルン侯爵は唇を噛み締めながら、目を潤ませていた。爵位を剥奪され、家族まで皆殺しにされるかもしれない。叛逆はんぎゃくを企てたとして、彼の一族の記録が抹消されるかもしれない。そんな不安を感じているのだろう。

 

 僕は、ここでエルニア王国の人々と一緒に農作業をした。過酷な作業だったが、ベルン侯爵が言わんとすることは痛いほどわかる。


 なので僕は


「ベルン侯爵」

「はい……」

「種代はどれくらいになると思いますか?」

「え?そ、その……イラス王国の金貨1万枚ほどかと」







「今すぐ小切手を用意しなさい。その金貨一万枚は僕が払いますから。そしてこの旅が終われば、ベルン侯爵をアンティオキア商会の会長に据えましょう」







「「ええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」」



 



 大会議室が崩れるんじゃないかと思わせるほどの声に僕は一瞬ビクッとなったが、居住まいを正し、マンダネに向かって優しく語りかける。


「マンダネ」

「は、はい!」

「大洪水によって、畑はより肥沃な土地になったと思うよ。だから、豊作になって小麦がたくさん穫れたら、我が国に全体の10分の1を分けてほしい。エルニア王国の方々が汗水流して育てた新鮮な小麦を使ったパンを食べたいんだ。もしこれが金貨1万枚で叶うなら、安上がりだよ!」


 僕は笑顔を湛えて、マンダネに提案した。


 マンダネはその美しいエメラルド色の瞳を潤ませながら、横にいる国王陛下を見る。それから確信に満ちた表情で、僕に向かって言葉を放った。






「はい!その提案を受け入れます!」


 明るい表情のマンダネ。その柔らかい頬を伝う涙は、宝石そのものだった。







追記



 次回における注意事項


 砂糖は控えめに




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