14話 見返りと傷の価値

 物々しい雰囲気に包まれた道場。僕は唾を飲み込んで返事をする。


「これは一体……」

 

 ソフィアは悲しむ表情をし、頭を下げたまま、黙りこくっている。


「王太子殿、我が娘は、あなたに対して罪を犯しました」

「はい?」

「王太子殿は我がハルケギニア王国と我が娘ソフィアとの関係を回復するために、高貴な身分でありながら、下級貴族の姿で来てくださいましたが、ソフィアは、私情を挟み、あなたに深い傷を負わせました」

「そ、それは……」

「オリエント大陸における最強騎士との称号をもつ我が娘は、剣術のことを知らないあなたに深い気を負わせました。イラス王国における唯一の王位継承者であるあなたに!我が王国の経済の根幹を支えるシャインストーンを供給してくれるイラス王国の次期王様に!」


 王はとても悔しそうに拳を握り締め、目を瞑って唇も噛み締めた。王妃は自分の夫である王と、身柄が拘束されている自分の娘ソフィアを交互に見て悲嘆にくれている。


 僕はというと、咆哮ほうこうする王の姿に圧倒されてしまい、言葉が口から出なかった。


「王太子殿……」

「は、はい」

「オリエント大陸の国々はハンムラビ法典の原則に従っています」

「そ、そうですね」

「その法典でもっとも重要な法理をご存じですか?」

「……目には目、歯には歯」


 イラス王国におけるもっとも偉大なる王であるハンムラビ大王が書き記したとされるハンムラビ法典。あまりにも合理的な法典であるため、オリエント大陸の国々の司法システムはこのハンブラビ法典の法理を採用している。


 目には目、歯には歯


 もしAがBを傷つけた場合、そのBもAを傷つけられる権利を有する、あるいはそれに準ずる対価をAはBに払わないといけない。


 ソフィアの前には僕の血のついた剣が置かれているから、それが何を意味するのかは言わなくてもわかるだろう。


「この件において、王太子殿に落ち度はありません。ですので、今日をもってソフィアを騎士団長から解任させ、最強剣士という称号を剥奪します。そして……」


 王は、一旦区切り、深呼吸をしてから剣を指差し、深刻そうな顔で続ける。







「そこの剣を使って我が娘にも同じ目にあってもらいます」

「ん!」


 うちなる自分が「もういいだろ!そこまでしなくでもいいじゃん!早くあの王を止めろ!」と叫んでいる。


 けれど、僕は彼を止めることはできない。

 

 なんの対価なしにソフィアを許すと、偉大なるハンムラビ大王とハンムラビ法典に泥を塗りつけることになってしまうのだ。


 そんなことをイラス王国の次期王である僕が言ってしまったら、何もかもが台無しだ。


 イラス王国の威厳を保ちながらソフィアを助ける方法。


 早く考えないといけない。


 じゃないと


「親衛隊長は我が娘の体を抑えろ!」

「は!」


 王の命令を聞いた親衛隊長は、悲壮感漂う面持ちで縄で縛られているソフィアの体を強く抑えた。そして、彼女の上着をめくりあげ、象牙色のお腹が見えるようにした。それを確認した王は、落ちている剣を拾い上げ、それを自分の娘に向ける。


 ソフィアは、僕を見ることなく、諦念めいた表情で目を瞑る。おそらく、自分のお父さんの一撃を受け入れるつもりなのだろう。


 考えろ


 何かいい方法はないか知恵を振り絞って考えるんだ!


 お医者さんから聞いた話だが、男性ではなく、女性が僕みたいな傷を負ったら、下手したら出血過多でショック死に至ることもあるらしい。


 もしかしたら、ソフィアは……


 そんな不安な考えが止まらず、足が震えた。


 戦争が起こることを未然に防がないといけないのに……この異世界に平和をもたらさないといけないのに……



 いや、違う。


 そうじゃない。


 僕はそんな偉業を成し遂げるよりは




 ただ単に








 可愛いソフィアの笑顔が見たい。


 不器用で感情表現が苦手だけど、抱きしめた時、手を握った時の反応はとてもウブで愛くるしいソフィア。


 みんなが知っている凛とした騎士団長としてのソフィアもいいけど、一人の女の子としてのソフィアの素顔が見たい。





 ソフィアというひとを知りたい。







 先達が築き上げてきた知識や遺産も大事だが、それらを遥に凌駕りょうがするこの気持ちは誰も止められない。


 体面とか威厳は取るに足りぬもの。


 男である僕が女であるソフィアを幸せにさせたい。




「これより、ハンムラビ法典による刑を執行する!」


 王も王妃も親衛隊長もセーラもサフィナさんもとてもとても切ない表情をしている中、僕は鶴の一声のように言葉を発した。









「国王陛下、直ちにその剣を置いてください。なぜそんな虚しいことをしようとするんですか?」

「っ!?」


 みんなが沈黙する中、僕の声はこの場にいる全員の耳に届いた。王は自分の手の動きを止め、ぽかんと口を開いている。もちろん王妃もセーラもサフィナさんも同じである。ソフィアはというと、戸惑い気味に僕を見上げた。


「そんなことをしたら、ソフィア嬢の綺麗な肌に傷がつきます。あんな可憐な女の子にそんな物騒なものは近づけないでください」

「い、いや……でも……この子は……」


 王はやるせない表情を僕に見せた。当然、自分の大切な娘を傷つけたくない。けれど、律法を破るのは王としてあるまじき行為。親心と王としての威厳。この二つの存在にさいなまれるような面持ち。


 その絶望から彼ら彼女らを助ける方法はただ一つ。


「ソフィア嬢を僕と同じ目に合わせない。だけど、その代わりにソフィアちゃんには見返りを要求します!」


 見返りという言葉を聞くや否や、王と王妃の顔色が急に悪くなってしまった。おそらく昔のエリックだったら、性的快楽を得るために、ひどいことを求めて来るのだろう。あの夫婦はエリックという男に対して、暴君に似たようなイメージを持っているはずだ。


 だから、その固定観念をぶっ潰してやる。エリックという男は、僕は、ここで生まれ変わるのだ。





「何を……要求するおつもりですか?」





「見返りとして僕は、とっても可愛いソフィアちゃんに笑顔を要求します!」


 にっこりと微笑みを湛える僕の言葉は、殺伐とした雰囲気を一変させた。そんな中、王妃が口を開く。


「エリック殿……どういう意味ですか?」

「魅力的なソフィアちゃんの笑顔が僕の負った傷と同じ価値を持っている、という意味です」

「……」


 僕の顔を見て王妃はクリスタルのような涙を流した。そして、腰が抜けたのか、そのまま倒れ込んでしまう。


「エリック様……」

「ふふ」


 さっきまで表情筋の硬直を見せていたセーラはいつしか、頬を緩ませ、僕に笑みを送っていた。僕はセーラのブラウン色の頭をひと撫でふた撫でしてから、ゆっくりとした足取りでソフィアのところへと移動する。


 彼女の海より深い青色の瞳は波打つように形を変えてゆく。おそらく涙を堪えているのだろう。


 けれど、そんな強気なところも好きだけど、僕は、女の子としてのソフィアが見たいんだよ。君の甘える姿を目に焼き付けたい。


 気が付くと、僕はソフィアの目の前に立っていた。


「親衛隊長さん」

「は、はい!」

「ソフィア嬢の手首を縛っている縄を直ちに解いてください。僕はそれをあなたに要求する権利があります」

「……」


 親衛隊長さんは王に目配せして許可をもらってから言う。


「わ、分かりました!」


 すると、今までソフィアを抑えていた親衛隊長さんは、縄を護衛用ナイフで切り落とし、スッと彼女から離れた。


 そして僕は腰をかがめて、






 ソフィアを抱きしめてあげた。





「仲直りしよう」




「うん……する……するよ」

「ふふ、やった!」




「……う……うえええええええ!!私が悪かった!エリックは本気だったのに……私、エリックを試すようなことばかりやって……挙句のはてに、エリックにひどいことを……うううう……ひく」

「いいよ。ソフィアちゃんに僕の気持ちが伝わって嬉しい」

「エリック……」


 ソフィアはしばらくの間、号泣してから、より僕の体に隠れるように自分の体を擦り付けてきた。その甘える姿があまりにも可愛かったので、僕はもっとソフィアをぎゅっと抱きしめて、うなじと後ろ髪を優しく撫でてあげた。


「ソフィアちゃん」

「うん?」

「明日からは休日だよね?」

「う、うん。そうだけど……ひく」

「僕とデートしよう。二人きりでね」

「……エリックが望むなら私、する……」

「僕はソフィアちゃんが望まないならデートしない。君の自由意志に基づく本音を言ってくれ」

「私……私……エリックとデートしたい。エリックと二人きりでデートしたいの。これが、私の自由意志」

「言ってくれてありがとう」

「エリック……」


 僕の名前を口に出すソフィアの顔は、ひとことで表現すると無茶苦茶だ。


 目元はとっくに赤くなっており、長いまつ毛はびしょ濡れだ。あと、頬は火照っていて桜を彷彿とさせる。


 けれど、彼女は



 明るく笑っている




「ま、まさか、我が娘があんな顔を見せるなんて……親衛隊長、これは夢なのか?」

「い、いいえ……私も夢だと信じたいところですが、これは紛れもなく現実でございます」

「……サフィナ」

「はい!陛下」

「お前はずっと昔から我が娘を見てきた。だから問おう。ソフィアのあんな顔、見たことあるか?」

「ございません!」


 となりで誰かが喋っているようだが、今はソフィアのあまりの可愛さに内容が全然耳に入らない。


 あ、大事な娘さんのお時間を頂戴するわけだから、許可を取らないと。


 ソフィアが自分の頭を僕の胸にグリグリと擦り付けるが、僕はなんとか視線をソフィアのご両親のところに向け口を開く。


「あの、明日、ソフィア嬢と一緒に出かけたいんですけど、大丈夫ですか?」

「……それは」

「もちろんですとも!エリック殿!私の娘とどうか楽しい時間をお過ごしください」

「い、いや、お前……」

「あんた、空気読みなさい!」

「うう……わかった」


 二人は何か口争いでもしているみたいだが、とりあえずご両親からの許可は降りた。


「エリック……」

「うん?どうした?」

「……頭……」 

「頭?」

「なでなで……」

「あはは……わかった」


 丸く収まって何よりだ。





追記



 これからはソフィアちゃんの甘々な姿をいっぱい書いていきます!


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