12話 ソフィアは彼をエリックと呼ぶ

 日が昇り、朝となった。僕は今日の夕方、ソフィアと剣で戦うことになっている。だが、勝てる可能性はゼロに近い。昔のエリックは、人に暴言を吐くことにおいては優れた才能を持っていたが、剣術や武術にはあまり興味を示しておらず、剣の握り方も分かっていない。もちろん、日本でモンスタークレーマーを捌いていた頃の僕も、剣道や空手といったスポーツは嗜んでおらず、要するに超ピンチ。キャンプ部だったからアウトドアには詳しいんだが……

 

「エリック様……大丈夫ですか?」

「あ、ああ……僕が平気だよ。あはは……」

「口は笑ってますけど、目は全然笑ってません!」


 王宮メイド(サフィナ)さんが持ってきてくれた朝ごはんをお馴染みの貴賓室で食べていたが、味が全然感じられない。

 

 その様子を不思議に思ったのか、ワゴンを引きながらここから去ろうとするサフィナさんが小首を傾げて話をかけてきた。


「どうかされましたか?お顔の色がすぐれないようですが」

「あはは……僕は全然大丈夫ですよ!食事もとても美味しいし、下級貴族である僕なんかにこんなに色々と恵んでくださって……むしろ感無量と言いますが……」


 サフィナさんは慌てふためく僕の顔をじっと見つめては、考え考えしている。紫色の髪と整った目鼻立ちが印象的で、宝石のように透き通る紫色の瞳は僕の心を読んでいるかのようであった。


「そう緊張なさらないでください。ソフィア様がどんなおつもりでエリックさんに勝負を挑んだのかはわかりませんが、エリックさんは優しいお方なのできっといい勝負になると思いますよ」

「え?サフィナさん……知ってましたか?」

「ええ。今朝、審判を務めてほしいとソフィア様に言われたので」

「あ……そうなんですね……」


 全部知っていたのか……


「え?勝負?エリック様?勝負ってどういうことですか?」


 話の流れを全く理解していないセーラが前のめり気味に上半身を僕の方へ乗り上げてくる。


「後で、説明する……」


 今はサフィナさんがいるから言えないので、目を見開いて僕に問うセーラの頭を撫で撫でして落ち着かせた。


 本当に、先が思いやられるな……


 朝食を済ませた僕は、セーラにことの顛末を全て説明した。もちろん、僕の話を聞いたセーラはものすごく不安がっていた。だけど、僕は「なにがあっても仲直りしてみせるから」と言ってセーラを勇気付けた。ただ、僕は怖い。しかしここで僕が弱る姿を見せるわけにはいかなかった。


 はやる気持ちをなんとか抑えながら、どのような戦術がいいのか頭を振り絞って考えた。が、オリエント大陸における最強剣士である彼女に勝てる作戦なんか思いつくはずもなく、気がつけば夕方になっていた。


 セーラと一緒に道場にやってきた時には、サフィナさんとソフィアが既にいて、僕たちを待っていた。


「逃げずにやってきたのか」

「……」

「お気に入りの剣を選べ。どっちも私がつけているものと同レベルの優れものだ」


 ソフィアは俺の前の床を指差した。そこには剣が数本置かれており、どれも本物の剣だ。僕は適当に軽そうな物を持ち上げて素振りをする。


「こんなので試合をしたら……やっぱりこんなのは危ない……」

怖気おじけついたのか?」

「……」

「やっぱり貴様は、口ばかりの男だな」

「いや……やる!」

「ん……」

「でも、一つだけ言わせてくれ」

「なんだ?」

「ソフィアちゃんは最強剣士だから余計なお世話なのかも知れないが、僕は、君と戦いたくない。君を傷つけたくないんだ。綺麗な女の子とこんな物騒なもので一戦交えるなんて……」

「ん!また余計なことを……」


 僕の訴えにソフィアは不快感を示す。


「あれ?ソフィアちゃん?ん?」

「……」


 道場の真ん中に立っているサフィナさんが首を捻って僕らのやりとりを訝しんでいる。セーラは、僕たちの正体がバレるのではないかとぶるぶる身震いしていた。


 僕はため息をついてから、ソフィアが立っている試合場の反対側にやってきた。


 ソフィアは鎧系の武具をつけていない。動きやすいドレス姿で僕を睨んでいるだけ。そのことに違和感を感じた僕は話しかける。


「何もつけなくてもいいのか?」

「貴様のことだけ気にしろ」


 ちなみに僕は王宮メイドのサフィナさんが事前に鍛錬用に防具を用意してくれたのでそれをつけている。でも、相手はプロの中のプロ。ソフィアはこの試合を通して一体何を確かめようとしているのか。


 正直な話、ソフィアがここで僕を殺すというシチュエーションはあり得る。そのことを考えると肌がそばだつが、「絶対暗殺されない加護」が僕の背中を押してくれていた。


 だから僕はソフィアを信じる。もちろん、勝負には勝てないと思うが、試合の中で僕は何かを彼女に示さないといけない。


 そんなことを考えながら僕とソフィアは向かい合って、剣をお互いに向ける。


「始め!!」


 試合開始を知らせるサフィナさんの声が鳴り響くとほぼ同時にソフィアが僕に接近してきた。そして、柄頭を使い、僕の腹部を打ち、突き飛ばす。


「あ!」


 衝撃をもろにうけた僕は数メートル飛ばされてしまった。


 華奢で綺麗な女の子らしからぬ強さ。そのギャップに僕は気圧けおされていた。だけど、このまま何もせずに敗北を認めてしまったら何もかもが台無しだ。


 なので、僕は力を振り絞って起き上がる。


「やっぱり……ソフィアちゃんは強いね……」

「ふん……今度はチャンスを与えよう。防御に専念するからかかってこい」

「……」


 僕は行きたくなかった。もちろん、僕の攻撃なんかソフィアは全部かわし切るに違いない。それ以前に僕に敵意をむき出しにし、怒っているサフィナちゃんと戦うことはしたくない。


 だけど、今は試合中だ。やるしかない。そう思って、僕は重たい足をなんとか動かして、ソフィアに飛びかかった。


 ガキィィィィィンッ!と、二つの金属がぶつかり合う音が耳を強く打つ。おそらく、今の僕は、とても悲しい表情を浮かべているのだろう。


 僕の予想通り、ソフィアは僕の攻撃を軽く跳ね除けて見せた。きっと僕の無様な姿を見て嘲笑っているのだろう。


 こんな調子だと仲直りなんかできない。だけど、ソフィアを大切にしていきたい気持ちは消えずにいる。


 僕は物憂気な表情のまま顔を上げてソフィアの顔を確かめた。だが、僕の予想とは裏腹に、ソフィアは目を思いっきりカッと開き、動揺の色を見せていた。


「貴様……さっきの攻撃は一体なんなんだ!?」

「え?さっきの攻撃?」

「卑怯に陰湿に小細工を弄して私を攻めると思ったのに……」

「ん?」





「悪意がこれっぽちも感じられないじゃないか!!!!!!!!!!」


 彼女は頬を赤らめて声の限りに叫んだ。


「……言っただろ。ソフィアちゃんを大切にしていきたいって……」

「こんなの嘘……嘘に決まってる!貴様!許さん!その分厚い仮面を全部ぶっ壊してやる!!!!」

「え?おい!ちょっと!ソフィアちゃん!?」


 目を潤ませた彼女は、僕を一方的に打ちのめした。僕が起き上がったら、蹴りを入れたり、また起き上がったら、柄頭を使い、みぞおちを打撃する。だけど僕はめげずにまた起き上がった。鍛錬用防具をつけているが、彼女の圧倒的な力の前では無用の長物だ。


 ソフィアは苦しむ僕にまたかかってこいと挑発し、僕はまた彼女を攻撃する。けれど、ソフィアを傷つけたくない気持ちが剣を通じて、彼女に伝わるたびに、また激昂し、僕をコテンパンにする。


「……」

「貴様!いい加減にしろ!早く本性を現せ!」

「これで気が済んだのかい?」

「ん!うるさい……うるさいうるさいうるさい!!!!!」

「なんでそんなに怒っているんだ?綺麗な顔が台無しだろ?」

「うるさい!!!!!!!」


 横になったままの僕にソフィアが甲高い声を出す。


「ソフィア様がこんなに取り乱されるなんて……エリックさん、やっぱりこの試合は一旦中止……」

「いいえ、大丈夫です」

「でも……」






「これは僕が通らないといけない道です」





「……わかりました。殿


 セーラも心配そうに僕を見つめるが、僕は笑顔を湛え、手を振ってあげた。


 そして、僕は再び立ち上がる。全身が痛いが、不思議と体は羽のように軽かった。


「ソフィアちゃん……」

「まだ戦う気か!」

「言っただろ?僕、ソフィアちゃんと戦いたくないって」

「……じゃ、なんでずっと起き上がるんだ?」

「ずっと言ってるじゃないか。君と仲直りがしたいって」

「……もう手加減なんかしない。場合によっては貴様は深い傷を負うかもしれない……だから、早く降伏しろ」

「それは怖いな……けれど、降参はしないよ」

「もうどうなっても分からないから!」


 ソフィアは今にも泣きそうに目をうるうるさせながら僕のいるところにやってくる。


 僕はそんな彼女に向かって、手に持っている剣を捨て、防具も捨て

 

 両手を広げた。


「貴様!何バカな事を!ん!!!」


 そして、







 僕は走ってきた彼女を抱きしめた。



 それと同時に僕の脇腹から血が流れる。





「エリック!!!」

「ソフィアちゃん……やっと名前で呼んでくれたね」








追記




血を流す主人公くん……


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