第3話



 ツクモンは人間の娯楽にも興味津々でした。

 もし暇があれば遊園地に行ってみたい、そう平太郎に駄々をこねるのです。


 子どもみたいだとあきれながらも、平太郎とて満更ではありませんでした。

 バイトが休みの日を見計らってチケットを確保しておいたのですから。

 平日のテーマパークは閑散かんさんとしており、どのアトラクションも乗り放題でした。



「平太郎、これ楽しいですね」

「自販機がコーヒーカップ遊具に乗るなんて前代未聞だな」



 無邪気なツクモンの笑顔を見ていると、平太郎もついビデオカメラを出して撮影せざるを得ません。本当はかけがいのない余暇よかを誰かと共有する方が大切なのですけれど。


 ただ、一つだけ気になることがありました。

 平太郎が何気なく園内の自販機で買い物をした時、ツクモンが怒り出したのです。



「それって、大童だいどうの自販機じゃありませんか。ちゃんと夕日飲料の販売機で買って下さい」

「えっ? なんで?」

「私は夕日飲料の工場で作られました。あの会社は私の父親みたいなものなんです」

「いいだろ、一本ぐらい」

「良くありません! 夕日飲料は最近資金繰りが苦しいんですから。私がこんなサービスをしているのだって、会社の利益に貢献こうけんする為なんですからね」

「へえ? 俺と仲良くしていたって自販機の売り上げは変わらないだろう?」



 そこでツクモンは我に返り、深く頭を下げて謝りました。



「失言でした。どうか忘れて下さい、旦那さま。せっかくの休日につまらない事を、大変失礼いたしました」

「なんでいきなり他人行儀になるの」



 近頃は互いを名前で呼ぶようになって、すっかり聞かなくなった単語「旦那さま」それがまたもツクモンの口からこぼれたことには違和感しかありませんでした。


 結局、ラストの観覧車に乗るまでどこかツクモンは浮かない表情だったのです。

 それでもゴンドラが高所に登り窓から夜景を眺める段になると、彼女は笑顔を取り戻しました。



「最高ですね、夜の海に宝石箱をぶちまけたみたい」

「あの明かり一つ一つの下に家庭があるんだよな。昔は何とも思わなかったけれど、ツクモンと一緒ならなんとなく判るよ、そのとうとさが」



 いつしか二人は良いムードです。

 勇気をもって平太郎は隣に座るツクモンの手を握りしめたのです。

 彼女は少し驚いたように身を震わせましたが、やがて微笑して桃色の唇を差し出したのです。


 それが初めてのキスでした。

 口づけはジュースのように甘く、炭酸の味がしました。

 

 そして恋する男女は、夜明けまでアパートに帰りませんでした。

 なんせ、外泊のチャンスなんてその晩にしかなかったのです。


 サービス終了の期限、一ヶ月はすぐそこまで迫っていました。












 約束の日、平太郎が目を覚ますと部屋がほんの少し寒々しく感じられました。


 味噌汁の匂いもなし、お早うの挨拶あいさつもなし。

 置手紙すら無し。ないない尽くしで、ツクモンは消えてしまいました。


 ―― なんだよ、無愛想だな。身も心もつながったと信じていたのに。サービス期間が終わったらハイさよならかい。もういいよ、アイツの甘ったるい料理よりコンビニ弁当の方がずっと美味いからさ。


 強がった所で、胸にぽっかりと空いた風穴はふさがりません。

 気が付くと平太郎はツクモンが愛用していた座布団に顔を押し付け、彼女の残り香を胸いっぱい吸い込んでいたのです。


 ―― なにやってんだよ? 変態かよ!? みっともねぇ、俺。


 頭ではそう思ってもやめられません。匂いをいで蘇るのは、甘いキスと全身に刻まれた痺れるような快楽。そして美しい思い出の数々です。


 ―― くそ、くそっ! クソォオ! もう一回だ! もう一回あの自販機で当てたら良いんだろ!


 当初の余裕はどこへやら。

 もうすっかり平太郎はツクモンのとりこでした。


 財布をつかむと鍵すらかけずに自宅を飛び出し、例の場所へ急行したのです。



「おい、来たぞ。また当たりを出してくれるよな?」



 話しかけても返答はありません。

 自動販売機なのですから当然です。

 こうなると全てが自分の妄想だったのではないかと疑わしくなってきます。


 それでも疑念を振り切って平太郎はコインを投入したのです。


 ですが当たりません。

 何度やってもルーレットはまるでそろわないのです。



「おい! なんでだよ!? もう俺と暮らすのは嫌だってのか! 何とか言え」



 怒鳴りつけるとルーレットの小窓に四桁の数字が表示されました。


『1543』


 脳裏に浮かんだのは日本史のごろ合わせです。

 以後予算で作ります。1543年、鉄砲伝来。

 ツクモンの言いたいことは明らかでした。


 金を出せ……と。



「わかったよ! 全財産をつぎ込んでやる! それで夕日飲料も安泰あんたいってか! お前が満足なら最後まで付き合ってやらぁ!」



 喪失感に脳を焼かれていたのです。

 通りすがりの人がヒソヒソ陰口かげぐちを叩いているのにも気付きませんでした。


 それから毎日、平太郎は自販機の元へ通いつめコインを投入し続けたのです。

 風の日も、雨の日も。


 そして、とうとうフリーターのつたない貯金額も底をつく時がきたのです。



「なんでだよ! 俺はこんなにもお前を思っているのに。お前はどうしてこうも冷たいんだ? あの思い出は全部うそっぱちだったのか?」



 時刻は黄昏たそがれ時。

 夕闇の中で平太郎がメソメソ泣いていると、いつの間に現れたのか人間離れした長身の男がコチラを見つめているではありませんか。



「もし、お困りのようですね?」

「なんだよ、アンタは。放っておいてくれ」

「そうはいきません。妖怪と人のもめ事は私の管轄かんかつですから」

「な、なに?」

「私は山本五郎と申します。ケチな妖怪のまとめ役、いわば町内会の会長みたいなものですね。見れば妖怪のことでお困りの様子。宜しければ相談にのりましょうか?」



 平太郎から事情を聴くと、山本はニヤリと笑って言いました。



「成程、お金が入用いりようだと。ならば私が工面くめんして差し上げましょう。ただし、タダとはいきませんよ。妖怪との取引は高くつくのです」

「なんだ? 何をすればいい? 何でも言ってくれ」

「貴方の寿命を頂戴したい。寿命とお金でトレードに応じましょう。貴方が望むならば、ですが」



 もう選択の余地はありませんでした。



「判った、やってくれ。あるだけ全部頼む。彼女を取り戻すんだ」

「結構、では失敬して」



 刹那、山本の右手が平太郎の左胸をえぐったのです。

 次の瞬間、妖怪の手には血の滴る心臓が握られていました。

 あっと驚き、平太郎が手をやっても胸には傷一つありません。



「では、お預かりさせて頂きますよ。ヒヒヒ、活きの良いお肉だ」



 翌日、自販機の前で山本と再会した平太郎は、大量の棒金が詰められたアタッシュケースを受け取ったのです。



「良いですか? それを全て使い切った時、貴方の寿命も尽きるのですよ? どうかお忘れなく、フフフ」



 それは文字通り地獄への誘いでした。

 待っていたのは棒状に束ねられた硬貨をバラし、ひたすら自販機に入れていくだけの単純作業です。まるで底なし沼に沈んでいくかのごとき静かで地味な破滅。判っているのに止められない、一度きりの人生を棒に振る愚行ではありませんか。


 ふと我に返れば、手元に残ったのは百円これっきりです。


 結局の所、当たり外れを決めるのはツクモンだというのに。

 平太郎は死んだ魚のような目で弱々しく問いかけるばかりです。



「お前、最初からこうするつもりだったのか?」



 かたわらで人の破滅を見守る山本はあごを撫でながら独り言をつぶやきました。



「そういえば、出がけに面白いニュースやっていたなー。まだやってるかなー」



 ポケットから出てきたのは小型のラジオです。

 山本がスイッチを入れると、田んぼの小道に大音量の速報が流れだしました。


『次のニュースです。清涼飲料水会社の大手・夕日飲料が、破産申請の手続きに入りました。民事再生は困難との判断で、これは事実上の倒産と見られています』


 言われたことを飲み込めず、平太郎はポカンと口を開けていました。



「……え?」

「夕日飲料は倒産したようですよ? つまりですね、もう売り上げなんか、高かろうが低かろうが、なぁーんにも関係ありませんね」



 その場に流れる気まずい沈黙。

 遠くの山でカラスの群れがカァカァと鳴いています。


 やがてツクモンは速やかに電源を落とし、営業活動を停止するのでした。

 それであわてたのは、むしろカモにされた平太郎です。



「え? おい、ちょっとぉ!!」

「まぁまぁ、気持ちの整理がつくまで待ってあげたらどうなんです? 男なら」

「し、しかし……」

「命が助かっただけでも儲けモンでしょ? 残りは随分と目減りしてしまったようですがね」



 手元に残った百円を握りしめて、平太郎はトボトボ帰るしかありませんでした。

 そして その翌日、更にショッキングな出来事が彼を待ち構えていたのです。


 例の田んぼに足を運ぶと自販機はなくなっていました。

 代わりにあったのは土台に貼られた無慈悲な「お報せ」でした。


『富士山頂に移転します。長らくのご愛顧あいこありがとうございました』


 遠くでカラスがアホーアホーと鳴いていました。






 ここで時間は少しさかのぼります。

 実は少し前、自販機の前にクレーン付きのトラックが停まり、ツクモンを回収しに業者が来ていたのです。


 ですが、その正体は作業服に身を包んだ山本の変装でした。

 荷台に自販機を積み終えて山本が待っていると、運転席に女性の姿となったツクモンが乗り込んできました。

 山本は帽子のツバを引き下げながら彼女に尋ねました。



「お前、これで良かったのか? この街に残る手もあったんじゃないのか?」

「それで債権者さいけんしゃに売り飛ばされろと? 妖怪は奴隷じゃありません」

「奴の寿命も残り少ない。あと数日か? 共に過ごせばよいものを」

「本体に書いてあるでしょう? 私って、冷たいもの」



 山本は失笑し、肩をすくめてみせました。



「父さんが倒産したから仕方ないってか。金が絡めば妖怪よりも人間の方が恐ろしいはずなんだがねぇ。あな恐ろしや」

「人間を甘く見ない方が良いですよ、山本さま。私は平太郎を信じています」

「お前がそういうなら、もう少し見守ってみるか……」



 そう、この話はまだ終わっていなかったのです。


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