第2話



 帰りついた平太郎の自宅、そこは安アパートの一室でした。

 中に入るとツクモンは早速品定めをするみたいにあちこちを探りだしました。

 その様子は、なんだか もらわれてきた猫にそっくりでした。



「へぇ、旦那さまって、仕事は何をなさっているのですか?」

「恥ずかしながらコンビニのバイト」

「それにしてはパソコン周りの機器が充実しています」

「詳しいね、妖怪のくせに。何を隠そう、実は元ユーチューバーだったのさ」

「はぁ、動画を配信して広告収入を得るという? なんと面妖な」

「妖怪に言われちゃオシマイだな。でもまぁ、人気が出なくてね。ゲーム実況や歌もやってみたけどサッパリ。オワコン投稿者さ」



 答えながらも平太郎の視線は床へと向けられていました。

 気になるのは玄関からフローリングの床に点々とついたツクモンの足跡でした。

 指先でそれに触れてみると少しベタつきました。


 先ほど手をつないだ時も感じたのですが、彼女の体はしっとりと湿っているし、どこかベトベトするのでした。

 手の匂いをいでみると、柑橘かんきつ系の爽やかで甘い香りがしました。ツクモンは平太郎がネバ着きを気にしていると悟り、両手をフリフリ可愛く言い訳するのでした。



「あっ、これですか。気にしないで下さい。妖怪としての個性ですから」

「個性?」

「はい、私ジュースが染み出る体質なんです。自販機ですから当然ですよね?」

「いや、当然ではないと思うぞ」



 されど、決心して招いたお客様です。

 ベタベタ歩き回る程度で追い返せません。


 平太郎は居間の座布団に彼女を座らせて、お茶でもいれることにしました。

 聞きたいことは沢山たくさんあるのです。



「まず、出張サービスって何をしてくれるわけ? 自販機が?」

「あっ、もうベッドインですか? じゃあシャワーを浴びますね」

「人と会話をしろ、妖怪め。もういい、全部伝わったよ」

「期間は一ヶ月もあるんですからもっと仲良くしましょうよ~。お願いがあるなら聞きますよ、せっかくですから」

「そっか。それなら、なるべく恋人らしく振舞ってくれないかな。せっかくだから」

「恋人? ははぁん、本物ができた時に備えて予行練習ですね」

「いや、違う」



 平太郎は少し言いよどんでからこう続けました。



「俺の動画が評価されなかったのは、華がなかったせいだと思うんだ」

「ハナ? 花ならその辺の野原に咲いているでしょう」

「そうじゃなくて、生きる喜びというか、面白さというか、余裕と言うか、そういうものだよ。単に、お色気とかエロだけじゃなくてさ」

「寂しい生き方をしていると、そうなりますよね。お気の毒さま」

「頼むから『個性』よりもまず俺への態度を甘くしてくれ。ただ職場と家を往復するだけの生活ではなくて、俺たちの毎日にはもっと彩りや生き甲斐があることを実感したいんだ」

「ふぅん、それが貴方の願いなら。私も別に構いませんよ。でもね、一月経って私のことを忘れられなくなっても知りませんよ?」

「独り暮らしには慣れているから平気だよ」

「それでイチャラブはいつ頃から解禁しますか」

「こっちは夜勤明けで疲れているんだけど」



 やたら押しの強い女を黙らせてベッドに押し込み、平太郎自身はソファーで眠りについたのでした。目が覚めたら全ては夢幻のごとく消え失せているのではなかろうか、そんなことを内心では疑っていました。

 しかし、昼前に目を覚ますと室内にはいつもと違う味噌汁みそしるの匂いが漂っていたのでございます。平太郎が不思議に思い身を起こせば、なんと台所に立つ女性の姿がそこにはあったのです。



「あら、お目覚めですか。夜勤明けだとおはようとも言えず、妙な感じですね。とりあえず冷蔵庫にあったもので朝食を作ってみたんだけど、気に入って頂けるかどうか」



 白日の下でも妖怪は消えません。

 二人の奇妙な共同生活はこうして始まったのです。




 ですが初めての同棲どうせいは本当に苦労の連続でした。

 誰かと暮らすということは、その人に合わせるということ。

 相手が一般常識の通用しない妖怪であれば尚更なのでした。


 例えばせっかく作ってもらった味噌汁にしても……。



「なんか……甘くないか、これ」

「味噌がしょっぱいので、口直しに自家製のメロンサイダーを少々」



 ツクモンときたらどうしようもなく甘党で、料理をさせると何にでもジュースを入れてしまうのでした。

 ツクモンが両手をこすり合わせて念じると、そこからジュースが湯水のごとくにあふれてタップリと料理の鍋へ混入してしまうのでした。


 更に、平太郎が働いている間に洗濯や掃除をやってくれるのは良いのですが……。



「あの、このシャツ。手形つきで、ベタベタするんだけど」

「私の個性に何か不満でも? いきなり妖怪差別ですか、これは離婚ですね」

「結婚してねぇよ」



 そう、ジュースが染み出る指で触れるものですから、洗濯物やカーテンはどうしても手形まみれになってしまうのでした。

 ユーチューブで生配信をやることもあって、男の一人暮らしとは思えないほどに片付けられた部屋でした。その綺麗な自室が帰宅する度にシミだらけでは流石に堪忍袋の緒が切れそうでした。


 ですがその都度、可愛い顔で誤魔化されると炎上する怒りは冷水をかけられたようにしぼんでしまうのでした。



「堪忍してね、旦那さま。私の個性だから、尊重してね」



 二の腕に抱きつかれて柔らかな乳房を押し付けられると、何も言い返せなくなってしまうのです。


 けれど、それで良いのでしょうか?

 恋人というのはもっと対等な関係なのでは?


 悩んでいた平太郎を救ってくれたのは、コンビニの棚に並ぶ使い捨てのビニール手袋でした。それを目にした途端、仕事中にも関わらず「これだ」と強く叫んでしまうくらいの大発見でした。


 早速、その日に帰ると平太郎は贈り物を彼女に渡したのです。


「あのね、君にマーキングされると良い香りがするし、正直ちょっと嬉しい。これを見るとツクモンに凄く愛されているような感じがするから」

「そうですか、なら問題ないでしょう?」

「でも事情を知らない人は服のシミを白い目で見るんだ。だからさ、君も少しだけ人間の事情を尊重してくれないか。家事をする時は、靴下をはいて、この手袋をするとか」

「……そうしたら、平太郎は私に感謝しますか?」

「するする! 絶対に関係が深まるから」

「それならば仕方ありませんね。それに平太郎のくれた物ですから、大切にしますよ。こんな物でも」



 胸に満ちるのは安堵の溜息。

 どうも普段バカをやる男友達とはまったく勝手が違うのでした。しかし、こうした気苦労こそが或いは同棲の醍醐味なのではないかと、平太郎にはそう思えるのでした。

 無味乾燥とした「誰からも興味を持たれない」孤独の日々。それと比較すれば積み上げられていく思い出の数だけ、今の方がずっと充実している。


 どことなく、そんな気がしました。


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