第11話 秘められた思い

 走り去っていったリュカの姿は、結局、探しても何処にも見つからなかった。

 船着き場にも、川沿いのあたりも姿がなく、結局、ユッドは諦めて兵舎に戻ることにした。きっと、一人で森に戻ってしまったのだ。それにしても、別れの挨拶もできなかったのは心残りだったが。

 騒ぎに気づいたのは、広場を通り過ぎようとしたときのことだった。

 人混みが出来て、焦燥しきった顔の背の高い金髪の男を取り囲んでいる。

 (あれは…サニエル?)

真っ青な顔で、馬も人も息を切らせている。確か昨日、砦が襲撃を受ける前に司令を迎えに行ったはず。それなのに、今はたった一人だ。

 首を傾げながらそちらに近づこうとした時、人混みの中から、ひときわ甲高い声が上がった。

 「お、おい、誰か兵士長に報告を! それから回収を――急いで…」

 「回収? おい、何があった」

遠巻きにしている中に同室の仲間を見つけて声をかけると、振り返った若い兵士は、強張った表情のままでぽつりと答えた。

 「…ロジェール司令が、亡くなられたそうだ」

 「はっ?」

あまりに唐突な言葉に、ユッドは思わず、素っ頓狂な声を出してしまった。

 だがそれが、嘘や冗談ではないことは、周囲にいる他の兵士たち、何よりサニエル自身の態度が示している。

 すぐさま、彼も表情を引き締めた。

 「敵襲か? 一体どこで? 街道沿いの駐屯地へ行ったんじゃなかったのか?」

 「ああ。その帰り道に殺されたらしい――護衛ごと。待ち伏せに遭ったんだ。迎えに行ったサニエルが見つけたのは、馬と人の遺体だけだ、って…。」

 「……。」

ユッドは、言葉を失っていた。

 司令がここを発った数日前には、まだ、竜人族がルーヴァ川を越えてきているなどと誰一人、思ってもいなかった。まして、人間の使う道の側に隠れ潜んで襲撃して来ることなど、想像するはずもない。警戒心が足りなかったとしても不思議はなかった。

 たった一晩のうちに、あまりにも多くのことが起きすぎた。

 死の恐怖にさらされ、仲間の死体を目の当たりにし、さらには状況を最悪のものにする訃報までもが届く。既に新兵たちの中には、心が折れてしまったような顔をしている者もいる。

 「これからどうすれば…」

 「出来る限り防御を固めて、今まで以上に斥候を増やすしかない。」

 「昨夜みたいなことがあったらどうすればいい。防ぎようがないぞ!」

 「司令まで殺された。しかも街道からの戻りの途中でだ。ここももう、包囲されているんだ! 逃げられない! みんな殺される」

悲鳴にも似た声。割の良い稼ぎだと思って前線基地にやってきた募集兵にとっては、こんなはずでは無かった、というところだろう。

 ユッドには、黙って周囲の混乱を見守ることしか出来なかった。

 一体どうすればいいのだろう。ここで、竜人が人間の道具を使うなどという事実を告げれば、さらに恐怖と混乱を煽ることになる。

 「兵士長が来たぞ!」

 「おい、お前たち何をしてる。集まってないで、さっさと持ち場へもどれ! 今は警戒を怠ってる時じゃないだろう」

怒鳴られて、集まっていた兵士たちは慌てて散ってゆく。

 「こんなことは今までに起きなかったのにな」

人混みを離れようとする時、ぽつりと呟いた熟練兵の言葉が耳元に残った。――そうだ。こんなことは、今までは起きなかった。

 けれど、これからは起こり得る。何度でも。




 兵舎に戻ろうとしていたユッドの前に、路地裏から、ひょっこりとリュカが姿を現した。

 「リュカ!」

ユッドは、ぱっと明るい表情になり、大急ぎで駆け寄った。

 「良かった、まだお別れもお礼も言ってないのに、森に帰ってしまったのかと」

 「…状況が、悪化したんですね」

 「ああ、うん。聞こえてたのか」

ユッドは、視線を傍らに反らした。

 「そう、ここの司令官が敵に殺された。オレたちの指揮官…そんなわけで、お前に正式にお礼を、って話は無理になった。ごめん」

少年は、小さく首を振った。

 「そんなことは、どうでもいいんです。それより、ユッドたちは――これから、どうするつもりなんですか」

 「どう、って」

 「逃げるのかと」

 「まさか。」

彼は、きっぱりとした声で答える。

 「戦うしか無いさ、ここに残って。幸い、ラーメドさんも精鋭部隊もまだ無傷だ。あの人がいれば、何とかなるだろ」

 「ラーメド…。」

けれど、安心させるつもりで言ったその言葉に、リュカは声を落とし、表情を曇らせた。

 そういえば、さっき突然走り出したのも、ラーメドと出会った時だった。

 「知り合いだったのか? ラーメドさんも、お前のことは知ってるみたいだったけど」

 「いいえ。母から話を聞いていただけです…見た目は聞いてたままでした。だけど、…英雄だなんて。あんな、嘘つき…」

 「嘘つき?」 

 「あの人は、英雄なんかじゃない」

苛立ったような口調と、微かに震える声。いつにない様子に、ユッドは少なからず驚いた。元々、人間に近い感情表現をするほうだとは思っていたが、――今は。

 「何があったんだ」

 「……。」

 「お前、怒ってるよな? それ。どうして、会ったこともないのに、そんな顔する必要があるんだ。」

 「それは…」

少年は、胸のあたりを片手でぎゅっと握りしめ、声を絞り出した。

 「――僕の母が命を落としたのは、あの人を庇ったせいだから」

はっとして、ユッドは言葉を失った。頭を殴られたような気分だった。

 リュカの母が既に死んでいると聞いたあの時、ラーメドが酷く悲しそうな顔をしていたのは――。

 「…すいません。この話、誰にも言わないでください。どうせ…今更、何も出来ない…」

くるりと背を向け、少年は、微かに声色を変えた。

 「それでは、僕は森へ戻ります。ありがとう、ユッド。どうか気をつけて」

 「…ああ、…こっちこそ、色々、ありがとう」

それだけ言うのが精一杯だった。

 不幸な事件が起きたのは、いつのことなのだろう。

 カリムの口ぶりからして、彼女が砦の若い兵士たちに「ちょっかい」を出していたのは、もう随分前のことのようだった。だとすればその頃はラーメドも、まだ経験の浅い、配属されたての新兵だったかもしれない。


 『関わるなら、適度に距離を置け』


あの時の、やけに感情の籠もった言葉の意味。

 (もしかしたらラーメドさんは…リュカも同じように、人間を庇って危険な目に遭うことを恐れてたのか…?)

 川べりを足早に去ってゆく少年の後ろ姿を見送りながら、ユッドは、知ってしまった二人の因縁の重さを、ずしりと感じていた。

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