第38話 偽物

 大葉野六郎はもう宗吾を見ていない。力なくうなだれ、しゃがみ込んでいた。五味は一つ大きなため息をつく。


「まあ話せないってんなら、それでも構わんさ。だったらアンタにはもう用がない。これ以上ほじくるのはやめとこう。さてそんな訳で、本題に入るとするか」


 そう言うと、視線を提督に向けた。


「なあ爺さん。アンタに聞きたい事がある」


 提督はいかにも余裕綽々といった笑みを浮かべている。


「ほう、私にですか。いったい何の質問でしょう」

「河地善春はどこにいる」


 後部デッキに舞い降りる衝撃。もっとも激しい反応を見せたのは、他ならぬ砂鳥宗吾。驚愕を顔に浮かべ、五味と提督を見比べている。大葉野も目を丸くして顔を上げた。


 しかし、提督は首をかしげる。


「はて。どうして私にそんな質問を?」

「いまここで河地善春の行方を知ってるのは、アンタしかいないからだよ」


「さあて、意味がわかりません」

「なら、こう言えばわかるか」


 五味はニッと笑った。


「本物の提督はどこにいる」


 これを聞いて、思わず岩咲が叫んだ。指を差す先、白髪の背の高い老人は微動だにせず笑みを浮かべている。


「おい五味! そりゃどういう意味だ。このジジイが提督なんだろうが!」 

「そんなはずないよ、アタシゃ昔のこいつに会ってるんだよ!」


 親方も慌てて口を挟むが、五味は振り返らずに否定した。


「違うね。そんときからコイツは偽物だったんだ」


 白髪の背の高い老人は、小さくため息をつく。


「ならば参考までに、何故、私が偽物だと思ったのですか」

「そうでなきゃ、筋が通らねえからだよ」


 五味は一歩前に出た。二つの影が老人を守るように立ちはだかるが、探偵は一瞥しただけ。


「提督は、何度も俺たちを襲わせてる。ここにいる二人も頑張ったんだろうよ。だが、結果として誰も死んでない。マジで殺す気なら他にも方法はあったはずだ。確かに乱暴な真似はしてるが、ここぞというところで詰めが甘い。ただ、脅すためなら一回で十分だ。何度も繰り返した意味がわからん。だからこう思ったんだよ、もし殺す気も脅す気もなかったとしたら、どうだろうってな」


「ほう」


「もちろん人が死ぬ事を恐れた訳じゃない。アンタらにそんな常識は通じない。別に何人死んだって構わないんだろうが、それは単なる結果だ。目的じゃない。なら提督の目的は何だ。ここまで考えれば、出て来る答は一つになる」


「それは何です?」

「砂鳥宗吾を、二度と引き返せなくなる深みにまで引きずり込む事だ」


 宗吾は愕然と口を開け、身を震わせて立ち尽くしている。それを横目に五味は続けた。


「何かおかしいと最初に思ったのは、河地善春の自殺だ。いや、正確には自殺に見せかけ、身代わりに母親の愛人を殺し、行方をくらました件だ」


 五味はタバコを一口ふかした。


「死体を欄間らんまからぶら下げるには力が要る。火事場の馬鹿力で何とかした可能性もあるが、それでも時間はかかるはずだ。なのに河地善春は、それを一瞬でやってのけた。死体の頭をバリカンで坊主にするのを込みで、服を自分の物に着替えさせるのも込みで、子供らがお使いから帰って来るまでの間にすべて済ませたんだ。こんなもん冷静に考えれば、一人でできるはずがない。手伝ったヤツらがいるに決まってる。だがそいつらは誰だ。提督の部下だと考えたらスッキリするわな」


 五味はジャケットの内ポケットから携帯灰皿を取り出し、吸い殻を突っ込む。ギリギリと指で押し込んで。


「河地善春は妹に手紙を遺している。いかにもアルツハイマー病が進行したかのような手紙を。だがアルツハイマー病が進行した人間に、計画的自殺が可能なのか。いやそもそも、自殺なんてのは衝動的に実行するモンだろ、普通。自室のノートPCには、母親のSNSのスクリーンショットを山ほど残していた。見つけてくれと言わんばかりに。誰かが自分の行方を追ってくるのを前提として誘導したとしか思えない。それに気付くヤツなら、ぶら下げられたのが河地善春じゃないって事にも気付くだろうよ」


 さっきまで誰もが提督と思い込んでいた老人を、五味はにらみつける。


「すべての鍵は『偽物』だ」


 いまだ笑みをたたえ静かに立っている老人に、五味の言葉は続く。


「単に行方をくらましたいだけなら、河地善春にはいつでもできた。だがそれじゃ意味がない。自分が姿を消す事と、砂鳥ホールディングスの砂鳥宗吾とを結びつける必要があった。その絶好のチャンスが巡り来るまで、十年待ち続けたんだ」


「僕と? どうして善春がそんな事を」


 思わずたずねた宗吾に、五味は憐れむような視線を向ける。


「何だ、アンタまだ気がつかないのか、河地善春の逆鱗に触れたことに」

「逆鱗……?」


 五味は新しいタバコを取りだし咥えると、風に苦労しながらライターで火を着けた。そして新居山を左手の親指で指し示す。


「自分の時効成立寸前に河地善春が死ねば、アンタは必ず『偽物』の河地善春を用意するだろう。だから本物の河地善春は、あえてそうさせた。自殺をしたと見せかけて、その上で実際にはアンタと同じ事をした。つまり自分の『偽物』を用意したんだ。そしていずれ登場するであろう、自分を追ってくる連中を誘導し、河地の母親の居場所に導いた」


 風の中で五味は白い煙を吐く。


「アンタだってわかってたろう。DNA鑑定をしても兄妹なら『実は血の繋がりがない』とか話をでっち上げて強弁できるんだ。だが、さすがに親子じゃ難しい。特に母親じゃな。なら、死体が河地善春本人じゃない事はいずれ明らかになる。つまり河地善春は生きてるって事になるだろう。だが、いったいどこに」


 愕然としている砂鳥宗吾に、五味はニッと歯を見せた。


「そのとき必ず、アンタの用意した『偽物』の河地善春に注目するヤツが出て来るはずだ。アンタのトリックは河地善春から見れば、さほど難解でも高度でもない。『偽物』だという前提があれば、トリックはすぐ解明される。わかるかい、アンタの計画は最初の時点でつまづいてたんだよ」


 宗吾の目が見開かれる。五味は一口タバコをふかし、静かに煙を吐き出した。


「霊源寺始を突き落とした窓のストッパーは、アンタが壊したんだろう。つまりあの転落死は『偽物』だ。山猪寛二を殺したとき、忠告を受け入れる振りでもしてみせたんだろう。友情も『偽物』だ。そもそも業務上過失致死傷罪で裁判を受けるつもりもなかった。その覚悟も『偽物』だ。偽物偽物偽物、アンタの周りには偽物しかない」


 五味の口元から歯がこぼれる。敬意など見えない。それは嘲笑だった。


「アンタは自分の計画が完璧だと思っていた。いや、文字通り完璧ではなくとも、この計画の全景が見える人間は自分以外に誰もいないと思ってたんだろう。だが河地善春には見えてた。最初から、『偽物』だらけのトリックも含めて、全部見えてたんだよ」


 呆然自失、唖然愕然。砂鳥宗吾は繰り返し押し寄せる衝撃の波に、体が引きちぎられそうな感覚を覚えていた。


「自分の人生をかけて親父の死と向き合った河地善春にとって、これがどれだけ腹立たしかったか、頭に来たか、アンタに理解できるかい。自分を見下し、『偽物』の同情をしてみせたアンタがどれだけ憎かったかわかるかい。わかんねえよな。だから、格の違いを見せたのさ。十年の時間をかけて、ただアンタの完璧さなんぞ『偽物』だと示すためにな」


 五味が一息に煙を吐くと、宗吾の目に焦点が戻ってくる。


「……あ、あっ、あああーっ!」


 悲鳴のような声を漏らし、頭を抱えて膝をついた。


 五味は視線を背の高い老人へと戻す。


「そもそも、だ。裏の世界じゃ名の知れた提督が狙うには、砂鳥ホールディングスは小せえだろ。世の中にはもっとデカい企業があるのに、何でこの会社にこだわる。そう考えたらイロイロおかしいんだよ、提督の行動は。だが真ん中に砂鳥宗吾を置けば、すべて上手く回り出す。よくできたストーリーになる訳だ」


 そう言って美味そうにタバコを大きく吸い込むと、静かに煙を吐きだした。


「じゃあ、そのストーリーを書いてるのは誰だ。そのストーリーの中にいるように、いや、いたように見せかけて、実は外側にいる河地善春以外に誰がいるよ。もしこの件に提督が絡んでないとするなら、当然ここにいる提督は『偽物』だ。そして本当に提督が絡んでるなら、提督の正体は河地善春だ。つまりどっちにせよ、この爺さんは『偽物』になるはずなんだ。そうじゃなきゃ筋が通らねえだろ」

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