第32話 提督の指揮棒

 五味の言葉に、築根麻耶はストンと腑に落ちたという顔で目をみはる。


「金の出所は砂鳥宗吾だという事か」


「そう考えりゃ話は簡単になる。砂鳥宗吾は、十年間ずっと河地善春に金を渡していた。それは監視していたのと同じだ。どこに住んで、どんな暮らしをしていたのかも知っていたんだろう。だがあるとき、いきなり河地善春が自殺したと情報が入った訳だ。どうなると思う」


 五味に見つめられて、原樹敦夫は少し狼狽うろたえた。


「ど、どうなるって。そりゃ慌てただろ」


「慌てねえよ。完璧魔人は慌てなかった。冷静にプランBに移行したんだ。つまり霊感ヤマカン第六感に『もう一人の河地善春』を捜し出させた。最初から、どこに住んでどんな仕事をしているのか、わかっている相手をわざわざな。おそらく、手がかりも砂鳥宗吾が用意したんだろう」


「つまり、大葉野さんたちが見つけたのは、偽物って訳っすね」


 ジローの隣に座る笹桑ゆかりはそう言ったが、原樹には理解できない。


「待てよ、いくら何でもそんな簡単に、似てるヤツが用意できるもんなのか」


 すると五味は小さく微笑んだ。


「なあ原樹さんよ。アンタ、高校時代の友達の顔、思い出せるか」

「何だよ。そりゃあ何人かは思い出せるだろ」


「じゃあ聞くがな」


 その口元が、ニッと歯を見せる。


「同じ高校に、その友達と似たヤツが何人いたか思い出せるか」


 原樹は唖然として言葉が出て来ない。五味はホワイトボードをにらみつけた。


「まあ覚えてる訳ゃないわな。どっかの山奥とか孤島とかの少人数の分校ならともかく、一学年に百人二百人いる街の高校で、まして卒業して十年も経てば、親しくもない連中の顔を覚えてるヤツなんていねえんだよ、普通はな」


 そう言いながら、砂鳥宗吾の名前を丸で何重にも囲む。それに比例するかの如く、築根はますます険しい顔に。


「おまえの理屈だと、砂鳥宗吾は高校時代からこの計画を立てていた事になるが」

「立ててたんじゃねえの。そう考えなきゃ筋が通らねえだろ」


「もしそうなら、まさに魔人だな」

「とりあえず、普通じゃあねえよ」


 すると親方がつぶやく。


「そこに、あの提督が絡んでくるんだねえ」


 笹桑もため息をついた。


「明日、船になんか乗っちゃって大丈夫なんすかねえ」


 重苦しい静寂に包まれる事務所の中に、かすかに聞こえたのは、冬絵の声。


「……あの」

「どうした。何か気になったか」


 五味の口調は小さな子供に向けたものには聞こえなかったが、それでもいつもの噛み付くようなトゲトゲしさは感じないな、と築根は思う。


 冬絵もそれを感じ取ったのか、思い切ったようにたずねた。


「晋平さんは、一人だったの?」

「一人だった、って何が」


「一人で殺して、一人でぶら下げたの?」


 その瞬間、五味の顔色が変わった。




 晴れ上がった日曜日、埠頭近くに設けられた駐車スペースに、次々到着する車。たいていは高級車であり、後部座席から着飾った人々を下ろすと走り去って行く。自ら運転してやって来る者は少数派だ。エメラルドサンシャイン号に乗り込んで二泊三日の小旅行、みな最低限の小さな荷物で、歩いて客船に向かっている。


 そんな中、駐車スペースの端に駐まった銀色のクラウン。その隣には赤いミニ。降りて来た赤いワンピースに赤い帽子の笹桑が、後部座席からデカいスーツケースを引っ張り出す。


「いやあ、いい天気になって良かったっすねえ」


 相も変わらぬグレーのスーツで、ネクタイだけ青に変えた五味が目を剥いた。


「何だ、その荷物」

「えーっ、だって女の子の旅はイロイロ入り用じゃないっすか」


「完全に旅行気分かよ。凄え肝っ玉してんな、オマエ」


 助手席のジローに続いてクラウンの後部座席から降りた原樹が、まあまあと取りなす。


「多少の遊び心くらい、いいだろう」

「オメエは何でタキシード着てんだよ」


「いや、これは目立たないようにだな」

「目立つだろうが! 結婚式か!」


 原樹の後から降りて来た築根は、鮮やかな緑のドレススーツを着ていた。


「あんまり騒ぐな。人目を引くぞ」


 ミニの助手席からは、黄色の着物に紫の羽織で親方が降りてくる。


「若い子は遠足気分でいけないね」


 五味は一人頭を抱えた。


「……コイツらは」


 最後にクラウンの後部座席から、いつも通りの白ジャケットで金ピカネックレスの岩咲が降りてくる。五味はそれを見て、一つため息をついた。


「何のため息だ、こら」


 岩咲はいささか不満顔だ。


 河地美冬と春男、冬絵の三人は岩咲の伝手つてで県警に保護されている。さすがにこの船に乗せる訳には行かない。もっとも、単に危険だからというだけの理由ではなかったが。




 エメラルドサンシャイン号の最上階、特等船室の窓から、砂鳥宗吾は船に乗り込む人々を見下ろしていた。


「良い眺めでしょうか」


 その声に振り返れば、部屋の真ん中の籐椅子に提督が腰掛けている。


「普段、金にあかせて他人を見下すしか能のない連中をはるか高みから見下ろすのは、さぞ心地良い事でありましょう」

「先生、その皮肉は私にも刺さります」


「皮肉など、とんでもない。私はそこまで盲目でも、老いさらばえてもおりませんよ。あなたは彼らとは違います。だから信頼したのです」


 宗吾は少し緊張した笑みを浮かべた。


「ありがとうございます」


「三日前の木曜日に突然予定変更された、旅程も定かではない二泊三日の船の旅。普通の神経があれば疑うものです。なのに、あれやこれやと文句を言いながら、ウヨウヨと蟻のように這い寄って来る。そこに金があるから。地位や名声があるから。何とも醜い。それに引き換えあなたはどうです、純粋に己の進むべき道を欲しています。これを美しいと言わずして何と言いましょう」


 褒められてはいる。宗吾とて他人に褒められるのは嫌いではない。だがこの人物に褒められて、素直に喜んでいいものやら。胸には僅かに葛藤があった。それを知ってか知らずか、提督は声を張り上げる。


「さあ、間もなく出航です。今宵、海の藻屑と消え去るのはいったい誰なのか、彼らにもハッキリ見せつけて差し上げましょう」


 上機嫌で指揮棒タクトのようにステッキを振った。しかし提督の言う「彼ら」とは、いま眼下で嬉々として船に乗り込む蟻の如き連中なのか、それとも自分を仕留めんとして乗り込んでくる狩人を指しているのか、宗吾にはよくわからない。


 だが、もし後者であってもいい。宗吾は思った。老練な狐が、自惚れた狩人たちを一網打尽にするのもまた一興である、と。




「いらっしゃいませ、お客様。ようこそエメラルドサンシャイン号へ。お部屋へご案内させていただきます」


 バイトだろうか、まだ制服も着慣れていない若いポーターが笑顔を向ける。タラップの下で招待メールの部屋番号を見せ、五味たちはエメラルドサンシャイン号に乗り込んだ。先頭は言うまでもなく笹桑である。


「いっちばーん」

「俺らの後ろにもう誰もいねえだろ。何の一番だ」


 ブツクサと文句を言う五味の背後には、影のようにジローが寄り添っていた。そして原樹、築根、親方、岩咲と続く。いったい何の集団だろうと周囲からは思われているかも知れない。


 船内で乗り込んだエレベーターは、そこいらのホテルより格段に立派だ。おそらくは砂鳥のホテルよりも。ボタンは八階まであったが、押されたのは三階だった。この辺りから笹桑の表情が微妙になって行く。


 降りた三階は普通だった。普通のビジネスホテル程度という意味で。そして案内された部屋は一つ。二十畳ほどの大部屋の和室。笹桑が叫んだ。


「シャンデリアがない!」

「要るか、そんなもん」


 五味たちはさっさと部屋に入り、荷物を置いて座り始める。


「では、パーティは十七時から、五階の大会議場にて開かれます。それまでごゆっくりおくつろぎください」


 ポーターは頭を下げ、ドアを閉じた。笹桑はガックリ肩を落としている。


「……シャンデリア」

「まだ言ってやがんのか」


 呆れる五味に向かってむくれる笹桑は涙目だ。


「だって豪華客船の旅っすよ、シャンデリア要るでしょ!」


「第一に、俺たちゃ敵の懐に入ってるんだ、いい部屋が当たる訳があるか。第二に、この人数で一組だ、大部屋以外に選択肢があるか。第三に、そもそもこの船は豪華客船じゃねえ、中型客船だ」


「ふーんだ、五味さんなんて、そうやって言葉遊びしてればいいんすよ」

「あ、この野郎」


「野郎じゃないっすよーだ」


 背中を向けて座り込んだ笹桑をギロリとにらむと、五味はタバコを一本取り出して咥える。


「ま、俺は禁煙じゃなきゃそれでいい」


 そう言って部屋の隅に置かれたガラスの灰皿に手を伸ばした。

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