第31話 ホワイトボード

 呆けた様子の女――美冬たち兄妹の母親――が顔を上げると、五味はニッと悪魔的な笑みを浮かべた。


「まず、いい情報だ。アンタの息子、河地善春は生きてるよ」


 これに母親より驚いたのが刑事の原樹敦夫。


「えっ! おい、それ本当か!」


 しかし、五味は視線を向けない。


「そして次に悪い情報。残念だが、アンタの彼氏はもう死んでる。アンタの息子に絞め殺されてな」


 愕然とする女は、いまにも悲鳴を上げそうな顔。もう一人の刑事、築根麻耶が眉を寄せた。


「つまり、あの家でぶら下がっていたのは」

「そ。お袋さんの愛人って訳だ」


 その五味の言葉に、しかし築根は引っかかるモノがある。


「どうして春男くんは見間違えたんだ。いくら顔が苦痛に歪んでいたとは言え」

「似てたんだよ、単純に」


 五味はあっさりと答えた。


「男の好みは変わらなかったんだろうな。別れた旦那の若い頃に似てる男に引っかかったのさ。身長くらいは多少違ったかも知れないが、あの現場でその差に春男が気付くはずもない。つまり」


 築根は、ハッと美冬を見た。


「河地善春は父親に似ていた?」

「……はい。父の若い頃の写真そっくりでした」


 五味はタバコを一本取り出し、咥えて火を点ける。


「動機はわからん。いったい何のためにこんな事をしでかしたのかサッパリわからねえが、何が切っ掛けになったかはわかる。離れて暮らす母親が、死んだ父親に、つまり自分に似ている男を愛人にしていた。これは使えると思ったんだろう。何年か前にな」


 道の駅の駐車場の片隅で、築根は口元に手を当て考え込んだ。


「河地善春は母親の愛人が自分に似ている事を利用するために、家に招き入れ、首を絞めて殺害し」


 その後を五味が続ける。


「死体の頭をバリカンで丸坊主にして、服を着替えさせる。そして欄間にロープをくぐらせ、ぶら下げたって訳だ。いや、殺す前に家の中の物にイロイロ触らせた、ってのもあるな。とにかくまあ、計算ずくの殺人だってのは間違いない」


「そんなはずはありません」


 それは感情を押し殺した美冬の声。


「兄さんが、そんな事をするはずがない」


 これに応じるのは、低く小さな声。


「するかもね。あれは昔から恐ろしい子だったから」


 そう言う母を、美冬は怒りを込めてにらみつける。


「あんたなんかに何がわかるの! 兄さんの事、何も知らないくせに!」


「おまえこそ、善春の事をよく知ってるくせに、何でわからないのさ。あの子は目的のためなら手段は選ばない。その目的が、これまでは他人に優しくする事だった、ただそれだけなんだよ」


「聞きたくない!」


 美冬は耳を塞いでしまった。五味は小さく笑う。


「ま、そんな訳だ。他に聞き漏らしがないか、尋問はプロに任せる」

「いいだろう」


 築根は俄然やる気になっていた。そこでふと、思い出したように五味は言う。


「あとな、お袋さんの髪の毛を五、六本もらっといてくれ」

「DNA鑑定用か?」


 訝る築根に五味はうなずいた。


「三人の親子関係を示す証拠を、こっちが握ってるのはデカいからな」


 そう言いながらも五味の表情は晴れない。達成感などまるでないという顔をしていた。




 事務所の片隅にあった、キャスター付きの脚が生えた大きめのホワイトボード。貼り付いているマグネットや広告をはたき落とし、五味は事務所の真ん中に引っ張り出した。その中央に黒のボードマーカーで「河地善春」と書いて丸で囲む。


「何年か前の話だ。河地善春は故意か偶然か、とにかく生き別れた母親のSNSアカウントを発見し、連絡を取り合うようになった。やがて母親から金の無心が始まる。まず、問題はこの金だ。河地善春は働いていなかった。なのに母親を援助できるほどの収入を得ていた。この金はどこから出てきた」


「生活保護か障害年金、ではおかしいのか」


 壁にもたれる築根の問いに、五味は事務机のPCのモニター画面を指さした。河地善春の、いや世納晋平を名乗っていた男のネットバンクの口座内容が映し出されている。


「年金なら二ヶ月に一度、偶数月に振り込みがあるはずだ。だがこの口座の動きを見る限り、まとまった金は毎月振り込まれている。なら生活保護か? しかしキッチリ端数なしの三十万だぞ。三人家族にしたって金額が大きすぎるし、振込元の名前は慈善団体みたいに思える。この団体の人間に会った事はあるか」


 ソファに座る春男が首を振る。


「ボクは会った事ないです」

「この口座が晋平さんの物だというのは、間違いないのかな」


 築根の問いに、今度はうなずいた。


「はい、お金はボクが管理するように言われていたので」

「小学生にはシビアな教育だね」


 つぶやく親方に、五味は小さく笑い、ホワイトボードをコツンと叩いた。


「この金の中から、河地善春は母親に一定額を月々渡し、母親は愛人にその金をみつぎ続けた。しかし、あるときから善春は母親に金を渡さなくなる。それにしびれを切らせた母親の愛人が世納の家にやって来た訳だが、たぶん事前に連絡を入れてたんだろうな。河地善春は春男と冬絵を用事に出し、一人で待ち構えていた。家中の指紋を消しながら」


 そこで小さくため息をつく。


「そして訪れた母親の愛人に家の中をあちこち触れさせた後、ロープで首を絞めて殺害。髪をバリカンで丸坊主にし、自分の服を着せて、最後に欄間から吊るした。おそらく、これが河地善春の自殺にまつわる事のあらましだ。何かおかしな点はあるか」


「兄が人を殺すとは思えません」


 ソファに座る美冬は暗い顔で、まだ納得できていなかった。しかし五味は言う。


「人を殺せない人間なんぞいねえよ」


 目に涙を溜めてキッとにらみつける美冬を、五味は平然と見つめ返す。


「普通の人間が他人を殺さないのは、殺す事にメリットも意味も価値も理由もないからだ。言い換えれば、意味さえあれば人間は他人を殺せる。その意味がマトモなヤツもいれば、狂ったヤツもいるんだろうがな」


「兄に人を殺す意味があるんですか!」

「それは本人に聞きゃわかる」


 凍り付きそうな空気に割り込むように、築根がつぶやく。


「とにかく金の流れを明らかにしたい。その慈善団体を洗うか」

「そうだな。何も出て来ないかも知れんが」


 その言い方がかんさわったのか、築根の眉が寄る。


「おい五味、何か隠してるのか」

「隠しちゃいねえよ。ただ、出て来るはずがないって思ってるだけだ」


 そう言うと、五味はホワイトボードに新たな名前を書き加えた。「砂鳥宗吾」と。


「砂鳥宗吾は霊感ヤマカン第六感に河地善春を捜すよう依頼した。何故か。自分自身が業務上過失致死傷罪に問われかねない事件についての目撃者として必要だったからだ。だが、おかしくねえか」


 築根の横に立つ原樹がキョトンとした顔を見せる。


「何がおかしいんだ」


 険しい表情で五味は言う。


「高校時代の仇名なんざ、いい加減なもんだ。『完璧魔人』なんてのは、オーバーに言い過ぎてるのかも知れない。とは言え、砂鳥グループの業績だけ見ても砂鳥宗吾が有能なのは間違いない。その有能なヤツが、自分の命綱になるかも知れない河地善春を、何で十年間も放置して、何で急に捜し始めたんだ」

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