第30話 再会

 ビジネスホテルの火災現場はまだ騒然としているものの、とりあえず一段落して岩咲は駐車場へと視線を向けた。


「なあ五味。俺に何か言う事はないか」

「別にねえよ」


 ムッとした顔で五味は手持ち無沙汰げに立っている。しかし咥えたタバコに火は点いていない。築根はちょっと意地悪げに微笑んだ。


「心配して来てくれたんだよな」

「あのなあ」


 イロイロと言いたげな五味の首に、岩咲は太い腕を回した。そして耳元でささやく。


「三ヶ月じゃ足りねえよなあ。六ヶ月は欲しいところだ」

「アンタ、セコいぞ」


「恩人にその言い草はねえだろう」

「恩人って何だよ。いい加減に離れろ、筋肉が痛えよ」


「じゃ、六ヶ月で決まりだな」

「わーったよ、だから離れろって」


 ようやく開放された五味の視界に、一枚の毛布を羽織った春男と冬絵、そして河地美冬と親方が入ってくる。全員無事のようだ。


「何だよ、親方まで一緒か。オールスターじゃねえか」

「あらま岩咲の旦那、珍しいとこで」


 顔見知りらしい岩咲と親方が立ち話を始めた。まあそれはどうでもいい。死人ケガ人が出ていないのだから、今夜からの宿泊先を除けば問題はない。五味は視線を落とした。


 この火災は、おそらく提督が指示したのだろう。日曜日に客船でパーティを開くという招待メールが届いた。ならば日曜日までは何も仕掛けてこないに違いない、なんて礼儀正しい悪役ぶりを期待するのは間違いだ。


 砂鳥宗吾は完全犯罪を狙っているのかも知れない。だが提督はおそらく違う。ヤツはたぶん、戦争をしている。老人の命を駒に使うゲリラ戦を。トラバサミも仕掛ければ、落とし穴も掘る。間違っても真正面から殴りかかってくるような正直者ではない。


 ならば、どうする?


 そのとき、左手に何かが触れた。冬絵が手を伸ばし五味の指を握っている。


「ケガ、してる?」


 五味は一瞬動揺したような表情を見せたが、その手をそっと握り返した。


「してねえよ」

「よかった」


 冬絵は嬉しそうに微笑む。五味もぎこちない笑顔を見せた。相手には見えないというのに。まったく、これだからガキとオカルトは。


 そんな五味を、のぞき込む視線。笹桑が興味深そうに見つめている。気まずい顔で五味は言った。


「……オマエ、何してんだこんなところで」

「岩咲さんにくっついてろって言ったの、五味さんじゃないっすか」


「だったら、くっついてりゃいいだろうが」

「五味さんってロリコンの気あるんすか」


「ぶん殴るぞこの野郎」

「野郎じゃないっすよーだ」


 笹桑は築根の方に歩いて行く。まるでそのタイミングを見計らったかのように、五味のスマートフォンが振動した。メールの着信。件名は「土曜日なら」。送信者は確認するまでもない。五味は美冬を見つめた。


「明日ならって向こうは言ってるが、いいか」


 美冬は黙ってうなずいた。その目に決意が浮かんでいる。




 土曜日。霊源寺と山猪、そして大葉野の三人に河地善春を捜すよう依頼してから丸一週間、事態は激しく動いている。だが、まだ想定から大きく外れてはいない。


 どのみち霊源寺は殺すつもりだったし、山猪は少し早かったかも知れないが、まあ誤差の範囲内だろう。「あの河地善春」が本人である事を証明する者としては、大葉野が一人残れば問題はない。


 不確定要素としては、五味という探偵と、そこにかくまわれている河地善春の妹だ。「あの河地善春」を偽物だと主張するかも知れない。だが、それを示す明確な証拠があるだろうか。確かにDNA鑑定をすれば兄妹でない事は示せる。しかし、それと「本人であるかどうか」はまったく別の話だ。


 簡単に言えば、実は河地兄妹には血のつながりがなかった、と新たなストーリーをでっち上げればいい。それは有り得ないという別の証拠など、そうそう揃えられるものではなかろう。一人の人間の存在を確定的に証明するというのは、この現代においても極めて難しい事なのだ。


 河地善春の父親が存命し、いまも親子三人で暮らしているというのなら、親子関係を証明するのはDNA鑑定で事足りる。だが、実際はそうではない。もはや父親は亡く、兄妹も十年間会っていない状態、互いを結びつける証などあるはずがない。


 無論、この理屈に一切の瑕疵がない訳ではないが、それは極めて蓋然性の低いケースだ。現実は冷酷無残、そうそう連中に都合の良い展開になどなりはしない。砂鳥宗吾は口元に笑みを浮かべながら、明日のパーティの来場予定者名簿をめくっていた。




 待ち合わせ場所は隣県の道の駅。広い駐車場の片隅に作られた、木製ベンチがいくつか並ぶ小さな公園施設へと、目印の赤いバンダナを手に巻いてやって来た女。五十代の主婦だという。だが正直なところ、見た目は六十代と言われても疑問は持たなかったろう。濃い化粧の向こう側に、疲れ果てた顔が透けて見える。


 五味は立ち上がり会釈した。


「別に自己紹介はいいでしょう。お互い、さして興味がないはずだ」

「あの、メールに書いてた事は本当なんですか」


 女は、あからさまに疑いの視線で五味を見つめている。五味は、作り笑顔でうなずいた。


「ええ、河地善春さんについて、お知らせしたい事がありましてね」

「あの子が、いったいどうしたんです」


「ここのところ連絡がない、そんな感じですか」

「ええ、そうです。だからいったい」


「死にましたよ」

「……え?」


 女は一層不審げな顔になる。


「正確には自殺しました」


 すると女は、憤然と五味をにらみつけた。


「ふざけないでください! あの子が自殺なんてするはずないでしょう!」

「おや、えらい自信ですね。何でそれがわかるんです」


「何でって、それは」


 言い淀む女に、五味は後ろのベンチに背を向けて座っていた影を指さす。


「彼女が誰かわかりますか」


 立ち上がり振り返ったのは、河地美冬。しかしバンダナを手に巻く老いた女は、怯えたように首を振る。


「誰。誰なのその女」


 五味は苦笑を返した。


「その言い草はないんじゃねえかな。アンタの娘だぜ、お母さん」

「美冬……ちゃん?」


 驚愕に、あんぐりと口を開ける母へ向かって、美冬は怒りに満ちた声を放つ。


「兄と会っていたんですか」

「そ、それは」


「兄に連絡を取っていたんですか!」

「違うの、連絡は善春の方から」


「どんな顔で兄に会ってたの。あなたが出て行って私たちがどんな思いをしたか」

「ハイハイ、それはまた今度にしてくれ」


 割って入った五味をにらみつけた美冬だったが、それ以上非難を続ける事はなかった。


「なあ、お母さん。いくつか質問させてくれ。まずアンタは善春と会って、連絡を取り合って、それだけだったのか」


 詰問口調の五味に、女はまた怯えたように身を固くする。


「それだけよ。それが何かいけないの」

「善悪はどうでもいい。金を都合してもらってなかったかが聞きたい」


「少しよ。月々苦しいから、ほんの少しだけ。それくらい、いいじゃないの!」

「アンタ、男がいるよな。若い男だ」


 女は目を丸くして絶句する。五味は面倒臭そうに続けた。


「その若い男とも連絡がつかなくなってる。違うか」

「どうして、それを」


「たぶん、こんな感じだろう。アンタは善春に毎月小遣いをもらい、その金を若い男にみついでいた。だが、しばらく前から善春は金を渡さなくなった。そこで男はこう言ったんだ。『オマエの息子から金をもらって来てやるよ』とか何とかな。そして男は善春の元へ向かったが、それ以来パッタリ連絡が来なくなった。善春とも連絡が取れない。どうしたものかと困っているところに、俺からDMが届いた。そして今日だ」


 女の顔からは音を立てるように血の気が引いて行き、とうとうしゃがみ込んでしまった。その姿に軽蔑を込めた一瞥をくれると、美冬は慎重にたずねる。


「五味さん、もしかしてその男の人は」


 五味は、うなずきながら片手を上げた。駐めてあった車の中から築根と原樹が飛び出し、駆け寄ってくる。立ち上がれない女に一歩近付くと、五味はこう言った。


「なあお母さんよ、アンタにいい情報と悪い情報があるんだが、聞きたいか」

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