第33話 饗宴開幕

 エメラルドサンシャイン号の大部屋で、原樹敦夫は暑苦しそうに首元を手であおいだ。


「とは言え、こんな部屋で落ち着けるんなら、タキシードは着てこなくても良かったな。馬鹿みたいだ」

「みたいじゃなくて馬鹿なんだよ」


「何っ!」


 にらむ原樹を無視して、五味はライターでタバコに火を点ける。すると灰皿を挟んで向かい側に岩咲勝也が片膝を立てて座り、細い葉巻を取り出した。


「それで、パーティまでの間どうするよ。船ん中を探検でもするか」


 葉巻の端をかじって灰皿に吐き捨てると、岩咲は五味のライターをアゴで指す。五味はライターに火を灯し、岩咲の葉巻の前に差し出した。


「とりあえず、やる事はないですよ。おとなしく寝転んでましょうや」

「おい、マジで言ってんじゃねえだろうな」


「マジですよ。どうせこの部屋だって、盗聴もされてりゃ監視もされてるに決まってる。動いた分だけ危険が増すって寸法だ。そんなもん、わざわざ付き合う必要もない」


 そしてライターの火を消すと畳の上に寝転び、大の字になった。


「果報は寝て待てってね」




◇ ◇ ◇


 一般論として、孫は目の中に入れても痛くないほど可愛いものだという。僕の祖父もそうだったのだろうか。だからこんな「遺産」を遺したのか。


 僕は祖父に会った記憶がない。父は一部の親戚を除き、実家とは関わり合いになろうとしなかった。けれど祖父は僕を知っていた。ただ存在を知っていただけでなく、僕がどんな人間で、何ができるのかまで見抜いていた。その点は驚嘆に値する。


 その上で祖父は僕に「遺産」を譲り渡した。どう使うかは僕の自由だ。しかし、かけられた期待は理解できる。ならば僕は、それに応えるべきなのだろう。


 まず、今回のこれは手始めだ。本格的な絵を描く前の、スケッチのように。


◇ ◇ ◇




 パーティの開始まではまだ十分ほどあるが、会場はすでに人で溢れていた。どいつもこいつも欲の皮の突っ張った顔をしてやがる、五味はニヤつくのを必死で我慢した。何せ五味からすれば、強請れる獲物が鈴なりなのだ。ツバをつけておきたい連中が無防備にゴロゴロ転がっている。畜生、こんな状況じゃなきゃな。五味は地団駄を踏みたい気分で見覚えのある姿を捜していた。


 背後から築根麻耶の小さな声。


「五味、誰か捜してるのか」

「んなもん、決まってんじゃねえかよ」


 と言いかけたとき、築根の隣の原樹が、着物の婦人から話しかけられた。


「ちょっとボーイさん」

「え、ぼ、ボーイ?」


 目を丸くしているタキシード姿の原樹に婦人はこう言った。


「お手洗いはどこかしら」

「いやいや、私はその」


 しかし五味は、パニクった原樹を見捨てて歩き去る。


「じゃな、頑張れよボーイさん」

「あ、こら五味、おまえ」


 と、その騒ぎに振り返った顔がある。見つけた。


「やっぱり来てたな」


 近寄ってきた五味に、スーツ姿の大葉野六郎は驚いた表情を見せる。


「どうしてここに」

「もちろん招待されたのさ。で、向こうから何か言ってきたか」


「いや、何も。ただここに来るようにだけ」

「余裕綽々しゃくしゃくってか。いけ好かないねえ」


 そのとき苦笑する五味の背後で、築根の裏返った声が聞こえた。


「課、長」

「あぁ? 浣腸がどうし……」


 振り返った五味の視界に、ストライプのスーツを着た男が立っていた。どこぞの役所で中間管理職でもしていそうな見た目。ただし、メガネの奥の目だけが、尋常ではない殺気を放っている。その目を五味に向けながら、男は言った。


「築根警部補。今日はパーティに参加か、いい身分だな」

「い、いえ、これは」


「探偵の五味か」


 築根の返事には興味を示さず、首を僅かに傾けて五味の方を向いた。


「噂には聞いている。刑事をアゴで使って名探偵気取りかね」

「たまにゃ納税者のために働いてもバチは当たらんでしょう」


「すまんが、税金なら私も払っている」

「ああ、そう言やそうだ。忘れてましたよ」


 へらへらと笑う五味に眉一本動かすでもなく、県警捜査一課長の古暮は背を向けた。


「くれぐれも公務執行妨害で捕まらん事だ」

「お気遣いどうも」


 後方では原樹はもちろん、岩咲も、そして親方までもが、直立不動で油汗を垂らしながら古暮課長の小言を聞いている。


「なるほど、アレが県警捜査一課長か。おっとろしいね」


 やがて課長は会場の真ん中辺りまで戻り、恰幅の良い老人と談笑を始めた。


「県の公安委員長ですね」


 大葉野六郎がつぶやいた。公安委員長の周りでボディガードのように立つ数人の目つきの悪い連中は、おそらく刑事か。築根にたずねればわかる事だが、いまはどうでもいい。


 五味が視線を後ろに向ければ、原樹と岩咲と親方の三人が肩をいからせて寄ってくる。


「おい、五味」

「ハイハイ、わーってるって」


 五味はひとつため息をついた。


「毒をもって毒を制すってヤツだ。警察には警察を。対応が早くて確実、有能極まりねえな」


 岩咲が、グイッと顔を近付ける。


「敵をめてる場合かよ。これで荒事で解決って手は使えなくなったぞ」

「んな事は最初から考えてませんがね」


「どういうこった。だったら何で俺を呼んだ」


「岩咲さんと原樹がいれば、相手も『ああ、コイツら暴れる気だな』って思ってくれるでしょうが。だったら相応の手を打つはずだ。向こうの打つ手が多いほど、こっちの選択肢も増える。見えない相手とケンカするには、それを繰り返すしかない。まあ捜査一課長を引っ張り出せるのは、さすがに想定外でしたがね」


 と、そこにジローの手を引っ張って笹桑がやって来た。


「五味さーん。グルッと一回りしてきたっすよ」

「おう、ご苦労」


 船に乗り込む前の打ち合わせ通り、他のメンバーで五味とジローを取り囲む。相変わらず虚空を見つめて押し黙っているジローに、五味はたずねた。


「ジロー、俺たちの事を話してるヤツがいたか」


 しかし首すら振らず、目線も合わさず、ただ口だけを動かしてジローは答えた。


「いない」

「『五味』って話してたヤツは」


「二人」

「よし、出せ」


 五味が期待して待っていると、ジローは不意に眠そうな顔で斜め上を向いた。


「ねえ、このゴミ捨ててきて」


 と思うと、今度は険しい顔で反対側を向いた。


「アイツは社会のゴミクズだ!」

「オマエ、わざと言ってねえか」


 ムッとする五味に、笹桑と築根は肩を震わせている。だがジローはいつものように虚空を見つめるばかり。


 五味は改めてたずねた。


「じゃあ、『河地』は」

「いない」


「『善春』は」

「いない」


「だったら『提督』は」

「いない」


「そんなら……『宗吾』はどうだ」

「一人」


「よし、出せ」


 するとジローの目がつり上がる。


「宗吾、絶対に許さない。いまに見てらっしゃい」


 火を吐かんばかりの唸るような声。五味の目が光った。


「そいつは誰だ。覚えてるか」

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