第27話 川原

 銀色のクラウンの後ろを走るミニの狭い後部座席で、原樹が文句を垂れた。


「さっきのアレは褒められたもんじゃないな」


 運転する笹桑もうなずく。


「ホントっすよ、殴り合いとかになったらどうするんすか。五味さんケンカ弱いのに」

「五味ちゃんは姑息な事が好きなくせに短気だからねえ」


 親方も同意した。散々な言われようだな、と助手席の築根は苦笑したが、実際危険な行動だったとは思う。だが、あの五味が義憤から動くとは思えない。おそらく、これも計算の内なのだろう。


 相手の砂鳥宗吾は金も力もある「完璧魔人」、その背後でさっきの「提督」が助力しているとなれば、一介の私立探偵がマトモに正面からぶつかるのは、不利どころか無理筋と言える。だから揺さぶりをかけたのだと見るべきではないか。


 もっとも、それは火中の栗を拾うどころではない。火に油を注ぐ可能性もあるし、安易で迂闊なようにも思える。


 だが五味ならば、アイツならこの状況をひっくり返せるかも知れない。信頼と言うより願望に近い思いだったが、築根は賭けてみようと考えていた。五味の実力はよく知っている。それに窮鼠きゅうそは猫を噛むのだ。追い詰められた探偵が、どこに噛み付くのか見てみたい。


 銀色のクラウンが国道から脇道に入った。どうやら山猪寛二の死体が上がった川原に向かうらしい。




 川原にはもう規制線は張られていなかった。雨は危険なほどには降っていないが、川の水は茶色く濁っている。


「この川は深いのか」


 誰にたずねるともなく、つぶやく五味に、笹桑が返事をした


「あ、気をつけてくださいよ、ここ一メートル以上あるっすから」

「んだよ、足取られるじゃねえか」


「渡る気だったんすか?」


 笹桑は呆れているが、五味は気にせず周囲を見回す。


「この川原、車で降りられるとこないのか」


 これにも即座に笹桑が返答する。


「上流に行けば小さな公園があるんすけど、あそこならたぶん車で降りられるっすよ」

「オマエ、この川にえらい詳しいな」


「別に川に興味はないっすよ。川原の権利関係でゴタゴタしてる人たちに興味があるだけで」


 ニッコリ笑う笹桑に、五味はゲンナリした顔を向けた。


 水際にしゃがみ込んでいた築根が振り返る。


「山猪の死体は車で運ばれたと考えている訳か」

「他に考えようがねえだろ。車で拉致されて車の中で殺されて、あとは川原まで車で運ばれて、ドボンだ」


 五味は両手をパッと開いた。しかし築根は納得しない。


「橋の上から落とされた可能性もある」

「山奥の吊り橋じゃあるまいし、目立ち過ぎるだろうが」


「目立つのが嫌ならコンクリに詰めて漁船で沖まで運んで……」

「発想がこええよ。それに死体は見つからなきゃ意味がない。恐怖で他人を支配するってのはそういう事だ」


 五味の言葉を聞いて、築根が立ち上がる。


「つまり、山猪殺しは提督の仕業だと」

「トリックも何もない、ただ殺しただけだ。『完璧魔人』にしちゃセンスが悪い」


「だから霊源寺始の死は、砂鳥宗吾の犯行になる」

「起こった事実を並べるだけなら事故だ。だが、その事故が確実に、間違いなく発生するのを理解してるヤツがいたとしたら、さすがに事故とは呼べないだろうな」


 築根は小さく首を振った。


「証拠がない」

「んな事は知らん。俺は探偵だ、証拠に基づいて推論を組み上げなきゃならん立場じゃねえよ。そりゃアンタらの仕事だろ」


 顔にしたたる雨を面倒臭げに拭い、五味は濡れた手を乱暴に振った。


 築根が興味深げに問う。


「なあ五味。おまえ、この事件を解決してどうする気なんだ。何のために謎を解く」


「私立探偵は信用商売だ。相手が企業だろうが化け物だろうが、ケンカ売られてビビって逃げたんじゃ沽券こけんに関わる。俺を敵に回した以上、二度とこの顔を見たくない程度には痛い目を見てもらわんと、この先も生きてけねえしな。それだけだよ」


 五味の裏の仕事を知らない築根ではないが、そこは言わずもがなだ。もっとも、本当に「それだけ」なのかには疑問の余地があるのだが。


 と、そのとき。


「あ」


 五味が小さな声を漏らす。


「どうした」


 たずねる築根に視線を向けず、振り返ってクラウンの隣に立つ河地美冬を見つめた。


「信用だ」


 いま五味の頭の中では歯車が高速で回転しているのだろう、その目に力が湧き上がる。


「河地善春が信用していた、いや、河地善春『を』信用していたヤツがもう一人いる」


 そう言うと猛然とクラウンに戻って行く。川原に広がっていた他の面々は慌てて後を追い、一分としないうちに二台の車はスキル音を上げて走り去った。

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