第28話 虎穴に入らずんば

用件:お詫びとご案内


 次の日曜日に開催予定の砂鳥ホールディングス創立二十周年記念パーティでございますが、諸事情により会場が客船エメラルドサンシャイン号に変更となりました。


 ご多忙の中、当方の都合による勝手で大変心苦しいのですが、パーティを含めて二泊三日の船旅をお楽しみいただけますと幸いです。


 このメールを無料参加チケットと致しますので、どうぞお気軽に軽装にてご参加くださいませ。


 船室につきましては、ご参加人数とご返信順にて随時割り当てさせていただきます。


 なお会場へのアクセスは、添付ファイルにてご確認いただけますよう、お願い申し上げます。




「……てなメールが届いてるんだが、どう思う」


 昼前の五味総合興信所。事務机のPCをにらみつけ、憎たらしげに読み上げた五味に原樹が応えた。


「軽装って言ってもTシャツとかはダメだぞ」

「んな話はしてねえよ」


 軽く切れかけたのも無理はない。そこにソファでコーヒーを飲む親方が声をかける。


「正面切ってケンカ売られたね。どうする気だい」

「どうもこうもあるか。来いってんなら行くしかないだろ」


「また、おまえさんは短気だね。相手は口開けて待ち構えてんだよ、ノコノコ食われに行ってどうするよ」


 いささか呆れ返る親方に五味はニッと歯を見せる。


「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だな」

「そんな理屈通りに行くもんかい」


 笹桑も親方に加勢する。


「そうっすよ、五味さん一人で行くなんて無謀っす」

「誰が一人で行くって言った」


「……へ?」

「参加人数を制限するとは書いてないんだ、オマエらも一緒に来い」


「うぇえええっ! それは嫌っす! お断りっすよ! まだ結婚もしてないのに!」

「だったら出て行け。二度とここに来るんじゃねえ。もっとも、提督がオマエの事をどう考えるのかまで俺は知らんがな」


 ニヤリと笑う五味に、笹桑は顔を真っ赤にしてむくれた。


「こんな可愛い女の子まで巻き込むなんて、男の人って最低っす」

「言ってろ」


 そして五味はスマートフォンを取り出し、電話をかける。相手は即座に出たようだ。


「もしもし、岩咲さんですか。……いやいや、そんな怒鳴らんでくださいよ、こっちも迷惑は承知で電話してんですから」


 それを耳にした築根の眉が寄った。


「いま岩咲って言ったか」


 原樹も驚いた顔を間抜けにさらしている。


「まさかあの岩咲さん、じゃないですよね」

「五味のヤツ、何をする気だ」


 そんな会話など聞こえないのか、五味はニヤニヤと笑いながら話す。その笑顔が相手に見えているかのように。


「ちょっと、お得な話がありましてね、ええ、三ヶ月無料コースなんですが」


 話すと同時にPCのマウスを操作し、ブラウザの別のタブを開く。表示されているのは五十代主婦のSNSのページ。春男と冬絵の家で「晋平さん」のノートPCにスクリーンショットが大量に保存されていた、あのページだ。


「日曜日空いてますか。そうですか、じゃ空けてください。詳細は土曜の夜にでも連絡しますんで。よろしく」


 そう言って電話を切ると、五味は椅子にドカリと座り、マウスをまた動かした。SNSのDM欄をクリックしてキーボードを叩く。


――河地善春氏についてお話ししたい事があるのですが、ご連絡いただけますか


 DMを送信し、椅子をクルリと回して向きを変えた。その視線の先には、震えるような目で立ち尽くす美冬。


「ちょっと嫌な思いさせる事になるが、覚悟しといてくれ」


 五味はタバコを一本胸ポケットから取りだし、咥えて火を点けた。




 金曜日。いつも通りの時間に起きる。平穏な朝。何だか久しぶりのような気がした。昨日とまったく同じ服装でソファから身を起こすと、キッチンの冷蔵庫に向かう。さすがにちょっと臭いな。連中が来る前にシャワーでも浴びるか、そう思いながら五味はヤカンをガスコンロにかけ、レトルトカレーとパック飯を取り出した。


 丼にパック飯を出し、レトルトカレーをかけてレンジに放り込む。いつものようにタイマーを回そうとしたとき。


 ドスン。ドアがきしむ音がした。


 インターホンのモニターボタンを押し、外の様子を見ようとしたのだが、何かがカメラの前に立ちはだかっている事しかわからない。


 ドスン。またドアが軋む。


 五味はしばらく考え、そして玄関に向かった。


 ドアを開ければそこに立つ、大きな男の影。身長は原樹よりも低いが、腕の太さと胸板の厚さは上回る。頭はパンチパーマで白いジャケット、サングラスをかけ口ひげを蓄え、太い首にはチャラチャラと光る金色の鎖。どこからどう見てもマトモな職業の人間ではない。


「な……」


 口を開きかけた五味の胸倉を突然つかみ、巨漢はグイッと引き寄せた。


「おい、強請り屋」

「何ですか岩咲さん、こんな朝っぱらから。約束は明日の夜でしょう」


 困ったような顔の五味を、岩咲と呼ばれた男はにらみつける。


「おまえ、自分が殺されるかも知れないとか思った事あるか」

「それが最近、ちょくちょくありましてね」


 すると岩咲は、五味を軽々と事務所の中に突き飛ばし、自分も中に入ってドアを後ろ手に閉めた。


「ふざけんじゃねえぞ、てめえ! こっちは命張って仕事してんだ、てめえらなんぞの遊びに付き合うヒマはねえんだよ!」


 尻餅をついた五味は、苦笑しながら立ち上がる。


「あれ、やっぱり昨日マズかったですか」

「ヤクザの事務所のガサ入れ中だ! 仕事時間中に連絡するんじゃねえって言ってんだろうが、この野郎! マジでぶっ殺すぞ!」


 そう怒鳴り散らすこの巨漢、岩咲勝也は、県警組織犯罪対策部、いわゆるマル暴の刑事である。


 五味は、うるさそうに耳をほじりながら、ニヤリと笑って見せた。


「それでもわざわざここまで来たのは、『三ヶ月無料コース』が気になったんですよね」


 岩咲はまた怒鳴りかけたが、それをグッと飲み込み事務所の奥まで進むと、ソファの真ん中にドカッと座り込んだ。


「とりあえず話だけは聞いてやる。こっちはこれから出勤だ、簡単に済ませろ」


 と、そこに寝室のドアが開いた。


「なーに騒いでるっすかぁ。五味さん朝から近所迷惑っすよぉ」


 目をこすりながら出てきた笹桑を、岩咲は指さす。


「あーっ! てめえ女なんぞ連れ込んでやがるのか!」

「あれ、岩咲さんじゃないっすか」


「ん?」


 岩咲は改めて笹桑を見つめた。じっくり見つめた。


「おめえ笹桑じゃねえか」

「笹桑っすよ」


「なんだつまらん」

「どういう意味っすか」


 不満げな笹桑に、岩咲は呆れ返った様子でこう言う。


「三流の雑誌屋がこんなとこまで首突っ込んでんじゃねえよ。五味なんぞに関わってたらケツの毛までむしられちまうぞ、てめえ」

「ケツに毛は生えてないんすけど。レディに失敬すね」


 笹桑は口を尖らせた。

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