第26話 雨中の対峙
約二時間後、一同を詰め込んだ五味のクラウンと笹桑のミニは、多目的ホール近くの交差点横にあるコンビニの駐車場に駐まっていた。日が昇ってあまり時間が経っていない。河地善春が出勤するとしても、まだ時間はあるだろう。もちろん木曜日が休みのシフトであるとか、今日は夜勤シフトであるとか、イレギュラーを考え出したらキリがないのだが。
クラウンの窓は全開にしているのに、それでも
「おいおい早番かよ」
舌打ちをしてクラウンに戻り、美冬を連れ出すと太った男の後を追った。向こうは特に警戒感も見せず、工場群の方へと歩いて行く。そしていくつかの工場の前を通り過ぎ、砂鳥食品加工の玄関に差し掛かった。五味はそこで声をかける。
「善春さん」
しかし男は足を止めない。
「河地善春さん」
今度は身を堅くして立ち止まり、男はゆっくりと振り返った。その目に表情はない。奇妙なくらい落ち着いている。
「誰ですか」
五味は胸ポケットから端がヨレヨレになった名刺を取り出し、男に渡した。
「こういうもんです」
「……興信所?」
その訝しげな表情は、わざとらしいと思えなくもない。五味は背後にいた美冬を手で示す。
「こちらの方に、あなたを捜すよう依頼されまして。誰だかわかりますよね」
男はしばらく困惑した顔で美冬を見つめていたが、ハッと何かを思い出した。
「もしかして、美冬か?」
振り返れば、美冬は明らかに当惑している。なるほど、少なくとも面影があるのは間違いないのだろう。
「善春兄さん、なの」
「あ、ああ。どうしたんだ、いったい」
「どうした? 連絡も寄越さずに、どうしたってどういう意味」
「ああ、いやスマン。こちらにもイロイロ事情があってね。今度、時間を作るよ。ゆっくり話そう」
この会話に割って入る五味。
「そうですよね、居場所はわかったんですから詳しい話はまた後日にでも。お兄さんはこれから仕事なんでしょうか」
「ええ、まあ」
「ではまた後日、その名刺の電話かメールアドレスにご連絡ください。今日はこれで失礼します。ありがとうございました」
取って付けたような愛想笑いを浮かべると五味は背を向け、美冬の肩をポンと叩いて去って行く。美冬は数秒遅れてその後を追い、小走りで五味の隣に並んだ。
「違うと思います」
美冬は小声で言う。
「あの人が兄だとは思えません」
「だろうな」
五味が一瞬振り返れば、「河地善春」は砂鳥食品加工の建物の中に入って行く。
「さすがに『完璧魔人』の仇名は伊達じゃない。話としちゃ良くできてる。だが、あまりにもでき過ぎだ」
五味は足を早めた。急げばまだ間に合うかも知れない。その頬に冷たい水滴が触れる。雨が降り始めたのだ。
背の高い上品そうなスーツ姿の老人が、黒い傘を差して道端に立っている。その前に停まる黒塗りのベンツ。内側から押し開かれた後部のドアに老人は微笑み会釈する。車内に入ると畳んだ傘を両脚の間に置き、ふう、と大きなため息をついた。
「嫌ですねえ、雨は」
「先生、何かあったのですか」
隣に座る砂鳥宗吾がたずねる。しかし不安げな様子は見えない。現在、彼の周辺事情は想定内に収まっている。不確定要素は最小限、心配事などないに等しい。そんな宗吾に「提督」はこう言う。
「何か。そうですね、何かはあります。常にあります。この世に完璧など有り得ませんから」
宗吾の眉がピクリと震えたように見えたものの、提督は気にすることなく話を続けた。
「例の探偵の動き、そちらにも引っかかっていますね」
「はい、ついさっき『河地善春』から連絡がありました」
「実に困った事です。いかに
「では『処分』していただけるのでしょうか」
提督は我が意を得たりとばかりに微笑む。
「あなたがそれをお望みとあらば」
「たとえ血塗られた城でも、私にとっては生きた証です。全力で守らねばなりません」
「ならば私も微力ながらお手伝い致しましょう。ところで守ると言えば」
宗吾は提督の言わんとしている事を、先読みしてうなずく。
「はい」
「あなたのお義姉さん、顧問弁護士のところに入り浸りのようですね」
「そう聞いています。刑事告訴するつもりなのでしょう」
「こちらは処分しなくても良いと?」
やや意地悪な言い回し。しかし宗吾は平然と、再びうなずく。
「直接的に利害が絡む相手ですから、彼女が死ねば私が容疑者の筆頭となります」
「すなわち死なない限り、あなたは安全圏にいられるという事。この先、彼女がどう動くのかも想定済みなのでしょう。良く練られた計画ですね。圧倒される思いです」
「何か問題が?」
「いいえ。あなたはあなたの計画を万全に遂行してください。それが私にとっても利益となるのですから。ああそうそう、新しい社外取締役の件ですが……」
そう言いかけて、提督は眉を寄せた。
「車を停めてください」
しかし砂鳥ホールディングス社屋までもう二百メートルもない。
「どうしました、先生」
「いいから停めなさい!」
路肩に停車する黒いベンツ。提督はドアを静かに開けると、傘を開き歩道に降りた。前方を見れば、路肩に停まる銀色のクラウン。その後部トランクに腰をかけている、ヨレヨレのスーツの男。雨の中、火の消えたタバコを咥えて。提督はゆっくり、相手の反応を確かめるように一歩ずつ近付いて行った。
「やあ、五味くん」
「おや、奇遇ですね、『提督』」
提督の足は止まった。すなわち、肯定したのだ。
「砂鳥氏に何か用でもあるのですか」
提督の言葉に、五味は小さく微笑んだ。
「ええ、ちょっと小遣いでもせびろうかと思いましてね」
「本領発揮といったところですか。しかし、相手が悪い」
「そうですかねえ。俺にはそこまで相性の悪い相手とは思えないんですが」
「ほう、これはたいした自信家ですね。君はもう少し利口かと思っていましたよ」
「へっ、思ってたんなら『あんな事』はしないでしょう」
「さて、何の事やら」
「そうやってとぼけていてくれると、こっちとしちゃ有り難い。アンタに目立たれると邪魔なもんで」
提督の余裕に満ちた表情は変わらない。だが空気は凍り付いた。
「一つ聞いていいですか、五味くん」
「何ですかね」
「君は『完全犯罪』についてどう思いますか」
五味の眉がピクリと動く。
「そんなものはオカルトだ」
「ああ、良い回答ですね。私もほぼ同意見です。完全犯罪とは、完璧な犯罪計画が生み出す『成功の産物』ではありません。もしも完全犯罪がなし得たとするなら、それは警察の不完全で不十分な捜査が生み出した、ただの『失敗の産物』でしかないのです。すべてが計算され尽くした完全犯罪など、神でも悪魔でもない人間には不可能。考えるだけ無意味と言えます」
五味の眉間に不審のシワが寄る。
「何が言いたい」
「完全犯罪はガラスの壁です。小さな傷が付けば、簡単に崩れ去ります。しかし元から不完全な岩の壁なら、傷が付こうと崩れはしません。残念ですが、非力な君ではこの壁は崩せませんよ」
そして提督は背を向け、砂鳥宗吾の待つベンツへと戻った。後部座席に座り、不愉快げに「出してください」と言うと、黒塗りの車は五味とクラウン、その向こうに停まるミニの横を通り過ぎ、砂鳥ホールディングス本社ビルの地下駐車場へと入って行く。周囲を影に覆われた瞬間、提督の口元に浮かぶ笑み。
「一つアイデアがあるのですが」
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