第25話 手駒
木曜日の朝。いや、まだ夜中か。ソファで三時間ほどしか眠っていないものの五味は起き出し、事務机のPCに向かった。しかし、開いたブラウザの検索窓には文字一つ打ち込めていない。
「さて、何を調べりゃいいのやら」
まだ寝惚けているせいもあるのかも知れないが、五味は昨夜の出来事以来、頭脳の活動が止まっているかのような感覚を覚えていた。すれっからしの強請り屋と言えど、たまにはショックも受ける。もしあれが五味の命を狙った犯行なら、相手は標的だけを狙う職人気質の殺し屋ではなく、周囲を何人巻き込んでも気にしない殺人鬼を飼っている事になるのだから。
いまさら他人の命を大切に思うほどの博愛主義者ではない。しかし、「自分のせいで」と枕詞がついてしまうのは、さすがに困る。寝覚めの良し悪しだけではなく、現実的な問題が様々に起こってくるはずだからだ。法律を盾に、こちらに罪はないと主張しても、それだけで世間は許さない。まったくもって厄介な事に。
昔の人は言いました、「悪名は無名に勝る」。それは事実なのだろう。だが五味は表の顔も裏の顔も、社会の陰でこそ活躍できる形をしている。街の誰もが名前を知ってる有名私立探偵になどなってしまっては、思うように身動きが取れない。誰にも知られていないからこそ探偵業は成り立つのだ。まして強請りで金を稼ぐのに知名度なんぞ邪魔になるだけ。名探偵はフィクションの中でしか生きられないのである。
なるほどな、と五味は思う。おそらく人間はこういうとき、オカルトに助けを求めるのだろう。いまなら先祖の因果だ、輪廻だ、星の巡りだ、運勢だ、そんな言葉に説得力を多少は感じるのかも知れない。朝のニュースバラエティの占いコーナーの結果が良ければ、ちょっとホッとするのではないか。自分の注意力や想像力や努力ではどうにもならないレベルの超自然的な存在に責任をおっかぶせられれば、そりゃあイロイロ楽だろうさ。
そんな事を漫然と考え込んでいたからだろう、五味は背後の人影にしばらく気付かなかった。
「ん……うぉあっ!」
思わず声を上げた五味に視線さえ向けず、ただ静かに立ち尽くすのはジロー。
「んだよ、ビビらせんじゃねえ。飯はまだだ、寝てろ」
シッシッと五味は手を振るが、ジローはキッチンの椅子に座ると不意にこう言った。
「見つけました」
「あぁ?」
何言ってんだオマエ、とツッコミかけた五味だが、すぐその意味に気付いた。ジローが普通に会話などする訳がない。コイツが喋っているのは、すなわち誰かのコピーだ。
「見つけました」
ジローは繰り返す。誰のセリフだったか。この姿勢、この目つき、この話し方。……大葉野六郎か。
「見つけました」
何を見つけた。言うまでもない、河地善春だ。
カチリと音を立てて、五味の頭脳で歯車が回転し始めた。そうだ。本物か偽物かは知らないが、霊感ヤマカン第六感の三人が見つけた「もう一人の河地善春」から、たぐる糸をまだ残している。
「見つけました」
「もういい、わかった」
片手を上げてそう言うと、五味はタバコを一本取り出し、咥えて火を点けた。
「ったくよ」
そしてニッと歯を見せる。
「しゃらくせえ真似してんじゃねえぞ、ガキが」
まったく、ガキとオカルトだけは好きになれない。
五味は再びPCに向かい合うと、ブラウザのブックマークから地図サイトを呼び出し、大葉野たちが河地善春に会ったという多目的ホールの近隣を表示させた。
テラスハウスの隣にはコンビニがあると大葉野は言っていた。なら、ここの交差点のコンビニだろう。航空写真に切り替えると、確かにコンビニの横にはそれっぽい赤い屋根が写っている。
こちらの河地善春は工員らしい。ここから徒歩で通える範囲に工場はあるか。工場は、あった。それも三つや四つではない。考えてみれば臨海地区だ、工場が建ち並んでいるのは当たり前と言えた。
さあ、ここからどうする。工場の名前を一つ一つ確認して行く。有名企業の機械部門と思われる工場、まるで聞いた事もない化学工場、そんな名前をいくつか読み飛ばした後、五味のマウスを握る右手が止まった。
――砂鳥食品加工
すぐに別のタブを開き検索する。砂鳥食品加工。トップに公式サイトが出て来た。鶏肉の加工を中心に冷凍食品企業のサプライチェーンを担う云々……これか?
もしもこちら側の河地善春がこの工場の従業員だとすれば、ごくごくうっすらとだが砂鳥宗吾との繋がりがないとは言えない。しかし親会社の社長と子会社の従業員、普通に考えれば接点などないに等しい。そう、普通に考えれば。五味は椅子に体重を預けた。
これは殺人事件だ。趣味の次元の話ではない。犯人にとっては自分の人生を、社会的生命をかけた大仕事。完全に頭のイカレた快楽殺人者でもない限り、見た目を綺麗に整えるなんて美意識が働く余地はないだろう。すべてにおいて合理性が優先されるはず。
合理性。合理的。合理主義。
「完璧魔人、か」
もし完璧を期すのであれば、自分ならどうする。五味は腕を組んで考え込んだ。合理的に完璧を目指すのなら、自由に動かせる手持ちの駒で完結させようとしないだろうか、と。
どんな計画であれ、関わる人間の数が少ないほど完璧に近付く。人数が増えるほど不確定要素も増えるからだ。ならばもし、不確定要素を可能な限り削ぎ落とした、行動パターンを十全に把握した人間を駒として使う事ができれば。おそらく、その計画はより完璧に近くなるのではないか。
ただしそんな手駒を、人生のいつでも望んだときに得られる者はいない。チャンスがあるのは、自由な時間と濃密な人間関係を共に得られる時代。これこそが計画の起点。すなわち。
砂鳥宗吾と河地善春は高校時代の友人だ。霊感ヤマカン第六感も同じく。今回の事件のそもそもの始まりは、連中の高校時代にあるのかも知れない。もしそうならば。そうだとするならば、こちらの河地善春「だけ」が高校時代と無関係などという事があるだろうか。こちらが本物ならば当然、仮に偽物であっても何らかの関係があるはずだ。
「笹桑ぁっ! とっとと起きろ! 出かけんぞ!」
五味は寝室の笹桑を叩き起こすと、クラウンのキーを手にした。
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