第24話 おしおき

「は?」


 周囲を探偵や刑事に囲まれたファミレスの席でキョトンとした顔を見せる大葉野六郎に、五味は改めてたずねた。


「高校時代の河地善春と、アンタらが会った河地善春の顔は、よく似てたか」

「面影があったのは間違いないです」


 五味は考え込む。誰だ。誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ。この河地善春は誰だ。……いや、待てよ。誰であるかは、それほど重要だろうか。


「あの、私からも一つ質問していいですか」


 大葉野が恐る恐る五味と築根に目を配る。


「何でしょう。我々に答えられる事ならば」


 そう答えた築根に、大葉野は思い切ったかのように疑問を口にした。


「霊源寺と山猪を殺したのは本当に砂鳥なんでしょうか。私には、まだどうにも信じられなくて」

「現時点では何とも言えません。証拠も何もありませんから。ただ我々は、その前提で動いています」


 築根の言葉の後を受けて、たずねる五味。


「この状況で砂鳥宗吾が関係してないって思えるのか。逆に聞きてえな、何でそこまで信じたがる」

「それは高校時代のあいつを知ってるからで。本当にいいやつだったんです。素晴らしい人間性の」


 力説気味の大葉野の言葉に、五味は鼻を鳴らした。


「そりゃアンタが一方的にそう思ってただけかもよ。『人間性』なんてのは、ほぼオカルトだ。確固たる存在がある訳じゃない。曖昧模糊で簡単に変化する、タバコの煙みたいなもんだろ。そんなモノに信頼を置くのは感心しねえな」


 俺はガキとオカルトが大嫌いだ、とまで言いたかったが、それはさすがに自重した。


「いまアンタにアドバイスがあるとするならば、だ」


 五味がやや苛立たしげなのは、この店が全面禁煙なためだけではない。


「砂鳥の要請には応じろ。証言を求められたら、アレは河地善春で間違いないって言い切れ。それが自分の身を守る事になる」

「でも、それじゃ」


「死んだ二人が浮かばれないってか。あのな、この世界は生きてるヤツのためだけに回ってんだよ。アンタが何しようが何喋ろうが、死んだヤツは文句なんぞ垂れねえ。正義漢もいいが、まずは生きる事を考えな。アンタはいま、そういう立場なんだぜ、弁護士先生」


 五味の言葉の迫力に、大葉野は息を呑んだ。


 そこにまた料理を持ってくるウエイトレスが、今度は二人。


「よりどりみどりウインナー盛り合わせと、肉厚カツ丼のお客様」

「はいはーい、私っす!」


 と、笹桑が手を挙げる。


「特選きのこピザと、麻婆炒飯のお客様」

「それも私でーす!」


「何人前食う気だ」


 思わずツッコんだ五味に、笹桑はニシシと笑った。


「いやあ、頭使うとお腹減っちゃって」

「オマエがいつ何に使った」


 五味の目は冷たかった。




 ファミレスの入り口近くの席で、五味たちのいる賑やかな一角を背に、カーディガンを着た小柄な老人が一人立ち上がる。会計を済ませ、外に出たところでスマートフォンを取り出し、店の中で打ち込んでいたのであろうメールを送信した。




「やれやれ、せっかくの忠告を無視するのですか。いけませんね」


 和室の座椅子に胡座をかく白髪の背の高い老人は、両脇に寝そべる猫と柴犬を撫でながら、座卓の上の小さなノートPCを見つめている。その口元に浮かぶ苦笑。


「おしおきが必要かな」




 大葉野六郎は一人で帰した。多少不安がない訳ではなかったが、霊感ヤマカン第六感の唯一の生き残りである。彼を殺してしまうと、困るのは砂鳥宗吾なのだ。


 捜し出した河地善春が砂鳥宗吾のために証言をする際、何らかの形で本人確認が求められるかも知れない。そのとき大葉野が身元を保証すれば、何があっても砂鳥側の手落ちではなくなる。もし証言をした河地善春が「偽物」であったとしても、それを連れてきたのは大葉野であり、砂鳥は騙された被害者という体裁になるからだ。だから大葉野が五味たちと接触していたのが砂鳥宗吾に伝わったとしても、殺される確率は低いはずだ。


 なるほど、よくできた話と言える。砂鳥宗吾が「完璧魔人」であるのは間違いないらしい。だが、いまはその完璧主義が五味には有り難いと言えた。これ以上、一緒に行動する人数が増えるのは避けたい。


 と、言うかだ。


「ここは一つ、優秀な刑事二人に一般市民の警護を任せるって訳には」

「行くか。ふざけるな」


 五味の提案は築根に一蹴された。舌打ちして駐車場のクラウンに乗り込むと、助手席にはすでにジローが膝を抱えて座っている。後部座席に美冬と春男と冬絵が乗り込む。ミラーで笹桑のミニを見れば、原樹を後部座席に詰め込むのに苦労していた。


 何とか全員が車に乗り込み、駐車場を出発する。まずは一旦美冬のアパートに寄り、着替えなど荷物を取ってくる予定だ。その後は、またホテルに泊まってもらう。できれば笹桑もホテルに放り込みたいところなのだが。


 警戒のし過ぎかも知れない。相手側はもうすでに十分脅したつもりになっていて、こちらの動きなど気にも留めていない可能性はある。そもそも他の連中がどうなったところで、五味には本来どうでもいい話なのだ。


 とは言え、ここまで状況に深入りした者が仮に相手方に誘拐された場合、こちらの手の内が丸見えになってしまうリスクはある。全貌が見えている存在を相手にしている訳ではない。迂闊さは命取りになるし、慎重に越した事はあるまい。


 思考を巡らせながらの運転は注意力散漫になる。もちろんそのくらい五味にもわかってはいたのだが、めまぐるしく変化する状況に追いつくので懸命だったのだろう、そこに僅かな油断があったのかも知れない。


 突然、ルームミラーが真っ白に輝いた。五味のクラウンの後ろに付いた笹桑のミニのさらに背後に、大型トラックと覚しき車がハイビームであおっている。


「おいおい、いまどきかよ」


 ミニが慌てて左に車線を変えると、ハイビームの大型車は加速し、クラウンのすぐ後ろに貼り付いた。五味も急ハンドルで左へと車線を変え、ミニバンとワゴンの間に強引に割り込む。すると大型車はさらに加速し、クラウンの横を追い越して行った。その瞬間、五味は気付く。


 ダンプだ!


 本能的な警笛が脳内に鳴り響く。右足をアクセルから離し、ハンドルを右に切りながら左手でハザードランプのスイッチを押した。しかしそのときにはもう、二車線の真ん中を走行中のダンプの荷台がリフトアップを始めている。雪崩のように落ちる大量の土砂。急ブレーキの音が幾重にもこだました。


 土砂に乗り上げた五味のクラウンは、かろうじて前面バンパーと車の底を傷だらけにするだけで済んだが、前を走っていたミニバンはマトモに土砂に突っ込んでいる。割れたサイドウインドウからは、角度的に車内の様子が見えない。


 ダンプは走り去り、片道二車線の国道下り側は土砂に覆われて大渋滞が発生した。偶然の事故か、頭のイカレた運転手がぶち切れただけか、それとも。


「五味! 無事か!」


 後ろのミニから降りて来た築根が窓を叩き、五味は後部座席を振り返る。美冬は気丈にうなずいていたが、表情は引きつって見えた。子供二人も、とりあえずは無事らしい。ジローは相変わらず膝を抱えていた。


 窓を下ろすと、築根が五味の目をのぞき込む。


「何とか全員無事みたいだな」

「無事なのは無事だが」


 五味は顔を手で拭った。冷たい汗が噴き出している。


「こいつは、さすがに肝が冷えた」

「警察と国交省の緊急ダイヤルには連絡済みだ。しばらく足止めは食らうが、我慢しろ」


 それだけ言い残すと、築根は土砂に突っ込んだミニバンへと走った。先行した原樹が後部のハッチドアから乗員を救助中である。


「……しゃあねえな、ったく」


 五味もクラウンを降りてミニバンに向かった。

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