第9話 動き出す歯車

 月曜日の昼過ぎになって、ようやくスリの親方が五味の事務所にやって来た。


「いやまいったよ、今日の朝一しか時間が空いてないってからさ、頑張って早起きして行ってきたんだよ。偉いだろ?」


 よく言うよ。いつも早朝の、満員になるちょっと前の電車でスリ仕事してやがるくせに。だいたい年寄は放っといても朝早くに目が覚めるだろうが。と、言いたいのを五味は苦笑でごまかした。


「それで。情報はあったのか」

「へっへー、聞きたいかい」


「学歴だの年収だのは、いらない情報だぞ」

「あら嫌な事言うねえ。ちゃんとおまえさんの知りたいような情報は聞いてあるよ」


 五味はタバコに火を点けて、当たり前のように待つ。さすがにこの空気で教えないとは言えない。親方は一つ、いまいましげにため息をついた。


「わかったよ、教えりゃいいんだろ。まず、大葉野六郎が河地善春の同級生だったってのはホントみたいだね。河地の親父さんが車にかれて死んだ事件を覚えてた弁護士がいてさ、弁護士会のパーティで、そいつと大葉野六郎が話してるのを横で聞いたんだそうだよ、さっき会った先生がさ」


「そいつは怪しいな」


 五味はソファに仰け反り、天井に向かって煙を吐いた。


「いくら弁護士だって、そんな自分に関係ない事件をいちいちハッキリ覚えてる訳ねえだろ」

「関係あったんだよ、それが。あのお嬢ちゃん昨日は言ってなかったけど、親父さんが死んで、兄貴が行方不明になって、そのときに警察で事情聴取を受けてんのさ」


「まあ、そりゃ受けるだろうな」


「で、そんときに国選弁護人を頼めるかどうか聞いたんだそうだ。兄貴が捕まったときの事を考えてだよ。偉いねえ、まだ十五か十六だったんだよ、あの子。勉強できたんだろうね」


「それで問い合わせたって訳か」


「いや、問い合わせはしてないんだ。でも国選弁護人を引き受けてくれる弁護士なんて、そんな多くないからね。そういう弁護士は警察にも知り合い多いし、噂話が流れてくるんだってよ」


「個人情報の漏洩は大問題だな」

「茶化すんじゃないよ。とにかくそんな感じで、河地善春と大葉野六郎は繋がりがあるって事さ」


 五味はまだ天井を見つめている。頭の中を整理しているのだろうか。タバコを一口吸うと、視線を親方に向けた。


「他には」

「河地善春と大葉野六郎の同級生に、もう一人凄いのがいたらしいよ」


「凄いの、ねえ」


 当てになりそうな話じゃねえな。そんな考えが五味の顔に出ていたのだろう、親方は少し身を乗り出した。


「おまえさんだって知ってるだろ、砂鳥グループの五男坊。あ、いまはホールドなんとかの社長だね」


 この言葉にはそれなりのインパクトはあったのだろう、五味も少し前のめりになった。


「砂鳥ホールディングスか」

「そうそう、とにかくそれが同じクラスにいたんだってよ。これは大葉野六郎本人から直接聞いた事あるらしい。自慢なんだろうね」


「それが何だ。この件に絡んでるってのか」

「そんなのアタシゃ知らないよ。だけど情報は多い方がいいと思ってさ」


「葬式の坊主みたいに言うな」


 そうは言ったが、これは五味にとって悪い情報ではない。仮に河地兄妹と何一つ関係がなかったとしても、いつか砂鳥グループに食い込むきっかけになり得る。つまり金になる情報なのだ。しかし、そんな事はおくびにも出さずに五味はたずねた。


「大葉野六郎本人の情報は。何か深掘りしたヤツないのかよ」

「深掘りねえ。……ああそうだ。大葉野六郎は高校時代、ミステリー研究会に入ってたんだって」


 五味は頭を抱えてため息をついた。そんなクズ情報集めてきて何になる。怒鳴り散らしてやりたかったが、へそを曲げられても困る。もうしばらく喋らせよう。


「で」


「それで大葉野とあと二人、この三人がミステリー研究会の中心でね、本人たちは『篠高の三賢者』とか言ってたらしいんだけど、周りは『霊感ヤマカン第六感』って呼んでたんだって。馬鹿な話だよね」


「それも弁護士の先生が言ってたのか」


「そう、篠高のミステリー研究会が学園祭のときに『ミステリーの現代法的解釈』って出し物をやったのよ。そのときにゲストに呼ばれたのが、さっき会った弁護士の先生で」


「ああ、そうかい」


 もう返事も投げやりな五味に、一方親方の話は興に乗り始める。


「あ、でもね。この霊感、名前を霊源寺って言うんだけど、おまえさん知らないかい」

「何を」


「小学校の近くに幸平寺ってデカい寺があるじゃない。代々あそこの住職なんだよ、霊源寺の家って」


 それは五味も聞いた事があるような気がする。確か県内でも有数の歴史ある寺らしい。霊源寺という苗字も記憶にはある。


「それがどうかしたのか」


「いやね、先生んとこ出てタクシーでここへ送ってもらってるとき、運転手がラジオつけてたのさ。そしたら、名前が聞こえて来たんだよ、霊源寺の。何だろって思って聞いてたら、そのたぶん河地善春と大葉野六郎と同い年のヤツがね」


「どうした」

「今朝、砂鳥ホテルの部屋から転落して死んじまったらしいんだよ」


 カチリ。五味の頭の中で、歯車がかみ合い動く音がした。


 いまの段階では、砂鳥の社長と河地兄妹の関係はわからない。単に兄貴の高校時代の同級生でしかないのかも知れない。だが、もし砂鳥ホテルから落ちて死んだ事に何らかの意味や必然があるとするなら、少なくとも霊源寺の死亡と砂鳥の社長がまったく毛の先ほども関係ないとは言えまい。何かあってもそうおかしくはない。


 昨日の朝に河地美冬のアパートをたずねたのが、霊感ヤマカン第六感の三人だったと仮定しよう。この行動が三人の意思ではなく、誰かの指示だとしたら。もしもその「誰か」が、つまり河地美冬の元を訪ねろと三人に命じたのが、砂鳥の社長だとしたら。


 難しい顔の五味は、タバコを灰皿でもみ消す。


 もし、砂鳥の社長が河地善春を捜していたのだと、そのために霊感ヤマカン第六感に依頼し、河地美冬のアパートまでたどり着いたのだとすれば。ならばその後、「何か」があったのではないか。そのせいで霊源寺は死ななければならなくなった。


「……何だ。何があった」


 もちろん、霊源寺の死は偶然の事故、あるいは自殺である可能性もなくはない。この段階でそれを除外するのは、頭のイカレた名探偵くらいだろう。だが幸い俺は常識人だ、五味はそう考えながら新しいタバコを咥えて火を点けると、立ち上がって事務机のPCへと向かった。すでに開いているブラウザに、「砂鳥ホールディングス 社長」と打ち込み検索する。すぐに出て来る砂鳥宗吾の名前と顔写真。


 品の良い顔立ち。絵に描いたような好青年。しかし、人は見かけによらない。そんな例はごまんと見てきた。


「この子の高校時代の仇名あだな、知ってるかい」


 その声に振り返れば、背中にくっつくように親方が立っている。ニコニコと期待に満ちた目で。五味は苦笑を返すしかない。


「どんな仇名だ」

「『完璧魔人』だってさ。これもさっき会った先生に聞いたんだけどね」


 嫌な仇名だ。完璧な人間なんぞいる訳がない。いや、だから魔人なのか。五味は事務机の引き出しから封筒を取り出すと、親方に手渡した。飛び上がらんばかりの表情でそれを受け取った親方だったが、中身を確認して不満げな顔。


「四万」

「半額でもいいって言ってたろ。だから少し色を着けといた」


「四万ねえ」

「もっと仕事をしてくれるんなら、追加料金も払わないではないけどな」


「何すりゃいいのさ」

「そりゃまだわからんよ。今後の展開による」


 五味はタバコを咥えながらニッと笑った。ため息をつく親方に背を向け、スマートフォンを操作して電話をかける。相手は即座に出た模様。


「笹桑か。調べてもらいたい事があるんだが」

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