第8話 河地善春

 月曜日、早朝。できれば通勤ラッシュまでに片付けたかった私と山猪と霊源寺は、車で一時間半ほど走って臨海地区へと来ていた。別に三人揃う必要はなかったのだが、まあ、乗りかかった船というヤツである。私も山猪も体調不良の病欠扱い。霊源寺は親父殿に無理を言って法事を代わってもらったらしい。


 道は広く緑は多く、高層マンションが建ち並んでいる。同じ県内でも、これだけ離れれば土地勘はまるでない。この近くには大規模多目的ホールがあり、あの霊源寺の檀家の女が河地善春らしき人物を見かけた集合住宅は、そこから百メートルと離れていないそうだ。彼女はコンサートに訪れたとき、偶然見かけたのだという。


「あれ、何て言うんだっけ。二階建ての長屋?」


 運転する私の言葉に、助手席の霊源寺が眉をひそめた。


「テラスハウスだよ。落語じゃないんだぞ、いまどき」

「そうだったそうだった。ド忘れした。そのテラスハウスの入り口に河地が立ってるのを見たんだよな」


「ああ。あんまり自信はないけど、とは言ってたけどな」

「何かおかしくないか」


「そんなにおかしいか?」

「だってあのオバサン、河地の親戚でも何でもないんだぞ、それがこんな家から離れた場所で遠目に見て、よく顔がわかったな」


「だから言ったろ、あの人の息子が河地の親父さんの塾に通ってたんだよ。あそこの家族は近所じゃ、ある意味有名人だったんだ。おまけにその親父さんも変な死に方してるしな」


「うーん」


 理屈として理解できないではない。だが人間の記憶というのは、そんなに都合のいいものだろうか。と、そこに後部座席から山猪の声が聞こえた。


「おい、アレじゃないか。あの赤い屋根」


 道路を直進すれば多目的ホール、その手前の信号の向かって左手にコンビニがあり、さらに隣に黒い壁と赤い屋根の建物が見えている。私はウインカーを出し、ハンドルを左に切ると、広いコンビニの駐車場に入った。




 テラスハウスは築後さほど経っていないようで、まだ壁も屋根も新しく見える。私たち三人は、前の道路でコンビニの唐揚げをつまみながら文殊の知恵を出し合った。


「さてどうする」


 霊源寺が声を潜める。確かに大声で喋るような話でもない。


「何か、納得行かないんだよなあ」


 私のつぶやきに、霊源寺は困り顔だ。


「まだ言ってんのかよ」

「いや、だってなあ」


 すると山猪が苦笑した。


「まあ、おかしいのはおかしいさ」

「おい、おまえまで」


 思わず声が大きくなりかけた霊源寺を手で制して、山猪は言う。


「あのお姉さんは、確かコンサートでここに来たんだよな。だったらあの交差点に差し掛かったときには、普通ならコンサート会場の方を見てるんじゃないのか。何で首をグルッと回さなきゃのぞき込めない、こんな場所にあるテラスハウスを見る必要があった」


 これには霊源寺も言葉がない。


「しかも移動中のバスの中から見たんだろ。そんなの自分の息子でも見落とすはずだ。話がデキ過ぎてるかも……」


 そう言いかけた山猪が言葉を止めた。ドアの開く音がして、テラスハウスから人が出て来る。私たち三人は慌てて目をそらした。冷静に考えれば、その方が怪しいのだが。


「あれ、君たち」


 太った色白の、Tシャツ姿の髪の長い男が、こっちを見ていた。


「もしかして篠高の」


 私たち三人は顔を見合わせた。そして、その太った男をマジマジと見つめる。記憶にある河地善春とは印象が違うが、面影がない訳でもない。男は親しげな笑顔を浮かべた。


「やっぱり。霊感ヤマカン第六感だ」


 この仇名を知っているという事は。


「河地……善春、か?」


 山猪の言葉に相手は驚いた顔でうなずいた。


「そうだよ、よく僕なんかを覚えてたね」


 私たち三人は、しばし呆気に取られた。あれほど頭をひねり、ああだこうだと言っていたのが馬鹿らしい。こんなに簡単に見つかるのか。しかしまあ、これが現実というモノなのかも知れない。


 霊源寺が簡単に説明した。


「砂鳥に頼まれて、おまえの事を捜してたんだ。あいつとは連絡取ってないのか」

「え、砂鳥? そうだな、もう十年くらいは連絡してないかも。何かあったの」


 その問いに答えそうになった霊源寺を山猪が止める。私は預かっていた砂鳥の名刺を河地に渡した。


「悪いが、それについては砂鳥本人から聞いて欲しいんだ。いいかな」

「ああ、うん、いいよ。わかった。連絡すればいいんだね」


 河地は丸々とした手で受け取り、名刺をしばし見つめた。


「へえ、砂鳥は社長なんだ。凄いな」

「あと一応、私の名刺も。何もないとは思うけど、何かあったら連絡してくれ」


 すると、山猪もポケットを探り出した。


「あ、じゃあ俺も渡しとくわ」


 これに霊源寺は不満顔だ。


「いいよな、名刺のある仕事は」

「別に全員渡す必要はないだろうよ」


 山猪が苦笑しながら名刺を河地に手渡す。受け取った河地は少し申し訳なさそうだ。


「ごめんね、僕も名刺ない仕事だから」

「いや、別にいいよ。それより、いまから出勤なのか」


 そうたずねた山猪に河地はうなずく。


「しがない工員でさ。通勤が楽なのだけが取り柄で」

「そっか。悪かったな、邪魔しちゃって」


「ううん、久しぶりに知ってる顔を見られて嬉しかった」


 河地は私にそう言うと、名残惜しそうに歩き出した。


「じゃ、また何か機会があったら」

「おう、またどっかで会おうぜ」


 適当な事を言うのは霊源寺のクセのようなものである。こいつは坊さんの仕事してるときでも、たぶんこうなのだろう。


 歩き去って行く河地をしばし見送り、私たちはコンビニの駐車場に向かった。


「えらいアッサリしたお使いだったな」


 少し不満そうな霊源寺を、山猪が笑う。


「何だよ、もっと歯ごたえが欲しかったのか」

「歯ごたえっつうか、実力を発揮できるチャンスがな」


 これには私も笑った。


「いまのこの三人の実力なんて、こんなもんだよ」

「違いない」


 山猪はうなずいたが、霊源寺は口を尖らせる。


「そうか? 腐っても篠高の三賢者だぞ。もうちょっと活躍できそうな気がすんだけどな」

「ただの思い込みだよ。たぶん老化現象の始まりだ。気をつけとけ」


 山猪の言う事はもっともだ。もう自分で思っているほど若くない。私は胸の内でそうつぶやくと、運転席のドアを開けた。霊源寺が砂鳥に連絡している。これで今日の仕事は終わりだ。さて、一日何をしようか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る